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時が止まる瞬間

 目覚めるとキャンバスが目の前にあった。


 そうだ、あたしはカウンターで倒されたんだった。


 レフリーのカウントが聞こえる。カウントはファイブ。まだ間に合う。


 床に手をついて、ゆっくりと立ち上がる。それだけで観客たちからどよめきが上がった。それだけひどい倒され方をしたみたい。


 再び崩れ落ちないようにじっくりと立ち上がる。意識は鮮明なのに、視界はグネグネしていた。あはは、すっごい効いてる。


 とても笑っている場合じゃないけど、あたしはなぜかおかしくなっていた。普通に考えたらどう考えても試合を止めるダメージだ。それでも神の采配か何かで試合が続いている。


「本当は倒される前にタイムリープで戻してほしかったんだけどね」


 軽口を叩きながらファイティングポーズを取る。カウントアウトまでギリギリ。レフリーは英語圏の人のせいか、自虐的な独り言に「まだ出来ます」とでも言っているのだろうという顔であたしの目の奥をじっと見ていた。


 ついでに言うとレフリーは驚いた表情だった。あんな倒され方をして、まさか立ち上がるとは思っていなかったのだろう。だけど、まだレフリーが試合を止めないと決まったわけではない。


 止めるなよ。あたしはレフリーを敵と見紛うほど睨み返す。


 レフリーが数歩離れて、身振りで「俺のところまで歩いて来い」と言う。これでフラついたら止められるパターンだ。依然として視界はブラックホールにでも吸い込まれた感じになっていたけど、根性で足の震えを止めながら歩いた。


 レフリーは軽く頷いた。その表情には「何かあっても俺は知らないからな」といった響きを感じた。上等だよ。なにせあたしは一度死んでいるんだから。


「ボックス!」


 試合が再開される。


 ニュートラルコーナーから、鬼神のような顔をした一光がゆっくりと歩いて来る。


 女神と結構な時間話していた気はするけど、実際に経過した時間はそれこそ5秒ぐらいなのか。それじゃあダメージなんて回復するわけがないよね。


 全身が軋んでいる。足を使って距離を取ろうなんて、悠長な選択をしている場合でもない。


 もう選択肢は一つしかない。


 やるか、やられるか――


 文字通り、クソ度胸がモノを言う博打に出るしかない。


 一光が構える。隙はない。ウサギを狩るにも全力を出し過ぎだろうってツッコミたくなるぐらい大人気ない。


 あたしも構える。ガードは高く、足はフラフラ。正直、腕を上げのもつらいレベル。これでガードがどれだけ意味があるのかも怪しい。


 だけど、それでもあたしは闘うと決めたんだ。


 菜々さんを守るために。何よりも、彼女を二度と悲しみに暮れさせないように。


 距離を詰めた一光。目をギラつかせて、一気に踏み込んでくる。


「うわ」って言いたいのをこらえながら、アホみたいな威力をしたパンチの軌道を観察する。力任せに近い感じで打っているのだから、よく見れば決して見切れないパンチじゃない。


 あたしの全知覚をフルで機能させる。それは視覚だけでなく、風の流れる音を肌で聞き、一光の踏み込んだマットのかすかな震動さえも感じ取る。チートじゃない。いや、チートなのかもしれないけど、これがあたしのゾーン。


 左右のフックが飛んでくる。首をわずかに捻って最小限の動きで外す。右カウンター。カミソリパンチが連打を止める。右拳にサクっとした感覚。一光の鼻っ柱に裂傷が出来た。


 歓声が沸いた後、ふいに音がしなくなった。あたしの耳がバカになったのか、それとも集中し過ぎてざわめきが知覚から排除されたのか。いずれにしても、敵の発する音だけがはっきりと聞こえるようになった。


 一光は構わず強引に突っ込んで右を振ってくる。


 左斜め下に身体を沈め、フルスイングで放たれた右の軌道から逃れる。それとともにあたしも右ストレートを放つ。


 拳と拳が入れ違う――クロスカウンター。無心で打った右が、一光のアゴ目がけて伸びていく。


 その時、一瞬だけ何もかもが止まった気がした。


 え? って思った時には、あたしの拳にはスカっという感覚――わ、マジか外した。


 そう思った瞬間、一光が派手に背中からマットに叩きつけられる。


 え? 今のって当たったの?


 突如の大逆転で、観客が興奮に大爆発する。どちらに賭けているとかは関係なくて、ワールドシリーズで9回裏の逆転満塁ホームランを目撃したような興奮だった。


「ダウン!」


 何よりも一番あたしが驚いている中、レフリーがカウントを始める。驚いて倒れた一光と自分の拳を交互に眺めていると、レフリーからニュートラルコーナーへ下がるよう注意された。


 おそらく人生で一番手ごたえのないKOパンチだった。だけど、相手が倒れたりカットする時には抜けるような感覚があるから、今までにないぐらいのクリティカルヒットだった可能性はある。


 カウントは続いていく。一光は目を見開いたまま、大の字で胸を上下させていた。


 ――そして、彼女が立ち上がることはなかった。


 あっけない幕切れ。文字通り命懸けのラスボス戦は、ありえないような逆転KOでその幕を閉じた。

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