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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕の生き方

作者: 喉仏

2009年に産まれた。早生れの子供。

名前は「はると」にでもしようか。

なんとも残酷な人生の始まりだ。まぁまだ分からない。

人生どうなるか分からないしな。


父親は薬物中毒。

母親は産後鬱


父の周りにも薬物中毒者しかいなかった。

時には日本刀を持って扉を開けた日もあったらしい。

母親には時々DV。おれは産まれて病院から退院した後その日に父から焼酎をスポイトのようなもので口に入れられたらしい。ただの遊び半分だったようだ。なんとも信じられない。

まだ希望はあるかもしれない。


1歳になる頃には俺は泣き虫だったようで、寝かしつけるのにも大変苦労したらしい。随分と母親には迷惑をかけている、現在進行形だが。

トイレに行って咳をするだけでも目を覚ます。

そんなめんどくさいガキだったのだ。

俺なら育児放棄してもおかしくない。しかも産後鬱なのに…なんて可哀想なんだ。


かれこれそんな日も続いた。

前は家族3人でアパートで暮らしていたが、

父型の叔母の実家、マンションで暮らすことになっていた。

母親は産後鬱はだいぶ収まったらしく、水商売を始めた。俺を養うためだ。水商売と言っても、体売りではなく、キャバクラに近いバーで働いていたらしい。

その頃から父は家からいないことが多く、どこかに行くことが多かったのだとか…怪しさ満点だ。

この頃ぐらいに父は浮気をしていたらしい。

相当は母は傷ついていた。

2歳になった頃ぐらいか、しばらくすると父親は捕まっていた。幼い俺はなんで居なくなったかは理解出来ていなかった。薬物所持なのか使用だとかは未だにわかっていないけれど、父とはしばらく疎遠になった。

父が捕まってからもしばらくは実家に泊まっていたのだが、何らかの事情が起きて、母型の実家、団地にいくことになった。3歳の最後頃、そこから幼稚園に通い始めた。

この頃には少し今でも記憶に残っている部分がある。

幼稚園に通う事になった日の朝、幼稚園を見学することになった。その時はまだみんなお昼寝の時間だった。少しの不安はあったと思うが、それ以外のことはもう覚えてはいない。


その次の日から幼稚園に通う日々が始まった。

歳として4歳だったのだろうか。詳しくは覚えていない。

どうやって仲良くとかは覚えていない。ただお昼寝の時間が楽しかった。布団に潜って友達と喋るのが楽しかった。その時はお昼寝とおやつ以外は苦痛だったけれど、これこそ今思えば良かったなぁと思える瞬間だ。


その時ぐらいからおれは母と別れる悲しみを知った。

母は夜仕事に行くので俺にとっては尚更悲しい事だ。

おれはこれに10年近く悩まされてきていた。

毎晩泣いていたと思う。何とかして母親が帰ってくるまで起きておこうだなんて考えていた日もあった。結局無理で、寝てしまうだなんてことも多かったが、今思えばこれが身長が伸びない原因でもあるのかもしれない。


曖昧だけど、ここぐらいだろうか、この歳の頃ぐらいから従兄弟のたかのりと仲良くするようになって言った。


幼稚園に通い始めてから、少し慣れた頃、おれは先生の胸ばかり見ていた。その頃は夢でみんなでお風呂に行く夢を何度か見ていた。当たりの夢だ。

ハズレの夢は何個かある。母親がお化け屋敷に連れていかれもう二度と会えないとされる夢。

この夢には何度も苦しめられた。少し大きくなってからも見ていた気がする。

そして実家の周りを夜中俺が徘徊していると、迷って団地の最上階64階の工場のような場所に行き、二度と家に帰られなくなる夢。

このふたつの夢は何度も繰り返して見ていた。

どちらも夜には親がいないのが関係しているのかもしれない。涙が枯れるくらいに悲しい思いをしていたと思うこの当時の俺は、小さい俺には耐えきれたかった。


そして少し経つと、幼稚園でいじめられることになった。なんでか分からない。身長が低いから?なんでかは覚えていないけど、おれは何とか仲良くなろうと必死だった気がする。何度も幼稚園で泣いて、恥ずかしい思いをしていた。母とは夜別れる。幼稚園に行けば虐められる。そんな毎日を送っていたおれは結局耐えきれなくなり何度も母に反発した、「幼稚園には行きたくない」と、当然母は無理にでも連れていった。今思えばそれは正解だったのかもしれないな〜。けれどそれを忘れるような友達が出来た。それはなおひとだ。

