取り引き
自分のいびきがうるさくて起きた。
車はまだどこかを走っている。アイマスク越しに光を感じないので、まだ夜みたいだった。
ここはどこなんだろう。少しでもヒントを得ようと、寝たフリを継続しながら周囲に耳を澄ませる。だけど、そもそも会話すらしていないのか、車の走る音ぐらいしか聞こえない。救急車のサイレンすらなかった。
あまりにもノーヒント過ぎて、知らぬ間にガチで二度寝していると起こされた。かすかな光と、日光の温かみを肌に感じる。知らぬ間に夜は明けていたようだった。
目隠しを外すと、寂れた郊外って感じの街並みが見えた。目の前には古臭いビル。あちこちに細かいヒビが入って、経年劣化による変色も見られた。年季の入った建物のようだった。
――うん、なんか邪魔な人間を消すのにちょうど良さそうな場所だよね。
縁起でもない思考が他人事のように脳裏をよぎっていく。ふざけている場合じゃないけど、ふざけていないとやっていられなかった。どうあっても他人事でいてほしかった。
で、ここはどこなの?
電柱とかにヒントがないかなって思ったけど、それを見越してかスーツの男たちに視界を塞がれる。
半ば小突かれるようにビルの中へと入っていくと、いかにも廃ビルですという感じで中も荒れていた。待合室の植物は枯れていて、なんでか真ん中あたりからへし折れていた。まるであたしの未来を象徴しているみたいに。
あっちこっちのガラスにはヒビが入っているし、受付のカウンターみたいなところには血の痕なのか、ドス黒いシミがポツポツとある。飲みっぱなしの酒瓶やら缶が転がっていて、まあ荒れているなという印象しかない。
スーツの男たちに囲まれて、エレベーターまで歩いていく。明らかに廃ビルにしか見えないのに、エレベーターはちゃんと動いていた。電力はどこから来ているんだろうか。
殺されるかもしれないせいか、どうでもいいことばかりが脳裏をよぎる。これが現実逃避というやつか。
エレベーターに乗って地下へ行くと、偉い人の事務所みたいな部屋へと通される。
ここで拷問されてから生きたまま解体されるとかないよね……。半ば祈る気持ちでドアを開けた。
「おう、ようやく来たか」
部屋の奥では机に足を乗せてくつろぎ、紫煙を吐き出す山中がいた。
「ご苦労だな、まあ、そんなおっかない顔をしていないで座れよ」
プロレスラーの襲撃にでも使ったのかと訊きたくなるようなひしゃげたパイプ椅子を進められる。席に着いて、山中と机越しに正対する。山中も姿勢を直して、二人の周囲を黒スーツの男たちが囲う。
「長い道をご苦労なこったな」
「菜々さんはどこ?」
「まあ、そう焦るな」
山中は余裕をかまして、タバコの煙を吐き出す。自然とあたしの中にも殺意がメキメキと育っていく。
「ああ、そうしていると確かにおっかない顔だな」
山中が嬉しそうに言う。灰皿に吸い殻を押し付けると、再び口を開く。
「今回来てもらったのは他でもない。この前に話したボクシング興行の話だ」
「言ったでしょう? あたしは非公式の大会には出ないよ」
「まあ、話を聞けよ」
山中は小指で耳クソをほじくってから続きを言う。
「俺のやっている興行にはな、いわゆるワケアリの選手たちが揃っている」
「ワケアリの選手?」
「そうだ。ボクサーには闘争心が不可欠だが、時々それが原因で道を踏み外す奴らがいる。分かりやすく言えば一般人を喧嘩でブチのめしたとか、付き合っている女や妻へ暴力を振るったとか、その他にも犯罪で道を踏み外す奴らは腐るほどいる」
あたしもそういう話は聞いたことがある。雑誌やスポーツ新聞に載るようなやつもあれば、関係者だけで知られていて表面上は穏便に闇へ葬られる事件もあるって。
どれも噂レベルの話でしかないけど、ならず者が成り上がるスポーツという側面がある性質上、社会の一般常識やら法律が守れない人たちが一定数存在するのも事実。まあ、そういう人は消えていくだけなんだけど。
山中が話を続ける。
「道を踏み外してボクシング界から追い出される奴らには、当然のことながらかなりの才能を持った奴らもたくさんいる。そこで俺は考えたんだ。どうにかして彼らと一儲け出来ないかってな」
「それで、どうしたっていうの?」
「まあ、見た方が早いだろう」
山中がアゴをしゃくると、黒スーツの一人がリモコンを操作した。すると、山中の後ろにあった壁が上へとスライドしていく。
壁が上へと移動すると、それとともに騒がしい人々の声が聞こえはじめた。壁の向こう側は巨大な窓になっていた。なんて言うか、天皇試合の特別ルームみたいな感じ。
