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小さいナイフだったので腸までは届かず、腹を何針か縫って入院は1週間程度で済む予定らしかった。何故刺されなくちゃいけないんだ。痛みとムシャクシャが同時にやってきた。「クソが……」と1人ごちる。「どいつもこいつも舐めたまねしやがって!」と叫びたくなるのをグッと堪えた。傷跡に響くからだ。それでもムシャクシャは収まらない。

 

 ふと横を見ると施設から花が届いていた。手紙が添えられていたが、とても読む気には慣れなかった。

 警察が来て、色々と聞かれた。傷害事件という事、石井はいつもナイフを持ち歩いていた事がわかった。      

 (曰く自己防衛の為らしい)

 

 そして今は拘留されて取り調べを受けているとの事だった。


 手術後目が覚めて(局部麻酔だったらしいが、記憶は無い)、思い出したのは何故か家の猫、「ペットボトル」の事だった。今頃は家でゴロゴロしているだろう。

 

 その後、両親が来て、何か色々と言われた。就労支援施設の通所者も同じ時間に来て、何か挨拶をしたり、今回の事について何事か言ったり、こちらに話しかけてきたりした。

 

 現実感が全くなく、全部耳からすり抜けていった。喉がとても乾いていた。今入院している病院の名前と部屋の番号だけが頭に残った。以前通っていた高校の近くだ。

 

 母に何か欲しいものはあるか聞かれた。スマホとSwitch、飲み物と、何か読む漫画や本が欲しいと伝えた。スマホは病院に運ばれた時ポケットに入っていたので、病院側が預かっていたのだろう。すぐ貰えた。マナーモードなら使用可との事だった。

 

「今帰ってすぐ持ってくるから、本当に大変だったね。」大変だったのか?何が大変だったのだろう?誰が大変だったのか?脳が回らない。

両親、作業所の人達は何か挨拶し、また来るからと去っていった。

 

 トイレに行きたいが、少し動くと腹が痛む。小学校の時、膵臓を取る手術を受けた事を思い出した。ナースコールをすればいいのだ。

 脇にあるボタンを押し、車椅子を持ってきてもらう。恥ずかしいので尿瓶は避けた。トイレの前で腹を抑え立ち上がり、入ろうとすると何か引っかかった。

 点滴だ。今まで点滴を受けている事も気づかなかった。視野には入っても脳には入っていなかった。

 片手で点滴が垂れ下がっているスタンドを持ち、もう片手で腹を抑え、不便だなと思いながら用を足す。石井、お前のせいだ。目の前にいたらなりふり構わずぶん殴っていただろう。


 帰りは車椅子は大丈夫だと看護師に伝える。中規模の長山医院という病院だ。売店もあるらしい。病室に戻る。4人部屋で、自分は窓側のベッドだった。

 3階なので、幸いにも海が見える。足元から向かいの老人には、妻と思わしき人物がお見舞いに来ていた。昼間なのでベッドの周りを仕切ったカーテンは開いており、左手には30前と思われる男が漫画を読んでいた。


 もうひとつの1番離れたベッドは空席だった。点滴が外れないように気をつけてベッドに横になる。付き添ってくれていた看護師に礼を伝え、何もする事が無いので海を眺める。

 30前の隣の男が名も名乗らず突然話しかけてきた。


 「兄ちゃん何歳?警察来てたけど、なにか事件?刺されたの?」


 何も話す気が起きなかった。歳と腹を刺された事を端的に伝える。

 「先輩だ。暫く宜しくっす!俺は盲腸で入院中っす!あとこれは大声では言えないけど……」向かいの老人は奥さん以外には凄く横暴な性格らしい。外弁慶と言うやつか。

 さっきトイレで顔を洗い、少しだけ水を掬い、飲んできたのでとりあえずは人心地ついた。

 

何もする事が無かった。何か息苦しく空気を入れ替えたいので片手で窓を開ける。「おい。」老人が話しかけてきた。

 いつの間にか妻と思わしき人はいなくなっていた。

 「勝手に開けるなよ。寒いだろうが!」さっき話に聞いた通りだ。

 

 疲れている、というか麻酔が切れてきた腹の痛みと気分の落ち込みでトラブルは避けたかった。黙って窓を閉める。

 

「なんとか言えよ。あるだろうが、ごめんなさいとか。一言も無しか?」老人が眼光鋭くこちらを睨みつける。老人の年はよく分からない。

 

