2.挑戦的な瞳
「リスが冬眠から目覚めて、1番最初にすることは何でしょう?」
それはソフィア嬢から出題された問いだった。
しょっぱいクッキーを食べた翌週、お茶の席でいつものように頭の中で仕事をしていると、彼女から話しかけられた。
1問だけ問題を出すから、答えて欲しいというのだ。どんな問題なのか少し興味を魅かれて了承した。
「リスがすること……そうだな、食べたり飲んだり空腹を満たすことかな」
「違います」
茶色の瞳は意外に大きくて、真っすぐ見つめてくる視線は、私を恐れる色を見せず挑戦的だった。
「では……巣穴から外に出る」
「違います」
彼女が得意気に少し笑っているように見えた。こうもはっきりと間違っていると断言されると不愉快だ。
「仲間を起こす。ペロペロ舐めてやったりして」
「違います。でもなんだか可愛らしい答えだわ」
ふふっと笑った彼女をみたら、何故か居心地が悪くなった。この不毛な時間を終わらせたくて、降参だから答えを教えて欲しいと伝えた。
「リスが冬眠から目覚めて1番最初にすることは、眠ることです」
「は! それは答えとして成立しない。眠りから覚めて、そして眠る?」
「これはリスの研究者によって明らかにされたことで、冬眠しているリスの心拍数と体温を綿密に調べた結果分かったことなのです。冬眠は眠りとは違う状態で、体力を非常に消耗する行為なのです、だから覚めたリスは、疲れた体を回復するために本当の眠りを始めるのです」
なんだか思いもしない答えで、冬眠から覚めて、さあ寝るぞと眠りに戻るリスを想像した。こっちからすれば寝ているのは同じだろう?
「びっくりしましたか?」
彼女が何故か勝負に勝ったという満足顔で聞いてきた。
私は別に負けた訳ではないぞ。変な問題を出されただけだ。
「びっくりというか……意外な答えだった」
その後彼女はなにも喋らず、いつものように静かな時間がやってきて、私は頭の中の仕事にもどった。
◇◇◇ ◇◇◇
仮婚約の1カ月間が過ぎたので、本婚約となった。今回の娘は逃げないようだと安心したのか、お茶は月に1度にしていいと父から許可が下りた。
すこし間を空けて男爵家を訪れた時、お茶の席で私は真っ先に彼女の顔を見た。私の人生で初めて女性の表情に興味を向けた瞬間だったかもしれない。
警戒心を8、期待を2くらいの割合で、私は彼女が何かを企んでいないかを注意深く観察した。そして予想通りと言うべきか、あの挑戦的な微笑みを見た。
「1つ問題を出してもいいですか?」
ご機嫌はとか、お天気がどうとか、この頃の噂話とか、帽子をかぶったり手袋をするのと同じくらい貴族子女の嗜みとしてするべき会話を彼女はすっ飛ばした。
「ロウソクの炎の正しい消し方をご存知ですか?」
てっきりまた動物関連の質問だと予想していたので、斜め向こうからの問いが降って来て、何を聞かれたのかよく分からなかった。
「問いの意味が理解できない」
「ロウソクの炎のマナーの良い消し方です」
「私がロウソクの炎を消す必然は生まれない。それは使用人がすることだから」
彼女が勝者の微笑みを見せた。気に入らない、私は勝負するつもりなどないのだ。
「答えは分からないということですね」
負けた訳ではないと思いながら黙っていた。彼女は侍女に指示すると予め準備していたあろう手早さで、テーブルの上に火のついたロウソクを置いた。
「では正解をご覧ください」
彼女の小さな手の親指と人差し指が炎に近づいて、そして……
その指がロウソクの芯をつまんで火を消した。
「ああ!」
信じられない程大きな自分の声が部屋に響き渡った。だがそんなことはどうでもよかった。
彼女に駆け寄って、たった今炎に触れてやけどしたであろう彼女の指を確認した。右手をとってひっくり返し、親指と人差し指の腹をまじまじと見て、触って怪我の具合を確かめた。
「ご心配なく、やけどはしないんです。炎の下は熱くないんですよ」
ソファーに座る彼女の横に跪き、女性の小さな手を自分の掌にのせている。こんな姿を自分が取っていることは信じがたかった。
見上げるソフィア嬢は、初めて見る顔をしていた。今にも破裂して空気を吹き出しそうな震える唇。これは……笑いを耐えているのだ、してやったと、私の動揺する様を見て……
勝利したと。
目をそらし立ち上がった。思わず太い息を吐き出してしまい、それが負けを認めたように響いて気分を悪くさせた。
「ノヴァック様もなさってみて」
もう一度火の点けられたロウソクが置かれる。「思うほど熱くはないのです。やけどはしませんよ」
やる必要を感じない。だがやらなければ、彼女に「できない」と示すに等しい。それは男として屈辱的なことだった。私はまた彼女の隣に跪いて、ロウソクに手を伸ばした。さっさと終わらせてやる、こんなくだらない遊びを……
とうとう彼女は、耐えていたであろう息を、唇で破裂させた。
ぷぷっという音がした。私は笑われたのだ、何故なら……できなかった。
どうしても、炎に触れることができなかったのだ。
その日、私は早々にお茶を切り上げて館に帰った。
馬車の中で、何もかもが不愉快極まりなかった。その最たる出来事が、情けなくも怖気づいて炎に触れられなかった自分だ。認めよう、私は今日彼女に負けた。
自宅でさんざん仕事をしてあと数時間で日の出という頃、ようやく寝ることにした。
驚きも、悔しさも静まった心で記憶がよみがえった。
小さく柔らかい彼女の指先……