No.69 揺れる世界でのたうつ僕へ
「あ゛あ゛ー、しみるぅ~……」
今夜は星がきらきらと瞬き、雲はあるが、星座がはっきりととれる黒い空はなんとも美しい。
濃い蒸気がしっとりと顔を潤していく。
暖かい湯につかり、羽の代わりに手足を伸ばす。
騒動がひと段落した後の風呂は、やはり最高だ。
はぁ、至福の一時……
吐いた息が夜風に冷やされ、蒸気と混ざって消えていく。
今日はいつもより遅い時間にここに来ているから、人数は少なく静かに過ごせる。
時たま聞こえる上級生たちの笑い声が、日常感を演出していてこれまた良い。
たとえあれほどの事が起こっていたとしても、何も知らない人達にとっては、何一つ変わらない日常が続く。
気づいていない者達は、みんな幸せだと思う。
その非日常の部分に放り込まれてしまった僕は、自分の正体についての一端と……
——今の自分の、小ささを知った。
……そして同時に、少し怖くなった。
『未継承』。それが今の僕の状態。
人間よりは圧倒的に強くても、まだまだちっぽけな子竜。
同族のあの女……大人の竜である彼女には、指先で軽くあしらわれた。
それに彼女は、空間干渉なんて馬鹿みたいなまねも、顔色一つ変えることなくやすやすとやってのけた。……まるで呼吸でもするみたいに。
赤竜であれなのだ。
まして父さんは青竜。
今のこの世界では最強の存在——青竜王。
その力を完全に継承した暁には、僕は一体、どんな化物になってしまうのだろうか?
「ん、セルマリエス。奇遇だな、こんなところで会うなんて」
「メルト……」
ふと顔を上げると、目の前には黄色髪の少年が僕を見下げて立っていた。
メルトは僕の隣に腰を下ろすと、星を見上げて息をつく。
「今夜は少し寒いな……こう天気が良い日は、昼はすごしやすい分夜は冷える」
「ああ、そうだな……」
適当に相づちをうつ。
僕は人間じゃないから、暑いとか寒いとか、正直言ってもうよく分からない。
でも、知識では知っているから分かる。
『放射冷却』って言ったっけ?
いつだったか前世に、理科の授業で習った事がある。
「……なあ、セルマリエス」
しばらくの沈黙の後に、星を見上げ、目を細めながらメルトが口を開いた。
「お前はどうして……そんなふうに、自然体で俺と接してくれるんだ? ……おかしな質問かもしれないが、俺にとってはこんなの初めてで……少し……とまどったんだ」
ぽつりぽつりと、呟くようにメルトは言葉を紡ぐ。
その横顔は、なんだか少し寂しそうに見えた。
メルトは公爵家の嫡男だ。
誰かが近づいてくるのなら、きっとそれは、何らかの政治的な思惑があっての事。
本音で語り合える友達なんていなかったと言う事くらい、容易に想像出来る。
「僕は……貴族とか、平民とか。そう言うのはよく分からない。僕自身、少し出自が特殊だから、性別とか、種族とか、家柄とか。そんな事を気にしようとも、思った事が無い。それじゃぁ、駄目か?」
酷く曖昧だが、口に出した言葉に嘘は無い。
メルトは考え込むように目を閉じ、すぐには返答を返さなかった。
欠けた月が雲に隠れる。
笑い声は小さくなり、湯けむりの奥で、ゆらりと人影が消えていく。
「いや、駄目じゃない。少なくとも、俺にとっては」
やがて前を向いて答えたメルトの声は、やけにはっきりとしていた。
そして、普段無表情な彼の顔には、わずかにほほえみが浮かんでいた。
——どこか静かな温かさ。
メルトのその表情を見て、僕は嬉しいとも安心したとも言えない、何とも複雑な気持ちになった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
深夜。
今日一日の出来事を噛み締めて、僕は穏やかな眠りにつく……
……そう思っていたのに。
僕はまた、夢を見た。
完全に夢の世界に落ち込むと、前にあったそこでの事を思い出す。
ああ、勘弁してくれよ。これで三度目じゃないか。
『やぁ、久しぶりだね、セルマリエス。何度見ても、僕の姿は懐かしいだろう?』
目の前のそいつは、あたかも僕の旧友であったかのように、あまりにも気さくに僕に話しかけた。
「……」
”僕”は何か、僕が返答するのを望んでいるようだった。
