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■第2部 エピローグ

 試合が終わり、ベッドに倒れ込んだあたしはまさかの24時間眠っていた。


 後遺症が残るようなことはなかったけど、それだけダメージや消耗が激しかったみたい。修行が足りないなあとは思ったけど、考えてみたらあの激闘はJKの肉体が持つキャパシティはとっくに超えていたのかもしれない。


 目覚めてアホみたいに食べると、山中に別室まで呼び出された。


「それじゃあ優勝おめでとう。これがファイトマネーだ。日本人の世界チャンピオンよりもずっと稼いでいるだろうよ」


 山中から手渡されたジュラルミンケースには大量の札束が入っていた。


「こんなにもらっていいの?」って訊きそうになったけど、それでもらえる金額を減らされてもアホみたいなので黙って受け取った。セレブたちが賭けた金額も山中がせしめた金額も桁が違うんだろう。攫われているし、迷惑料としてもらっておこう。


「で、これであたしたちは自由になれるの?」


 一応、訊いてみる。油断させておいてサメの餌にされるのは御免だ。あたしの心配を見越していたかのように山中が口を開く。


「安心しろ。俺は無茶をするが卑怯者じゃねえ。お前たちはしっかり日本に帰してやるよ。その代わり大騒ぎになるだろうけどな」


 たしかに、あたしたちはいきなり行方不明になったことになっているだろう。その時にこの件をどう説明するのか。下手な嘘はつきたくないけど、生きるために非合法のリングへ上がっていたことを話せば今後の公式戦に出られなくなる可能性は十分にある。帰国後の対応を考えると悩ましいものがあった。


「ところでよ、お前、プロのリングに興味はないか?」

「……もしかしたら行くかもしれないね」

「いいじゃねえか。その時は俺と組もうぜ。とびっきり強い相手を用意してやるからよ」

「それは、遠慮するかな」


 山中は控えめに言っても反社だ。そんなのと関わっていたらボクシング界から追い出されてしまう。競技を続けたいなら、金輪際関わらないのが一番いい。


 だけど、そんな想いすら見透かしたかのような顔で山中が言う。


「お前は今の女子ボクシング界で圧倒的に強い。強すぎると言っても過言じゃないだろう。元々男だった一光までノックアウトした。だがな、そんなお前はきっと『普通の』女子ボクシングに退屈するはずだ」

「……」

「俺には分かる。お前は激闘を乗り越えるたびに、もっと強い奴と闘いたいと願うジャンキーだ。そんな奴が自分より弱い奴しかいない世界で満足出来るはずがない。それこそ男を相手に試合をしたくなる日が来るだろうよ、確実にな」


 山中の言うことにも一理あった。


 たしかに前世からのライバルであった天城楓花を除いては、あたしにとって敵になる女子ボクサーはいない気がする。それはあたしが実質的に男子の世界ランカーの実力を持っているからだ。


 正直なところ、一光との試合は死ぬかと思った反面で、終わってみればあの闘いはとても楽しかった。楽しかったという表現が適切かは分からないけど、困難と言われる山を登り切ったような、そんな達成感があった。


 あれと同等の喜びを他の女子ボクサーとの試合で見出すのは正直難しい気がする。やはりどちらが勝つか分からないギリギリの勝負を経てこそ、勝った時の喜びはより大きくなる気がする。


 だけど、それですべてを捨てて山中の方へなびいていくのも違う気がした。そうなればあたし自身が闇堕ちしてしまうような、そんな怖さがあった。


「まあ、時間はいくらでもある。その気になれば呼べよ」


 山中はその場で答えを出さず、あたしを部屋から出した。


 部屋を出ると、船を乗り換えるまでは優雅にクルージングだ。ホオジロザメがいると聞いたことはあるけど、光り輝く太陽に照らされるカリブ海は美しかった。


 あたしは菜々さんと、夕陽が海の向こうへ沈んでいくのを見ていた。


「綺麗だね」

「うん。やっと帰れるけど、日本ってあっちにあるのかな?」

「極東って言うぐらいだから反対なんじゃない?」

「あ、そっか。太陽は西に沈むんだった。菜々さん、頭いい」


 くだらないことを言い合って二人で笑い合う。


 全身痛いけど、こうやっていられる時間がとても貴重に感じられた。しばらく二人でケラケラと笑い合っているうちに、太陽のほとんどが沈んでいよいよ辺りは真っ暗になってくる。一部だけオレンジ色に光り輝いてる箇所が宝石みたいに綺麗だった。


「ねえ、菜々さん」


 誰に言われるでもなく、気付いたら口を開いていた。


「あたしにとって、菜々さんってすっごく大事で、それこそ命に代えてでも守りたいって思っている。それはリュウさんの恋人だったからってだけじゃなくて、他ならぬあたし自身が菜々さんのことが好きだから」

「うん」

「だから菜々さんも、絶対に幸せになってね。不幸になるなんて、許さないからね」


 菜々さんが笑う。自分でも滅茶苦茶なことを言っているなって思うけど、あたしは前世で彼女の恋人だったし事実を言うわけにもいかないからこんな迂回した言い回ししか出来ない。


 この時間がいつまでも続いたらいいなとは思うけど、いつまでも続くはずがないし続いちゃいけない。人はどれだけ悲しいことがあっても、それを乗り越えて生きていくしかないのだから。


 でも――


 それだけで割り切れるものじゃない。今だって菜々さんが大好きだし、多様性にかこつけて菜々さんと結婚出来たらどんなにいいだろうって思う。


 でも、それだってあたしの独りよがりな想いなんだよね。


 だから、いっそ「俺」のことなんか忘れて、新しい人と幸せな人生を歩んでいってほしい。たとえそれが、あたしにとってつらいものになったとしても。


「ありがとう、由奈ちゃん。私は今でも十分幸せだよ」


 太陽が落ちて、菜々さんの表情は見えない。それでいいんだと思った。


 真っ暗な中、手探りで菜々さんの手を握る。


 間もなくあたしたちは日本へ帰って、この束の間の平穏も終わる。その時まで、せめて二人でいる時間を大切にしようと思った。


   【第2部了】

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