No.66 仮初の糸の上
「おい……お前……今、何て言った……?」
場所は再び、噴水のある地下広場。
先程までの柔らかい物腰はどこへやら。
アクトはサイラスの首輪に繋がる鎖を、ぐいと掴み上げる。
「俺とメルトが似ているだと……?」
鎖を握る手のひらから、出血するのを気にも留めず、アクトはさらに強く鎖を握りしめる。
少年の目に灯る光は、怒りからくるものではない。
怒り、嫉妬、それら全ての負の感情すら超えた先の……
……“憎悪”であった。
(……え? なんで先輩……こんなに怒ってるの……?)
だが当然のように、サイラスはそんな事知らない。
『先輩って、なんかメルト様に似てますね』
それは単に、口を突いて出た言葉だった。
ただ話し方や雰囲気が、なんとなく似てると感じただけ。
メルトとアクトにどんな関係があるかなど、サイラスには知る由も無い。
「痛っ……先輩、やめて……」
「……チッ」
金属の首輪が食い込む。
痛みにうめくと、アクトは舌打ちしてサイラスを突き放した。
サイラスはその場で咳き込み、アクトを見上げる。
(どうして急に……メルト様に何かされた? いや、あの人がそんな事するはずが……)
困惑する頭で、必死に考える。
アクトが、メルト個人に対して向ける敵意。
その根源は何か?
自分の知る『メルト』の人物像に、ここまでの憎しみを向けられる理由となり得る事は無い。
もちろん相手が庶民や政敵ならば、その限りではないだろうが……その場合、感情の矛先は『家』に向くのではないか?
でも、アクトの口ぶりからして、憎まれているのはあくまでメルト。
……なぜだ?
サイラスは、じっとアクトの横顔を見つめる。
アクトの顔に浮かんでいるのは、なんとも複雑そうな表情だった。
憎悪、羨望、感情を抑えきれない自分へのいらだち、良心の呵責、そして……捨てきれない愛情。
ぐちゃぐちゃに混じり合って、今にもはち切れてしまいそうだ。
そんな感情の濁流をうっすらと感じ取り、サイラスはアクトに抗議する気にもなれない。
そして同時に、気づいてしまった。
(……もしかして……いや、まさか……)
噂で聞いた程度の話だったから、今までは信じようとすら……
「メルト様の……お兄さん?」
「——!」
——キングスランド公爵は一度、平民以下の存在と過ちを……
「黙れ……ッ!!」
アクトはサイラスを床に叩きつけた。
うめくサイラス。
体の内に、鈍痛が響く。
けれどもそれ以上に、伝わってくるのだ。
目の前の少年の、熱い鉛を喉の奥に流し込まれるような、心の痛みが。
「俺は……アイツが、いなければ……」
言葉の先は続かない。
「……クソッ」
自暴自棄になったかのように、手に持った鎖を投げ出す。
赤い雫が、サイラスの頬にしたたった。
沈黙だけが、静かにアクトの存在を肯定している。
何とか考えないようにしても、サイラスはこの少年を”哀れ”と思わずにはいられなかった。
アクトは大きく息を吐き出す。
漏れる声には、自分自身の問題にサイラスを巻き込んだ事への後悔が滲んでいる。
悪気があって、あんな事を言った訳じゃないのは分かっている。
そうだ、分かってはいた。
分かってはいたのだが……
アクトは再び、サイラスの方へと向き直る。
「サイラス」
「はい……?」
名前を呼ぶ声は至極穏やかで、さきほどまでの激情の痕跡は、少したりとも感じられなかった。
うつむき加減で表情は見えない。
なのにサイラスは、今までとは比べ物にならないほどの、どうしようもない怖気を感じた。
「すまない」
「えっ……」
顔を上げるアクト。
その瞳は一切の光を灯さず、空虚な深い闇に染まっている。
サイラスは悟った。
同時に、疑問に思った。
——この人は今、『何』を覚悟した?
……そう考え始めた時には、もう遅い。
瞬間、サイラスは全身を浮遊感に襲われた。
反転する視界。
そして、自分の後ろにあるのは……
……噴水。つまり、この空間にある唯一の出口。
(待って……)
手を伸ばそうにも、届かない。
冷たいしぶきを顔に浴びながら、サイラスは暗い穴の中へと落ちていく。
水の中だと言う感覚は無かった。
ただただ体は、深く、深く、落ち込んでいく。
(行っちゃ駄目だ。あなたは……一度、メルト様と話を……)
サイラスの意識は、そこで途切れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
極彩色の花畑で、女は一人立ち尽くす。
彼女の見つめる先では、一羽の緑のハトが、不思議そうな顔で首をかしげている。
「二百年近く経っても、そのいけ好かない性格は治らないのね」
ハトを見下ろしながら、女は不愉快だと鼻を鳴らした。
緑の鳥は、女の事など気にも留めず、悠々自適に羽繕いをしている。
「本っ当にムカつくガキ……」
女は何かを見透かすように、一層強い視線をハトに突き刺す。
その体から放たれた威圧が花を揺らした。
ハトの様子は変わらない。
その振る舞いは、まさしくただの『鳥』のもの。
もちろん返答はない。
しかし、女はハトから目を離さない。
まるで、この鳥の奥深くにいる、『何か』に語りかけるように……
「あなたの事よ。聞いているの? ねぇ…………ゼムルード」




