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両眼

モトキとヒカルは美術室で……

○両眼


 シュッツ、シュッツ


 誰も居ない美術室に鉛筆を走らせる音だけが響いていた。モトキは時間も忘れて石膏像を模写していた。


「ねえ? いつまで描いてるの?」

「う、うわあ〜、って! ビックリさせるなよ〜」

「ご、ごめん……で、でも一応、声は、かけたんだよ?」


 誰もいなかった筈の美術室にいつの間にかヒカルの姿があった。今日は吹奏楽部の活動はどうしたのだろう……?

 モトキは鉛筆を止めるとヒカルへと座り直した。


「私も美術の課題が進んでいなくって……」

「それで、放課後に描こうって思った訳?」

「うん、そう……」

「そうしたら、まさかの俺が居た……と? まあ、そんなとこか?」

「うん、ビックリしちゃった」


 驚いたのはモトキの方だと思っていたのに、実際には、ヒカルの方も驚いたと言う。ヒカルはゆっくりと荷物を下ろすと、モトキの近くまで椅子を寄せた。


「私も一緒に描いていい?」

「ああ、まあ、良いよ……。んで? どこまで進んでるんだよ? ヒカルは?」


 モトキはヒカルの画用紙に目を向けた。ヒカルが用意した画用紙には、石膏像の輪郭らしきものが見えるだけだった。ヒカルはモトキの視線も気にせずに鉛筆を取り出した。


「お前、今日はそれで、どこまで描くつもり?」

「う〜ん、分かんない」

「分かんないって、お前なあ〜」


 ヒカルは女の子で一人っ子だった。モトキは子供の頃からよく一緒に遊んでいたからヒカルの家にも何度も遊びに行っている。確か、ヒカルが中学生になってからは門限もできた筈だったけど……。モトキは、チラチラとヒカルの表情を覗き込んだ。

 ヒカルはモトキの様子にもお構いなしで石膏像と睨めっこをしていた。


(まあ、いいか……いざとなったら、俺が一緒に行って説明すれば……)


 モトキは一人で納得すると椅子を再び石膏像へと向け直した。


 シュッツ、シュッツ、シュッツ


 二人だけの音が教室の中に鳴り響いて行く。いくらか時間が経った頃だろうか、職員が見回りにやって来た。二人はそれに促されて、帰り支度を始めた。ヒカルもモトキも綺麗に整頓を済ませると美術室の明かりを消して扉を閉めた。


「帰るか?」

「うん」


 昇降口へと続く廊下と階段の明かりはまだ点いたままだった。昇降口にはまだまだ部活動帰りの生徒たちの姿が見えた。

 モトキは、サトシたちは居ないかどうかキョロキョロと視線を送った。


(珍しいなあ〜、サトシの奴……今日は居ないのか?)


 ヒカルはモトキの様子にも何も示さずに、昇降口を出たところでモトキを待っていた。ヒカルは、時折、すれ違う女生徒に手を振っている。モトキは、ヒカルが自分を待っているのだとようやく気づいた。


(俺を待ってくれているんだよなあ……?)


 モトキは靴を履き替えると慌てて荷物を掴んだ。ヒカルはそれを見届けると校門の外へと歩き始めた。モトキは、急いでヒカルの隣へと駆け寄った。


「ごめん、俺を待っててくれたろ?」

「うん」

「悪いな」

「ううん」

「そっか」

「うん」


 モトキは久しぶりのヒカルとの帰り道だった。小学生、それよりもまだ小さい頃は、毎日のように手をつないで一緒に家に帰っていた。それがモトキには当たり前の日常だったから、中学生になった途端に変わってしまった二人に微妙な距離を感じていたのだった。