「見てみろよ」
山中に促されて、あたしは窓へと歩み寄る。窓の下には後楽園ホールを華美なスラム街にしたような景色が広がっていた。
部屋の中央にはリングがあって、その真上には悪趣味なミラーボールが回っている。リングの周囲には、いかにもガラの悪そうな男たちが酒を飲みながら騒いでいる。
「なに、これ……?」
「これが俺の興行だ」
山中はドヤ顔で言う。
リング中央ではボクサーらしき二人が闘っている。
「なんか、明らかに体格違くない?」
思わず首をかしげながら試合の行方を見守る。
片や明らかに調整不足のデブ。もう片方はゴボウみたいに痩せ細ったボクサーだった。
ボクシングは体重によって階級が分けられている。極端な話、ミニマム級とヘビー級の選手だと試合が一方的になりすぎるせいだ。だけど、目の前の二人は明らかに違う階級の選手同士が闘っているように見える。
試合は長身のゴボウが遠くからパンチを当てまくり、デブが背を向けて逃げようとしているところで容赦なく後頭部を殴ってノックアウトした。
「ちょ……反則じゃん」
「普通のボクシングではな。ありゃあ背を向ける方が悪いよ」
山中は何でもないことのように言う。たしかに試合中に相手へ背を向けるのは問題外だけど、だからと言って後ろから殴って倒していいわけではない。どんな格闘技にもルールはある。だからこそ格闘技はスポーツでいられるのだ。
「このヤバい試合に出ろってこと?」
「ご名答。君が賢くて良かった」
「冗談でしょ?」
「冗談でここまで連れてくると思うか?」
あたしは思わず言葉を失った。
地下格闘技というか、非公式の裏興行があることは聞いたことがある。だけどどれも都市伝説のレベルというか、本当に存在しているのかも疑わしい内容の話ばかりだった。
あまりにも現実感がないので呆然としていると、山中が再び口を開く。
「時間もないから手短に説明しよう。見ての通り、ここの大会は非公式に行われている。関係者以外は存在すら知らない。だから君が知らなくても無理はない。そして、この興行では賭けも行われている」
「犯罪じゃん」
「誰にも迷惑はかけてねえけどな」
「そういう問題じゃないでしょ」
「まあ、話は最後まで聞けよ。君にはこの試合に出てもらう。ここで男女の区別はない。何しろ君が最初の女子選手だ。区別のしようもない」
「無茶苦茶だね」
「ああ、無茶苦茶だ。だがそれがどうした? ここは俺のシマであり、俺がルールだ」
山中は咳払いしてから続ける。
「さっきも言ったように、この興行では賭けが行われている。君が出る試合も例外ではない。男と女が格闘技で闘ったらどうなる? まあ、誰も女が勝つとは思わねえだろうな」
「まあ、そうでしょうね」
中身は世界ランキング1位の男だけどね、とは言わなかった。
「そこでだ。俺は君に大金を賭ける。アホたちは男の方に有り金全部を賭けるだろう。そこで君がスカっと相手をぶっ倒す。それだけで俺は大儲けだ。分かるか?」
「分かるけど、ずいぶんと実力を買ってもらえているんだね」
「ああ、そりゃもう。俺自身がボクサーだったからな。君の実力が異常なことぐらいにはとっくに気付いている。だから思ったんだ。お前を使えば金になるってな」
知らぬ間にあたしは「君」から「お前」に変わっていた。だんだんとこの男の本性が見えてきた気がする。
「それで、その試合に勝てば菜々さんを返してもらえるの?」
「そうだ。だが一試合だけじゃない。この裏ボクシング興行はトーナメントになっている。そこで優勝すれば晴れて二人とも自由の身だ」
「トーナメント、ねえ……」
なんか、本当にヤバい奴らばかりが出て来そうな気しかしないんだけど、大丈夫なんだろうか。
「一応聞いておくけど、蹴ってくる選手はいないよね?」
「安心しろ。裏社会の興行でもルールはある。何しろ賭けが行われているからな。体裁上はボクシングの試合になるさ」
そうは言っても、さっき後頭部を殴ってKOしている選手を見ているので説得力がゼロなんですけど……。
まあ、なんだか分からないけど、要はあのヘンテコなボクサーもどきを全部倒してくればいいんでしょ?
「しょうがない。じゃあ、このトーナメントで優勝したら、今後あたしや菜々さんには関わらないで」
「いいだろう。ご祝儀代わりにファイトマネーも出してやるよ」
山中がしめたという顔で口角を上げる。なんか嫌な予感しかしないのは気のせいだろうか?
かくしてあたしは謎の地下ボクシングの闘いに身を投じることとなった。




