山中が来た
練習が終わると、自販機でスポーツドリンクを買う。死ぬほどキツい練習をすると、どうしてかこれが世界で一番おいしい飲み物になる。前世でも酒は好きだったけど、練習直後はビールよりスポーツドリンクの方が断然おいしく感じられた。練習している間に流れていった成分が補給されるからだろう。
「楓花も今頃は死ぬ気で練習しているんだろうな」
誰にともなくひとりごちる。インターハイの決勝で当たった天城楓花は文字通り前世からの因縁でずっとライバル関係が続いている。
アホみたいなパンチ力を持った彼女は、転生先の高校であたしに負けないくらい死ぬ気で練習しているはず。同じ人間が次の国体でやって来るとは思わない方がいい。
スポーツドリンクを飲みながら校門を出ると、やたらと高そうな車が停まっていた。左ハンドルで流線形のフォルムをしたスポーツカー。車は疎いけど、これがアホみたいに高い外車であることぐらいはあたしにも分かる。
こんな車がごく普通の高校の前に停まっているのだからかなり浮いて見えた。誰かお嬢様系生徒の送迎か何かだろうか。語尾に「ですわ」とか付けてるような(←偏見)。
「志崎由奈だな」
ふいに死角から声をかけられてビックリする。車に気を取られていたので完全に油断していた。
なんで呼び捨てなんだよ。
そう思って声のした方を見やると、うさんくさい男が立っていた。
オールバックに高そうな黒スーツ。やや小物っぽい空気はまといつつも、やたらと目つきだけは鋭かった。
――うん、何て言うか、その筋の人かな?
「誰?」
塩対応で答えると、オールバックはいかにも怪しい人間がするように語りはじめる。
「俺は山中。ボクシングのプロモーターをやっている」
山中はいかにも自分が大物であるかのような態度を取っていた。
「プロモーター? あなたが?」
思わず本音が出る。ボクシングのプロモーターはそうたくさんいるわけではなく、狭い世界なので試合を続けていればどこかで見たり会ったりする場合も結構ある。
だけど、目の前の反社会勢力めいた男は「前世」の現役時代に見たことも聞いたこともない。そうなると自称プロモーターの詐欺師か、業界ゴロのたぐいではないかと思った。
――こいつを相手にしてはいけない。
あたしの本能がそう言っていた。
「ごめんなさい。あたし、バカだから難しいことは分かんない」
「ああ、悪かったな。それじゃあ分かりやすく言うようにするよ」
言外に「あなたとは話しませんよ」と含んだのを知っていながら、この男はズカズカと入り込んでくるつもりのようだった。
あたしが遠慮なく注ぐ冷たい視線にも動じず、山中と名乗った男は説明を始める。
「単刀直入に言おう。プロになる気はないか?」
「ごめんなさい。それは考えていないの」
「君の力は高校の狭い世界ではあまりにも突出している。そこだけの世界で終わらせるのはあまりにもったいない」
「そんなことはない。だって、天城楓花っていうライバルがいる」
「ああ、だが他はどうだ? 少しでも君の相手になる選手はいたか?」
あたしは口を閉ざす。なんだ、このああ言えばこう言う男は。
ゴチャゴチャ言ってるとぶっ飛ばすよ? と思ったけど、それをやるとガチの不祥事になってアマチュアボクシング界をご卒業になってしまうので腕ずくで解決ともいかない。
「何が目的なの?」
いくらかうんざりしながら訊く。
「よく訊いてくれた。俺は独自にボクシング興行を展開していて、その旗揚げ試合に必要な選手に声を掛けて回っている。志崎由奈、君の知名度は抜群だ。ライバルの少ないアマチュアの世界を飛び出して、プロの方でもっと大きな花を咲かせないか?」
「悪いけど、興味ないかな」
音速でお断り。こいつはヤバい奴。あたしは早々に背を向けて歩き去る。
山中の言う独自のボクシング興行とは、おそらくJBC(日本ボクシングコミッション)の認可していない興行を指す。今のプロボクシングに関する規定では、JBCの認可していない興行をボクシングと呼ぶことは許されておらず、それに関わった業界の関係者はボクシング界から排除されることになる。闇営業をやった芸人がテレビに出られなくなるのと似たようなものだ。
これはネットテレビでボクシングを標榜する興行が開かれたことが問題視された結果起こったルールだった。
一般的な視聴者にとって公式の大会と非公式の大会は見分けがつかず、非公式な大会で問題が発生するとボクシング界全体の評判が下がってしまう。そのために不文律であったものが明文化された形になる。
ボクシング関係者にとっては常識レベルのルールだけど、それを堂々と破るような興行を計画している時点でこの男のヤバさは疑いようもない。何も知らないあたしを自主興行に出して、アマにもプロにも戻れなくしてから自分の駒として好き勝手に使うつもりに違いない。
さっきの説明ですぐそれが分かったので、あたしはこいつを相手にしないことにした。前世の記憶万歳。
「君の強さがあれば、今の世界チャンピオンを遥かに上回るファイトマネーだって出せるぞ」
「それは嘘だね。女子の試合にそんな大金が流れてくるはずがない」
ボクシングはなんだかんだ男が主役のスポーツだ。いくら男女平等が叫ばれていても見る側がそう思っているんだからどうしようもない。
「ウチの興行は他のところとはまるで別物なんだ。頼むから、話だけでも聞いてくれないか?」
「しつこい。警察を呼ぶよ」
必殺、通報。こういう奴らは警察を心の底から恐れている。
実際に山中は警察という単語が出た瞬間に静かになった。あたしは早く人のたくさんいる方へ行こうと速足で帰路を進んでいく。
「また来るよ。俺は簡単に諦めないからな」
あたしは答えずに歩みを進める。なかなかヤバい奴に出会ったな。
禁じられた自主興行に有名なJKボクサーを呼び込むとか、もはや狂気の沙汰としか思えない。絶対関わっちゃダメな奴でしょ。
しかもまた来るとか言ってるし……。毎日こうやって声をかけられると思うとウンザリするな。
今後は気を付けよう。