にこにこと得体の知れない笑みを浮かべながら、僕の目の前に佇んでいる。
でも、そいつの望む答えを僕が口にする事は無い。
……そもそも僕は、”僕”が一体何を求めているかを知らない。
『冷たいなぁ、僕と君の仲じゃないか。ああ、違うか。だって、そもそも”僕”は君だから』
「黙れ。僕はお前なんて知らない。僕は僕だ。お前なんていらない」
『はははは、相変わらずだな。でもね、いつまでもそう言ってはいられないよ。その時が来れば必ず、お前は”僕”を受け入れる』
いつもの教室じゃない。
上も下も、広いのか狭いのかも、何一つ分からない真っ黒い空間。
——闇。
気が狂ってもおかしくない状況のはずなのに、僕の頭の中は、信じられないくらいに冷静だった。
それは、夢ゆえの現実感の欠如なのか、はたまた僕がすでに狂い始めているのだと暗示しているのか……
”僕”は、僕の頬にゆっくりと手を伸ばした。
僕はそれを、何のためらいも無くたたき落とした。
鉤爪を剥き出しにした、超速の手刀。
切り落とされた”僕”の腕の断面からは、鮮血がしたたる。
『あはははははっ!! 最高に最低だよ、お前』
痛がるそぶりも無く、”僕”は目を細め、ニヒルな笑いを浮かべる。
しかしすぐに、フッとその顔からは笑みが消えた。
僕をまっすぐに見つめるその黒い瞳は、どこか哀しそうに見える。
『まあ良いさ。どうせ結末が変わらないのなら、せめて、少しでも意味のありそうな事をするだけだ。だって、その為に”僕”はあるのだから』
……分からない。
意味が分からない。
やっぱり、こいつだけは駄目だ。あの女なんかより、ずっと……
正体を理解しようとするたびに、どうにも得体の知れない頭痛に襲われる。
いけない、拒絶しなければ。
義務感じゃない。敵じゃないのは分かってる。
でも、受け入れがたい。
”僕”が腕を前に出すと、メキメキと骨が生え、そこに筋肉が巻きつき、しまいには何事も無かったかのように再生した。
——僕と同じ、『竜』の腕だった。
”僕”はゆっくりと腕を伸ばす。
今度は払い落としてやろうとは思わない。
その手は僕の胸に触れ、肉を抉るように、深く突き刺さっていく。
何か生温かいようなものがこみ上げ、口からは血が溢れ出す。
不思議と痛みは感じなかった。
むしろ、やけにしっくりときて、心地良いとさえ感じた。
『ふぅん。これは拒絶しないのか。やっぱり……冷たいなぁ君は』
「……うるさい」
『はは。でも、幾分はマシになったのかな』
境界線が溶け合っていく。
力は、いずれ継承される。
その事実は変わらない。
期限が自然に設けられている以上、遅すぎると言う事は無い。
ただ、早すぎれば、その分不完全なものになる。
——人間を捨てるまでの期間。
嫌だと言っても、最後に訪れる未来は変わらないのだ。
『今はまだ、少しだけだよ。これ以上はまだ早い。でも…………それで良い。』
ゆっくりと目を閉じる。
夢の中で、さらに深い眠りに落ちる。
自分が何者なのかを、確かめながら。
『おやすみ、セルマリエス。そしておはよう。あの世界は酷いものだよ、君が思ってる以上にね。頑張れよ。そして、忘れるな。僕はずっとここにいる』
眠い。
まぶたが重い。
温かい。
そして、苦々しくも心地良い。
分からないのに分かる。
正反対のように見えるものは、実は、ずっとすぐそばにあるものだ。
……そうだ、目的は見失わない。
朝が来る。そろそろ目を覚まそうか。
僕の正体が化物だったとしても……
……もう、恐れないよ。
少なくとも、変わる事についてだけは。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
これにて二章は完結となります。
少しでも面白いと思っていただけたら、ぜひ! ぜひ! 評価やブックマーク等していただけたら非常に嬉しいです。
感想も書いていただけると、作者がニヤニヤします。
次は三章!! と言いたいところですが、『ちょっと最初の方の文体稚拙だな〜』と思ったので、書き直しの為にこれにて一時休載させていただこうと思います。
絶対にエタらせないぞっ!!
再開、進捗については、アオウミのXにて投稿していくつもりです。
今後ともどうぞよろしくお願いします。