「親父さん元気?」

「うん? お父さん?」

「そう、ヒカルの親父さん」

「うん、元気だよ」

「おばさんも?」

「うん、お母さんも元気……」


 ヒカルはそう言おうとして、何かをモゴモゴと口を噤んだ。モトキはそれを見逃さなかった。


「なあ? 俺もついて行っていいか? お前のうち」

「えっ?」

「久しぶりに親父さんにも会いたいしさ」

「う、うん。いいよ」


 ヒカルは、少し困ったような顔をした。何か言えないことでもあるのだろう……モトキは、話題を変えて帰り道を歩いた。


 ヒカルの家に着くと、道路の向こうから手を振って近づく男性に気づいた。


「やあ、珍しいな! モトキくんじゃないか。元気だったかい?」

「ヒカルのおじさん、こんばんわ」

「お父さん、ただいま」

「ああ、ヒカルもおかえり。どうしたんだ? 今日は? 珍しいじゃないか?」

「えっと、今日は、美術の課題に二人とも居残りしてて……」

「美術の課題? ほう〜、感心じゃないか、二人とも」


 ヒカルの父親は、機嫌良く二人を迎え入れた。モトキは笑顔を返しながらもヒカルの様子を観察していた。ヒカルは、いつも通りに見えていた。


「ああ、ヒカル……母さん、まだ、ちょっと熱があるみたいなんだ」

「うん、分かってる……」


 ヒカルは慣れている様子でテキパキと手を洗っている。食卓にはすでに食事の用意は整っていた。


「おじさん、今日は、お仕事は?」

「ああ、今はね、おじさんの会社も出社と在宅と選べるんだよ」

「お父さん、お母さんが熱を出してからはずっとお家で働いているの」

「へえ〜、そうだったんだ……」

「なあ? モトキくん? 今日はうちでご飯を食べていかないか? 久しぶりに野球観戦に付き合ってくれよ? なあ? 前みたいに」


 ヒカルの父親は学生の頃に野球をやっていたそうで野球を観ることが好きだった。ヒカルも何度も野球観戦に連れて行かれていたが、モトキと仲良くなってからはモトキがよく相手を務めていた。


「この頃、急にモトキくんと遊ばなくなっただろう? ヒカルは? どうしたんだよ? まったく」

「べ、別に……そんなこと、ないよ」


 ヒカルはムッと頬を膨らませた。モトキは少し怒った顔のヒカルも可愛いなと思った。


「お父さんのお気に入りなのよ、モトキくんは……」


 ヒカルはちょっと困った顔をしてモトキにそう告げた。


「ああ、でも……今夜は、おばさんの様子も心配ですし。僕は、帰った方が良いのでは……?」

「なあんだ、そんなことか?」


 ヒカルの父親は台所から姿を消すとヒカルの母親の様子を見に行ったようだった。少しだけ間が空いてヒカルの母親と一緒にリビングへと戻って来た。


「まあ、いらっしゃい、モトキくん。元気だった?」

「こんばんわ。お邪魔しています」

「あら、いいのよ。いつも通り気楽にしてね」

「おばさんは、体調は大丈夫なんですか?」

「あら、心配してくれるの? うふふ。全然、心配いらないのよ」


 ヒカルの母親はそう答えると、体を重そうにしてソファーへと座り込んだ。ヒカルも同じようにしてソファーへと座った。


「まだ、安定期に入っていないから公にはしていなんだけどね……」

「お母さん、妊娠してるみたいなんだって」

「えっ!? ま、マジっすか?」

「ねえ、ビックリするでしょう?」


 ヒカルの母親は恥ずかしそうに笑った。ヒカルの父親も妻に寄り添うようにしてソファーに腰を下ろした。モトキはいたたまれなくなって、床に突っ立ったままだった。


「そんなこんなでみなに迷惑をかけちゃってて……」

 ヒカルの母親は笑いながら言う。モトキは帰るタイミングを完全に失っていた。まさか、こんな展開になるとは……モトキは目を見開いてヒカルの様子を伺った。

 ヒカルは困ったような顔をして、口を開いた。


「ねえ、モトキくん? 私の部屋でお話しする?」

「えっ?」

「えっ? って、嫌なの?」

「いや〜、嫌と言うか……べ、別に……」

「お父さんは? 良いでしょう?」

「ああ、野球を観れないのは残念だけど……」


 ヒカルの母親は、ギュッと夫の膝をつねった。


「アウチッ!」


 ヒカルの父親は痛そうに顔をしかめると、二人に行きなさいと手を振った。ヒカルもモトキも笑いを堪えて、二人でヒカルの部屋へと向かった。


 ヒカルは先にモトキを部屋に入れると、飲み物を取りに台所へと戻って行った。モトキは、その間に家族へと連絡を済ませた。母親のテンからは、後で、ヒカルのご両親へお礼の連絡を入れるからと返信が届いた。