 恐らく定年退職前後の60辺りだ。青と白のストライプのシャツを着て、メガネをかけている。

 口元にホクロがある。誰かを思い出した。高畑サナエだ。おでこはかなり後退していたが、黒い髪が残っている。


 「ごめんなさい。勝手に開けてすみません。」

横をチラっと見ると青年は向こうを向き漫画を読んでいた。関わりたくないのだろう。

 老人は溜飲を下げたのか、舌打ちをして横になった。

「最近の若いやつは……」漫画や本で読んだような台詞をボソボソと呟いている。


 痛みを耐えながら天井を見る。まるで真っ白なキャンバスだ。蛍光灯がジーっと微かな音をたてている。

入院前の事を思い出す。笹山エリナは今回の事件の事を知っているのだろうか?

 

 思えば彼女が原因で腹を刺されたようなものなのだ。高畑サナエはどうしているだろう?まだ通所せず休んでいるだろうか。

 

 その時ドアが開いた。姿を見せたのは高畑サナエだった。

 「ごめん……ごめんなさい……!」

 涙を流しながらこちらに駆け寄る。一筋の涙では無い。泣きはらして目が真っ赤になっている。

 今日はカラコンではなく眼鏡をかけている。

「私が...私が所長に色々言ったからって……」

「いや、そもそもは……」

部屋に怒号が響く。「うるさいぞ!」対面の老人の声だった。高畑サナエが口を一瞬キュッと閉じ、振り返る。

 

 「うるさいのは、お前だろうが!クソジジイ!」

老人は言い返されるとは思っていなかったのだろう。口を開けたままこちらを見ている。

 

 「こっちの事を何も知らない癖に!このハゲ!」

 私も唖然として高畑サナエを見つめる。再び彼女はこちらを振り向く。

「びっくりさせちゃいましたよね。ごめんなさい...」


 涙は止まっていた。震えながら自分の拳を握りしめている。

 「私の、私のせいで傷害事件まで起きてしまって……なんて謝れば許してくれますか?」

懇願するような目つきで見つめられている。「高畑さんのせいじゃないよ……高畑さんはむしろ被害者じゃないか……」

 

そう言った時、再びドアが開いた。姿を見せたのは事件のきっかけを作った笹山エリナだった。最悪の組み合わせだ。

 

 「あ……」2人同時に言う。

口火を切ったのは高畑サナエだった。

「この淫乱女!よく、よくも堂々と顔を見せられたな!」「ちょっと待って、私はただタニガキ君が心配で……」「あんたのせいで、あんたのせいで、タニガキさんが刺されたのに!」

「刺したのは私じゃないし、もうクビになってるし、さっき事件の事を知って、慌てて病院に……」

 

 畳み掛けるように高畑サナエが言いそうになった所を慌てて止める。何故いつもこういう役回りなのか?


 「2人とも落ち着いて下さい。もう全部終わった事だし、2人共その場にいた訳じゃありませんし……」外野から声が聞こえる。

 「タニガキさんって言うんすね、彼女2人っすか?モテモテっすね。これってもう死語かな?」隣の盲腸の兄ちゃんだ。そう言えば名乗るのも名前を聞くのも忘れていた。

 

 「そういう関係じゃない!」高畑サナエ、笹山エリナが脇を向いて同時に言う。口笛を吹いて盲腸は反対向きに寝転がってしまった。気楽な奴だ。

 幸いにも外野の声が2人を落ち着けたのか、2人は膠着状態になった。

 その時またドアが開いた。忙しすぎる。誰かと思ったら両親だった。

 

 全く事情を知らない母が言う。「あの...…おふたり共、作業所の方でしょうか?私、タニガキの母です、お見舞いに来て頂いて、ありがとうございます。」

 

 雰囲気を察したのか、最後の方は遠慮がちな口調になった。

流石に両親の前では2人ともバトルを続ける訳にはいかない。距離を取り、それぞれ挨拶をした。高畑サナエが果物を母に渡した。

 

 「これ、お見舞いの品です。タニガキさんにはお世話になっていて、それで、」途中で口ごもってしまった。

 「あの、あの、作業所はしばらく休んでいたんですが、友人から連絡が来て、今回の事を知って、ビックリしてしまって、お見舞いに来ました!」

 こちらを振り返る。「タニガキさん、ゆっくり休んで下さい。私は、今日はこれで失礼します。お大事にして下さい!」かけ出すように病室から去っていった。後には笹山エリナと両親が残った。

