カメレオンボクサー
「どういうこっちゃ、ありゃあ」
あたしの後ろでぶーちんが叫ぶ。声がでかいから丸聞こえだった。
「周囲の風景と同化してるんじゃない?」
「いや、そういうことじゃねえよ。あいつ人間じゃないだろ」
後ろでぶーちんと菜々さんのセコンド陣営がコントみたいな会話をしている。いや、そんなことを気にしている場合じゃない。たしかにもう目の前の男はすでに人間を辞めている。
原理は分からないけど、迦米レオンは本家のカメレオンのように皮膚の色を変化させて、ホール内の風景と同化していた。
ボクシングは視覚がすべてじゃないけど、相手を見る要素が大きいのは否めない。駆け引きだってカウンターだって相手が見えるから成立するのに、相手が壁と同じ色になって風景と同化してしまえばモーションが極端に見えにくくなる。
観客が沸いている。どうやら初めて見る技じゃないのか、人気レスラーが必殺技を出した時のようにはしゃいでいる。なんでバケモノを怖がるリアクションの奴が一人もいないのか。
山中、敵にこんな能力があるんだったら先に言えよ。あたしはどこかで高みの見物を決め込んでいるであろう山中へ密かにキレる。
だけど、そんなことに集中力を奪われている場合じゃなかった。
恐ろしいほど見えにくくなった迦米は、足音まで消してこちらへ距離を詰めてくる。このままやられるわけにもいかないので、反撃しないといけない。
身体を振って、ガードを上げる。だけど、出どころの見えにくいジャブでいとも簡単に頭を撥ね上げられる。
相手が見えない。あたしは思わずレフリーに抗議する。
「レフリー、ちょっとあれは反則なんじゃないの?」
「何の規定に?」
まさかのド正論で返されて、あたしは言葉を失う。たしかに『皮膚の色を変えて景色と同化してはいけない』とはルールブックのどこにも書いていない。いや待て。それを言ったらかめはめ波が撃てたら反則にならないのか。
理不尽ではあるけれど、グレーなルールでレフリーがOKと言うのであればもうどうしようもない。ましてやここは公式のからまない地下ボクシングだ。
見えないところから次々とパンチが飛んできて、かろうじてガードしたかと思えば最後の一発をもらう。クソ。見えないんだよ。
目の前の無人にも見える風景のところどころがバグったみたいに揺れる。右に左に、透明人間からいいように殴られているみたいだった。
どうしよう、このままだとやられちゃう。
そうだ、肉眼で見ようとするからいけないんだ。心の目で見て、そこへパンチを放つんだ。
苦しまぎれに出てきた無謀な中二病作戦。目をつぶった瞬間にワンツーを打ち込まれて尻餅をついた。
「ダウン!」
――ダメじゃん。
カウントを数えるレフリーを見上げながら、絶望的な状況に気が遠くなる。
観客が騒ぐ。クソ、また倒された。
不幸中の幸いはそこまでダメージが深くないところだ。これで失神KOなんてされていたら赤っ恥もいいところだった。
レフリーにファイティングポーズを取る。試合が再開された。
イキった輩たちがあちこちから盛大に野次を飛ばしてくる。腹立つな。一人一人引きずり回してやりたい気分だけど、そんなことをしている場合でもない。敵は目下あたしを倒しに来ている。
だけど、考えてみればグローブだけは隠れていないわけで、それらは中空に浮いた形で見えている。なぜそれだけ隠れないのかと思ったけど、迦米の私物ではないことも関係あるんだろうか。
いずれにしても、このグローブ二つが見えているのは大きい。相手はバケモノだけど、ジオングみたいに手が外れるわけじゃない。いつもは相手の全身を見て闘うけれど、迦米レオン相手にはグローブの位置を見ながら身体の部位がどこにあるのかを類推するしかない。
ジャブが飛んでくる。膝の動きも見えないので、いきなり拳が迫ってくるように感じる。想像以上にやりにくい。だけど、よく見れば倒せない相手ではないはず。……願望だけど。
ひとまず反撃の糸口を見つけたあたしは、反撃を開始することにした。
虚空に浮いたグローブを中点にして、その周囲を高速でグルグルと回る。相手がどこにいるかも分からないけど、ジャブを音速で打ちまくった。拳を握るタイミングは分からないけど、時々ナックルの部分にゴツっという感触があるのでたまに当たっているんだろう。
慌てているのか、グローブがアワアワしたような動きで宙に浮いている。距離を詰めて、そのど真ん中に右ストレートを放った。
たしかな手ごたえ。右が迦米の顔面をとらえたのが分かった。その瞬間、思いがけない幸運があたしに舞い降りる。
マットに紅い液体がポタポタと落ちていく。
鼻血――あたしのストレートは、迦米の鼻から出血をさせていた。




