眠れぬ夜は君と話そう
決戦前夜、珍しく夜中に目が覚めた。
普段からそれほど緊張するタイプじゃないけど、明日の試合で自由か死かが決まるような意味合いもあるせいか、気付かず緊張しているようだった。
まあいい。そんなことだってある。あたしは少し散歩でもしてから、もう一度眠ることにした。
さすがに深夜のせいか、船内は静かで人もいなかった。起きている人間は夜通しカジノにでも行っているか、バーで呑んだくれていることだろう。
夜風にでも当たろうかと思って甲板に出た。そよ風が心地よく、星も綺麗だった。緊張で眠れなかった割には、なんだか得をしたような気分にもなった。
当てもなく広い甲板を歩いていると、見慣れた顔が夜空の星を眺めていた。セミロングの黒髪を潮風になびかせる女性。
「菜々さん……」
あたしが思わず言うと、菜々さんもこちらに気付いた。
「由奈ちゃん、どうしたの?」
「ああ、なんか緊張しているのか、ちょっと目が醒めちゃって」
「そう。そういうこともあるよね」
「ええ」
「……」
「……」
しばらく沈黙が続く。なんだか気まずくなったので、菜々さんと話そうと思った。
「この闘いが終わったら、菜々さんはどうするんですか?」
「どうするんだろうね、本当に。会社も無断欠席が続いているから、もしかしたらクビになっているかも」
そう言えばそうだった。あたしたちは何も告げずに姿を消しているので、少なくとも身近な人々の間では騒ぎになっている可能性が高い。
「それは、なんとか説明すればいいんじゃないですかね……」
「うん。地下格闘技に連れていかれて、非合法な試合に関与して海外にも密入国しましたって素直に告白出来ればの話だけどね」
菜々さんは困った表情を浮かべながら笑った。たしかに、仕方がないとはいえ色々と法的によろしくないことをやっているのは間違いない。
人知れず地下格闘技に関与していたなんて知られたら、あたしはまず高校ボクシングの世界はおろかアマチュアボクシングから追放扱いになるだろう。たとえそれが生きるために仕方のない手段であったとしても。
この先を考えると憂鬱になった。無事に帰ったら帰ったで、そこには新たな問題が発生する。帰った後のことを考えるといくらかげんなりした。
「私はね」ふいに菜々さんが口を開きはじめる。
「元々看護師をやっていたんだけど、仕事があまりにも激務でね。長いことずっと寝不足だった。だからどこかに遊びにいきたいなんていうのもなくて、休日はただ眠りたいって、そんな毎日の繰り返しだった」
そう言えば、前世でそんなことを言っていたような気がする。それを聞いて医療従事者って本当に過酷な環境を生きているんだってドン引きしたっけ。
菜々さんは続ける。
「割と頻繁に人が亡くなったり、家族が悲しむ光景を何度も見てきて、ああ、助けられなかった~って後悔を繰り返している内に、私の心は壊れていたみたいだった」
「……」
「ある日になって、きっと限界を超えちゃったんだろうね。仕事終わりに過呼吸みたいになって、急に死にたくなったの。本当に、この世界から消えちゃいたいって思って」
その話は初めて聞いた。ブラックな環境だとは聞いていたが、そんなパニック状態になっていたなんて。驚きを隠しつつ、話の続きに耳を傾ける。
「そんな時に支えになってくれたのがリュウ君だったんだよ。だから、彼がいなかったら私はこの世にいなかったかもしれない」
「菜々さん……」
「だから……」
ふいに菜々さんが言葉をつまらせ、両目尻から涙がこぼれ落ちる。
「彼には生きていてほしかった。たとえ世界が獲れなかったとしても、私にとってそんなことはどうでも良かった」
菜々さんはこらえきれずに嗚咽を漏らす。あたしはその姿を見て何も言うことが出来なかった。
不慮の事故とはいえ、「俺」は菜々さんを一人残して死んでしまった。ドラクエじゃないけど、「死んでしまうとは何事か」って自分を叱りつけてやりたい気分だった。
しばらくは菜々さんの背中をさすって泣かせるままにしていた。落ち着いたのか「ごめんなさい」と菜々さんがまた口を開きはじめる。
「ありがとう。ごめんなさい。ちょっとボロボロになっちゃったけど、要は由奈ちゃんには無事に帰って来てほしいの。きっと明日の相手は途轍もなく強いでしょうけど、由奈ちゃんが大怪我をしてまで助かりたいなんて思っていない。だから、勝てないと思ったらちゃんとギブアップして。お願いだから」
「うん、そうするよ」
――嘘だ。
ボクサーは敗北を拒む。そう遺伝子に刻まれている。
リングへ上がる者の多くは、単に勝敗だけを賭けているのではない。己の自尊心も含めて、文字通りすべてを賭けて闘いに身を投じている。
たとえ命の危機に瀕したとしても、あたしは自分から負けを認めるなんてことはしないだろう。
だけど、そんなことをこの場で言うほどバカじゃない。だから表面上でも菜々さんを安心させるために肯定の返事をした。
菜々さんの表情に明るさが戻る。いくらかの罪悪感を覚えつつ、それをごまかすように口を開いた。
「じゃあ、帰ろうか。明日は試合だし」
「そうだね。試合、頑張ってね」
「もちろん。KOで勝つよ!」
空元気で甲板を引き上げていく中、さっきまでなかった人影がぼんやりと浮かんでいた。別に夜の甲板に人が出て来るのは珍しい話ではないので、そのまま横を素通りする……はずが思わず足を止めた。
「あなたは……」
あたしは思わず声を上げた。
目の前に立つ女性。くノ一のようにしなやかな体、ショートカットの黒髪に切れ長の目。
間違いない。彼女は映像で何度も見直した「ラスボス」の一光だった。