 モトキは、端末をしまうと、ベッドを背もたれにして床に座った。


「あんまし変わってねえなあ〜」


 小学校を卒業して以来、ご無沙汰だったヒカルの部屋……。何かが変わったようで、変わっていないような不思議な感覚がする……。


「まあ、ヒカルだしなあ……」


 モトキはそのままベッドに首をガクッと倒して天井を見上げた。


「なあ〜にを見てるの?」


 音もなく部屋に入ったのだろうか? 目の前にはモトキを真上から覗き込むヒカルの顔があった。


「おい、驚かすなよ〜、お前、忍者かよ?!」

「う〜ん……だって、ここは、私の部屋だし〜」

「誰かいるんだからノックぐらいしろよな〜」

「モトキくんでも?」

「俺なら良いのかよ?!」

「フフフ」


 モトキはヒカルが機嫌を直したようでホッとした。ヒカルは座卓の上を片付けると持って来た飲み物とおやつをテーブルの上に並べた。


「ご飯の方が良かった?」

「いや。俺もお袋が飯作ってるし、家に帰って食べるよ」

「ねえ、モトキくん?」

「なんだよ?」

「いつからお母さんのことお袋って言うようになったの?」

「い、いつって……べ、別に、良いだろう……?」

「なんかそう言うのって……ちょっと寂しかったなあ」

「さ、寂しい? な、なんでだよ?」


 ヒカルはカップを手に取ると両手でカップを包み込んだ。ふーっ、ふーっと息を吹きかけながらヒカルは言う。


「だって……」


 ヒカルは言いたそうで、言いにくそうで、モジモジとしている。モトキは、幼い頃の癖がそのままのヒカルに少しだけ安心した。


「俺だって、男だぞ。いつまでもガキで居られるかよ」

「そ、そういう風に言わないでよ……」

「お前のことをガキだって言ってるんじゃないぞ?」

「えっ……?」

「ヒカルは、ヒカルだろう? お前だって変わってんじゃん?」

「ど、どこが……?」


 モトキは、学校で、いつもサトシの様子を目で追いかけるヒカルの様子を思い浮かべた。


「自覚ないのか?」

「えっ? 何が?」

「サトシのこと、いっつも見てんじゃん? お前?」

「ええっ!?」

「誰にも気づかれていないと思ってたのか?」

「……う、うん」


 ヒカルは目を伏せて全身をモジモジさせながら頷いた。


「好きなのかよ? サトシのことが?」

「えっ……っと。ま、まだ……」

「分からない?」

「う、うん……」


 ヒカルは戸惑いながら一口飲み物を口に含んだ。モトキはヒカルを見つめながら話しかけた。


「サトシはいい奴だよな。よく気がつくしさ」

「うん、そう。私のことも助けてくれるし……」


 ヒカルはこれまでに気づいたサトシからのさり気ないお助けな出来事をモトキにも話した。モトキは、うんうんと頷きながらヒカルの話を聞いた。


「それで、好きだって気づいた訳か?」

「うん……。でもね……」

「でも、何だよ?」

「モトキくんに話していて気づいたこともあるの……」

「何だよ? それ?」

「う〜んと……尊敬? 憧れ? やっぱり、尊敬なのかも……サトシくんのこと」

「尊敬?」

「うん」


 モトキは姿勢をまっすぐにして前を見据えるヒカルの顔を見ていた。さっきまでとは違ってヒカルは意志がハッキリとしている。


「俺は、お前が好きだよ。ヒカル?」

「……」

「聞こえてるだろう? ヒカル?」

「……う、うん」

「無視すんなよ?」

「無視じゃないよ……」

「じゃあ、固まってる?」

「うん……」


 ヒカルはコトンっと両手に持っていたカップをテーブルに戻した。それからゆっくりとモトキに顔を近づける。モトキはギョッと体を後ろへと仰け反らせた。ヒカルはそのままジーッとモトキの顔を見つめた。

 いくらか時間が経っただろう……。モトキの端末がブルブルと立て続けに震えた。モトキはズルッと体勢を崩して、床に仰向けになった。

 ヒカルはモトキのポケットからずり落ちた端末を拾い上げた。それを手に取ると表示された画面を読み上げた。


「サトシくんからよ、出る?」

「ああ、うん。任せる」


 ヒカルは返事を聞くと画面のロックも掛かっていないモトキの端末を操作した。ヒカルはスピーカーをオンにするとモトキへと差し出した。


「おい、モトキ? お前、どこで何してんだよ?」

「はあ? 何だよ、サトシ? 何か用かよ?」

「いや、まったく」

「はあっ!? じゃあ、なんで電話してくんだよ?」

「何してるかな〜って思ってさ」


 モトキは体を起こすと端末を手に取って叫んだ。


「いま、多忙中!」


 モトキは通話をオフにすると端末を床に放り投げた。


「いいの?」

「ああ、いいの、いいの。サトシとはいつもこんなだから」

「男の子って楽しいね?」

「そうかあ〜?」

「うん、いつも楽しそうでいいなあって……」

「ヒカルは? 楽しくないのかよ?」

「う、ううん、別に……。楽しいよ」


 ヒカルはクスリッと小さく笑って見せた。モトキは健気なヒカルが可愛いなと想った。


「なあ、ヒカル?」

「えっ?」

「返事……」

「返事……?」


 モトキはヒカルに向き合って、両肩へと手を置いた。ヒカルは驚いたようにモトキを見上げた。


「返事、聞きたい」

「うん……」


 ヒカルは視線を横にずらすと、顔を赤く染め上げた。逡巡する様子を見せると、ヒカルは、意を決したようにモトキへと視線を戻した。


「あ、あのね……」

「うん……」

「あ、あのね……」

「うん……」


 モトキは促すようにしてヒカルの両肩を揺さぶった。ヒカルは再びモトキを見つめた。モトキは真っ直ぐにヒカルの両目に映る自分の姿を見ていた。

ヒカルの返事を待つモトキは……

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