志崎由奈vs一光2
知らぬ間に倒されていた。何が当たったのか分からない。
尻餅をついたまま呆然としていると、レフリーがカウントを進めているのに気付いて慌てて立ち上がった。
膝が笑っている。想像以上に効かされたみたい。生まれたての小鹿みたいな脚にならないよう、全力で虚勢を張って震えを止める。クソ、やられた。
一応カウント8まで待った。倒された分全力で倍返しに行きたいところだけど、それをやると相手の思う壺になるだけだろう。
「ボックス!」
試合が再開されると、一光が無表情のままスタスタと距離を詰めてくる。まるで速足で駅までの道を急ぐみたいに。
ひとまずガードを上げる。ダメージがまだ残っているので、距離を保ちながら回復を図るしかない。まだ試合は2ラウンド。挽回のチャンスはいくらでもある。
だけど、あたしの考えなんてお見通しとばかりに一光はガードを上げたままプレッシャーをかけてくる。まるで重戦車と対面している気分だった。
威嚇も含めて、右ショートをカウンターで打っていく。あたしのパンチは切れるので、誰だって被弾するのは嫌なはず。だけど――
一光はお構いなしにガードでストレートを弾き飛ばし、そのまま距離を詰めてきた。
ちょ……。
っと待てって言う前に、左右からあり得ない威力のフックが飛んでくる。震災で落下物から頭を守るようにガードしたけど、それでも信じられない威力のパンチが次々とガードを叩いていく。重量級の選手に殴られているみたいだった。
――このままだと死ぬ。
ガードを打たせているけど、この感じだとすぐにガードごと破られて連打の餌食になる。そうはなりたくないので、超低空ダッキングでフックの連打をかわした。厳密に言うと反則なんだけど、注意される前に次のアクションへ移れば実質お咎めなしになる。
なんとかフックを掻い潜ると、そのまま身体を密着させた。この距離ならどれだけのハードパンチャーでもKOする一撃は打てない。
このまま時間を稼ごうとした瞬間、今度は腹部に衝撃が走る。
身体を密着させていたにも関わらず、一光は器用に左ボディーを突き刺していた。ガードごと後ろから巻き込むような軌道で放たれたボディーは、あたしの肝臓付近を直撃していた。
息が詰まる。レバーブローと呼ばれるこの一撃は、体内にある酸素を根こそぎ持っていく。まさかこのショートレンジで打たれるとは。
……って感心している場合じゃない。油断するとこの場で吐きそうなくらい効かされている。効いていないですよって顔で一光にくっつくけど、それをやっている時点でボディーが効いているのはバレバレだ。
どうしよう。本当に倒されちゃう。
そんなことを思っていると、2ラウンド終了を知らせるゴングが鳴った。多分、キャリアで一番待ち望んだゴングだった。
ガチのアサシンにしか見えない一光はスタスタと自陣へと戻って行く。バケモノめ。
あたしは息をぜえぜえと切らせながらぶーちんと菜々さんの待つコーナーへ戻った。
「大丈夫か」
「すごい効いた」
「そうか。あのボディーはヤバいな」
「うん。あたし、何で倒された?」
「右だ。オーバーハンドの右」
マジか。スピード勝負になれば先にジャブで止められると思っていた右をもらったのか。死角から迫ってきたから分からなかった。
ぶーちんがあたしに水を飲ませる。
「呼吸を整えながら聞け。あいつのハンドスピードは異常だ。あそこまで速いと前で捌くのが難しい」
「うん」
「だから、基本的にはいつも身体を揺らしておけ。ガードは高く、先に打て。そうすればあいつだってお前を殴れない」
水をもう一杯口に含む。セコンドアウトの笛が鳴る。菜々さんはきっと心配そうな顔をしているんだろうなって思うけど見ない。今のあたしは一光に全神経を集中させないといけない。
「ラウンド3」
ゴングが鳴った。後ろから「先手だぞ」とぶーちんの檄が飛ぶ。悔しいことに、今の段階で彼の提案した以上の打開策が思いつかない。
反対側のコーナーから戦闘マシーンのように無表情を貫いた一光が歩いて来る。
観客がKOの匂いを嗅ぎ取って騒がしさを増していく。そうだ、このカジノ船では目が飛び出るような金額のお金が賭けられている。
――だけど、命まで賭けているのはあたしだけだよね。
そう思うと、下がりかけた士気が戻って来た。序盤にあっけなく2回も倒されたので諦めたい気持ちが出かけてきたけど、そんな気落ちしている場合じゃない。
負ければあたしも菜々さんも、ついでに言えばぶーちんもガチで命の危険に曝されることになる。
あたしの大切な人をそんな目に遭わせるわけには絶対にいかない。あたしは勝つ。
決意を胸に、あたしは第3ラウンドのリングを踏みしめた。




