No.65 動揺する訳を知らず
この聞き覚えのある羽音は……
「何よそ見して……は? 鳥?」
「ポォーー!!」
「うわ、ちょ、ま、ぎゃぁーー!!」
女の顔に、緑の物体が勢い良く衝突する。
女が怯み魔法が解かれた。
この隙に足元を脱出し、体勢を立て直す。
「ポーッ!」
「お前……何しに来たんだ? いや、そもそもどうやってここに?」
女の顔面を蹴り飛ばした後、ハトは空中で旋回し、僕の肩の上に舞い降りた。
さんざん感じ慣れたずっしりとした重み。
こいつが僕とラーファルの部屋に飛び込んできてから、まだ数日しか経っていないと言うのに、こうも場所が違うだけでどこか懐かしい。
安心したからか少し力が抜け、軸がブレてよろめく。
でも倒れる事は無い。
心なしか、全身の痛みも幾分マシになった。
地面に足をすえつけるようにして立ち、きっと女を見つめる。
邪魔が入った事で怒りだすかもしれない。
そう思い、無意識のうちに身構えた。
けれどもその予想とは裏腹に、女は驚いたように目を見開く。
「この魔力の匂いは……まさか……」
あからさまに動揺している声。
その視線の先は、僕ではなく肩の上のハトに向いている。
「全部見ていたと? しかも、直接自分で出向く訳でもなく? ほんっっっとに性格の悪い……」
どう言う事だ?
状況が飲み込めない。
あれだけ理不尽に僕を痛めつけていたこの女が、たったハト一羽にここまで心を乱されるだと?
それに……見ていたとは何の事だ?
誰が?
何が目的で?
現時点ではっきりしているのは、その全ての鍵を握るのが、このハトだと言う事のみ。
(なぁ、お前、本当に何者なんだよ?)
「クルゥ?」
じっと肩の上のハトを観察してみるも、女とは違い、僕には特に何も感じる事は無い。
ただの変な色をしたハトだ。
「一時休戦……いや、もういいわ。私の負けと言う事にしましょう」
「は? 何で今更急に……」
「事情が変わったの。まったく、今こっちはそれどころじゃ……」
女は舌打ちをし、ハトをにらみつける。
そして力なく息を吐き出した。
「出口は作っておくからさ。ほら、早くどっか行ってよ」
「だから、ここまでしておいたくせに意味が分からな……」
「ああ~、もう! そんなのどうでも良いんだって!!」
女は着ていた服のポケットをまさぐると、そこから液体の入った小瓶を取り出し、僕の前に投げ捨てた。
「これあげるからさ、今は私の言う通りにしてよ。お願いだから」
「……これは?」
地面から小瓶を拾い上げる。
その中では、深い青色の液体が揺れていた。
「上級回復薬。その重傷だと完全回復は流石に無理だけど、まぁだいたい治るでしょ。毒は入って無いから安心してよ」
「……信じて良いんだろうな?」
「試してみりゃ分かるでしょ。そもそも、私達に毒は効かないじゃない」
疑いを込めた視線を女に送る。
焦燥感の浮かんだ顔。
落ち着かないのか、しきりに貧乏ゆすりをしている。
訝しみながらも薬瓶の栓を抜くと、薬草の匂いが鼻をくすぐった。
確かに匂いには異常を感じない。
ぐっと唾を飲み込み、目を閉じて、思い切って液体を一気に飲み干す。
苦い。
冷たいような熱いような感覚が、喉を通り抜けた。
体が暖かい。
ちぎれた神経や血管が、再び繋がっていくのが分かる。
ふわりと体を包まれるような感覚に、しだいに痛みがなくなっていく。
毒のように、肉体を蝕む凶暴性は感じられない。
傷が癒え体力が回復していくさまは、ただただ優しい。
ふと目を開け右腕に視線を落とすと、焼け爛れた傷跡は、もうほとんど残っていなかった。
「まさか……本当に……」
「最初からそう言ってるじゃん。とにかく、治ったならもう用は無いよね」
僕の言葉に被せるように、女は早くここを出ていけと急かす。
よっぽど余裕が無いのか、その隣には、すでに出口が用意されていた。
ものとしては『穴』と同質ではあるが、その先に覗くのはどす黒い闇ではなく、よく見覚えのある景色。
ここに強制転送される前にいた、あの場所だ。
「さあ、ぼさっとしてないでさぁ。さっさと帰った。そこの半魔もよ。こっちは暇じゃないんだから、もう何も聞かずに帰れ」
女は僕と、後ろで待機していたガイウス先生を交互に指さす。
時間が経つほどに、その焦りはだんだんと強くなっているようだ。
その感情が影響しているのか、部屋の中から外の世界へと、風が吹き荒れる。
「そんなお前に都合の良い事ばかり、まかり通ると本気で思っているのか?」
僕の隣に歩み寄り、ガイウス先生が口を開く。
その口元からは、血が滲んでいる。
顔を歪め、あばらを押さえるその姿は、なんとも痛々しい。
意識が無かったとは言え、自分のやった事だ。
本当に……申し訳ない。
いたたまれなくなり、思わず目をそらす。
「まかり通るも何も、従うしか無いでしょうよ。あなた見てたわよね? あなたも、今のセルマリエスも、私には絶対に勝てやしない。見逃してやるって言ってるのが分かんない? 殺されないだけ感謝しなさいよ」
女の語気がさらに強くなる。
彼女が殺気立っているのが、肌にビリビリと伝わってくる。
もちろん、反論したい気持ちはあるさ。
でも、これ以上議論を続けようものなら、今度こそ殺されそうだ。
だから何も話せない。
きっと先生だって同じだろう。
だって、この女は化物だ。
まさに理不尽の名にふさわしい。
歯ぎしりをして女を睨みつけると、ポンと肩の上に手が置かれた。
先生はじっと女の目を見つめている。
もちろん恐怖はあるだろうに、顔にはその感情を決して映さない。
ただその手のひらは、力無く震えていた。
悔しい。
どうして、こんなやつの言いなりにならなきゃいけないんだ?
……その思いは尽きない。
でも、優先順位と言うものがある。
当然、先生はそれを分かっている。
逃がしてもらえるのならば、今は真っ直ぐ、出口に向かって行くべきだ。
そう、頭では理解しているのに……
……ああ、僕もまだ子供だな。