 

「私はもう作業所の者では無いんですが、支援員をやってまして、高畑さんとは偶然同じタイミングで来てしまいまして……」

 コンビニの袋を母に渡した。本当に慌てて買って来たのだろう、ポカリスエットやウィダーインゼリーなどが透けて見える。


「私も、今日は失礼します。タニガキ君、お大事にしてね……LINEするから!」

早足で病室から去っていった。


 父が口を開いた。「怒鳴り声みたいな声が聞こえたんだけど、大丈夫なのか?あの2人は……」

全く大丈夫ではないのだが、誤魔化すしかない。

「あまり仲は良くないんだよね、それが鉢合わせしちゃって……」

 

 母が言う。「そうなの……。なんでもないといいんだけど、これ、同じものになっちゃったけど、飲み物と、図書館から借りてきてた本、あと、薬がどこにしまってあるかわかんないから、取り敢えずわかったぶん。」

 

 図書館から5冊ほど本を借りてきていたのだ。小説、エッセイ、地球の歩き方のモルディブ地方。(ボラボラ島のある地域だ。)

 

 日が暮れてきていた。時計を見ると17時近い。

 「ありがとう、面会時間は大丈夫なのかな?」尋ねると面会は5時半までとの事だった。精神的に疲れていて正直もう寝たかった。

 

 「後は警察から連絡が来て、向こうの弁護士は示談でお願いしたいって。」「示談……」怒りなどの感情は不思議と湧いてこなかった。

 

 正直、傷は癒えても精神的に裁判所に通う気力が自分にあるとは思えなかった。「向こうがそうならそれでいいんだけど...…」今後の事、作業所の人間の事を話していると、看護師が見回りに来た。

 

 「あの、そろそろ一般の方の面会時間は終わりなんですが。」肉親だと言うことを伝えるとまだ大丈夫らしかった。


 母が言う。「色々疲れてるだろうし、私らも疲れたんで、そろそろかえっかなと。」両親共疲れた様子で帰って行った。

 術後なので、点滴のみで食事は無いようだ。同部屋の2人は無言で食事を摂っている。


 病院なので当たり前だが、粗食だった。何も食べていないが不思議と腹は減っていなかった。

 

 ふと、枕元にあった手紙を思い出す。

読んでみると、通所者のそれぞれから寄せ書きがあった。「早く元気になって下さい。」「養生しろよ!石井には俺が怒っとくから!」

 そんな事がいくつか書いてあった。そもそも犯罪を犯した石井は作業所に戻れるのか?手紙を置き、本を眺める。麻酔が切れて腹が痛いので正直読む気になれなかった。


 ナースコールで腹が痛い事を伝えたら、追加の飲み薬を出してくれる様だった。名前も覚えられない薬をポカリで飲み干す。その日はもう何もする事が無かった。

 親が眠剤やら持ってきてくれたのは有難かった。消灯時間は21時。薬を多めに飲んで寝てしまう事にした。

 「うるせぇぞ!」夜中に叫び声で起きた。

 

 盲腸のイビキが大きかったらしい。カーテン越しに彼は「あー、ゴメンゴメン」と言って寝てしまった。恐らく慣れっこなんだろう。

 

 私はそれから寝付けなかった。色々考える。

 石井は今留置所にいるのか?身近に犯罪を犯した人間がいなかったせいか、逮捕された人間がその後どうなるのか詳しく知らなかった。


 普段寝る時はスマホの電源を切ってしまうのだが、切り忘れていてLINEが来ているのに気づく。

高畑サナエ、笹山エリナ。2人から来ていた。

 

先に来ていたのはまず高畑から。

「今日はごめんなさい。あの笹山が来たからちゃんと話せなくて。とても心配しています。大怪我じゃなくて良かったです。今度はタイミングが良さそうな時に前もってLINEしてから行きます。ゆっくりして下さい。病院の夜は早いだろうから、早めにLINEしました。」

 

そして、笹山から。「チクリ野郎が来たからちゃんと話せなくてゴメンね~、タイミング悪かったね。(いらすとやの涙のスタンプ。)早く元気になってね~。それじゃ、また行くかも。(同じく、いらすとやのバイバイのスタンプ)」

 

 夜中だし、返事する気になれなかった。そのまま寝付けず、眠剤を足そうとしたが、太平洋から日が上がってきたのが見えた。もう起きている事にしよう。

 盲腸のイビキは確かに煩かった。


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