彼も身長は低いが、頭は良かった。幼稚園で2000×2000の計算ができていた。俺には尊敬と信頼が入り交じっていた。


母親にそのことを相談する日があった。仕事もあって忙しい母はなにも言わずに聴いてくれた。

母は母なりに相当頑張っていた。

誰にも褒められず、生きていく自分、何度も自分を見失うことも多かったのかなって思うな。


母はこう言った。

「はるとが正しいのだからなにも気にする事はない。」

正直おれは嬉しかった。ああ、俺が正しいのならなにも気にする必要はないんだなって…

その当時はそんなに考えてはいなかったと思うけど、今の言葉で言えばそんな感じなんだろう。

おれは次の日どこで見たのか、いじめっ子の指を噛んだ。当然相手は泣いて叫んだ。おれはその時何となく罪悪感と、爽快感が混じっていた。

その後すぐに相手の親と俺の親が来て、話し合って解決した。その日から仲良くなった。

だけどちょっとたった日に次はなおひとがいじめられた。おれは小さいながらも何となく、辛かった。

目の前で大切な人がいじめられている光景なんて見なくなかったし、見るとは思っていなかった。


でも俺は見て見ぬふりをした。

今思えば最低だ。

それを母に当時話した。母言った。

「あなたが辛いとか守ってあげたいとおもうなら、助けてあげなさい。」

そう言われておれは次の日なおひとを守った。

「やめて!俺の親友だ!」そんなかっこいいセリフを吐いて俺となおひとは親同士も仲良くなって親友となった。なおひとは本当に良い奴だった。一緒にゲームもしたし、話だって合った。

おれは本当に大切な人だった。


そんな中初めての運動会。おれの母とどちらの叔父叔母、それに親戚と結構来ていた。そんな中おれはは競走でみんなが走っていく中ゴールした後先生のところに行くので、俺も恥ずかしながらもそこに行けばいいのかなと思うとどうやらショートカットしてしまったらしい。なんとも恥ずかしい思いをした。これは結構先まで家族に擦られたネタだ。

この時はまだ幸せだったのかもしれないな。


6歳の時には、父親も1度帰ってきて初めて雪が積もったのだろうか?

あまり覚えていないが、雪が積もっておれはすごく嬉しかったと思う。最初素手で雪を掴んでいたけど次第に冷たくなって、父親に手袋を買ってもらった。

そして雪だるまを作ろうとしたけど、結局家の周りの雪が足りず、別の場所へ移動した。その際に父親の知り合いのゆずと子供のなつ達が合流した。そこで日が暮れるぐらいまで遊んだ。


少し時が経って、卒園の時。

おれは泣いたんだったかな。

けれど悲しかった気がする。さよなら僕らの幼稚園

を歌って、母親からはBelieveを歌われた。

なおひととも、違う学校に行くので、別れを告げた。

母は「いつでも会えるよ」と言ってくれた。

その日は確か、父型の叔母にチョコエッグ箱買いしてもらった。嬉しかった。


父親は俺が小学生になる前にまた捕まった。

なんでかは知らない。きっとまたなにか悪いことをしたのだろう。そんな気はしていた。


ランドセル選びに来た。おれは黒色を選んだ。黒色に赤色のラインが入った、1年生の男の子にはごく普通のランドセルだ。けれどその当時の俺は相当気に入っていたらしい。まぁ当然か…








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