No.63 一方通行、壊れた虚
「うーん……ドアの下には文字があった。今度は噴水。何かあるなら……水の中かっ!!」
サイラスの脳裏に走った、とっさのひらめき。
水場がそこにあるならば、覗き込もうと思うのはごくあたりまえの感情。
そんな事すら忘れるほどに、サイラスはやけにハイテンションだった。
いくらサイラスが馬鹿だとは言え、流石に一人では何も出来ないほどの能無しではない。
忘れてはいけないのは、彼がセルマリエスのクラスメイトであると言う事。
つまるところ、こんなやつでも世間的に見れば相当なエリートなのだ。
振る舞いがアホらしくても、それなりに頭は良い。
そんなサイラスがいつも以上に馬鹿を発揮している理由は、端的に言うと、混乱と恐怖で抑圧されていた反動である。
むしろ異常なのは、こんな状況でも冷静でいられるアクトの方なのではなかろうか?
サイラスは噴水の縁に手をつき、じっと目を凝らす。
ゆらめく水面に、自分の顔が反射する。
噴き出され落ちた水が、パチパチと顔に当たる。
水底には何も無い。
サイラスはふうと息を吐き出した。
もしかしたら、中で何か恐ろしいものが待ち受けているのではないか、と内心ビクビクしていた。
期待外れなような、どこか安心したかのような感情。
緩やかに、肩の力が抜けていく。
なんだ、ただの噴水じゃないか……
ん? 待てよ……
……いや、違う。
「うわっ」
サイラスは短く叫ぶと、勢い良く飛び退った。
既視感と恐怖。
少年を嘲笑うかのように、噴水は水音を響かせる。
「あー……もしかして出口って……これ?」
「それらしきものは他には無い。まあ、そう考えるのが妥当だろうな」
水底には何も無かった。
あるべき底が無かった。
削り取られた空間。
世界を穿つ『穴』。
もう一度通れと言うのか?
それは透明な水の中で、大きく黒い口を開けていた。
「ま、まさか……また……」
『その通り!』
受け入れがたい事実というものはなぜだかいつも、油断をすると浮き彫りになってくる。
やっと現実を理解したサイラス。
すると、答えに辿り着けた事を祝福するかのように、どこからかよくよく聞き覚えのある声がした。
あの女だ。
姿は見えない。
質の悪いスピーカーから発せられたような音が、地下空間でわんわん響く。
『お察しの通り、出口は噴水の底よ。別に隠してた訳じゃないけどよく見つけたわね、おめでとう』
いかにもわざとらしいほめ言葉。
直接対峙していなくても、その軽薄さははっきりと伝わってくる。
感情のこもらない建前だ。
まさに、始めから決められていたセリフを棒読みしているだけ。
そしてその薄っぺらさが、二人の少年の頭に、深く、深く刻みつける。
——本人がその場にいようがいなかろうが、全ては彼女の手のひらの上……
『はい、でも残念でした』
ふいに、女の口調が変わった。
絶望の片鱗を見せつけるような声に、アクトは反射的に身構える。
一方で、サイラスは硬直する。
『そこが出口だってのは本当。でもねぇ、分かってるだろうけどそう簡単に物事は進まないわよ。条件があるの』
「条件……?」
剣の柄を撫でながら、女の言葉を繰り返すアクト。
少年の緊張を察したのか、女の声が少し柔らかくなる。
『ま、そんなに難しい事じゃないけどね。セルマリエスが今やってる事に比べたら、カスみたいなものよ。条件はたった一つ……』
女はそこで言葉を切った。
しばし流れる沈黙。
相変わらず女の姿は無い。
だが二人の少年は、どこからか突き刺さる全てを見透かすような視線に、背筋が凍りつくのを感じた。
『あなた達には、今から一つの選択をしてもらう。片方には帰還を許す。噴水の中に飛び込みなさい。もといた場所に帰してあげる。もう片方には力を与える。そこの扉を開けなさい。ただし、尊厳を失う覚悟があるならば……』
有無を言わせぬ勢いで、女は告げる。
伝えるべき事は全て伝えたと、それきり女の声は聞こえなくなった。
後には水音と静寂が残る。
選択が出来なければ、二人共外には出られない。
つまり共倒れ。
その先に待つのは緩やかな死。
それだけは絶対に避けたい。
少年達の間に緊張が走る。
どちらかが脱出すれば、どちらかは女の企みの餌食となる。
自分が助かりたい気持ちはあるが、かと言って相手を踏み台にしたくはない。
ゆえの葛藤。
話し合いをしようにも、どちらも出口を譲り合い、答えは出ないのが目に見えている。
だからどうにも、口を開けない。
ノブレスオブリージュ。
皮肉な事に、二人共ある程度誇り高い人間であった。
仮にどちらかが他人を犠牲にしてでも自己保身に走るような人間だったら、状況はまた違っていただろう。
「お前が出口を使え、サイラス」
先に口を開いたのはアクトだった。
やはり彼は優しい。
自分だけが助かる姿など、アクトにはどうしても想像がつかなかった。
しかしサイラスはそれを拒絶する。
こちらの理由は少し違う。
「いや、そんな、出来ませんよ。そんな事したら、あなたが……」
……選択の結果、先輩が死にでもしたら、罪悪感で耐えられなくなる。
「俺は良い。お前はただの被害者だが、俺は違う。逃げる権利はお前にある」
「巻き込まれたのは、先輩だって同じじゃないですか」
「違う。危険を鑑みずにのこのこここまでやって来た俺自身が悪い」
「でも悪いのはあの女だ。あなたが犠牲になる理由にはならない」
「それはお前だって同じ事だ」
議論は堂々巡り。両者一歩も譲らない。
しばらく口論を続けるも、不毛を悟って、やがて二人共黙り込む。
「駄目だ、もうやめよう。時間の無駄だ、埒が明かない」
「うぅっ、同意見です……」
微妙な空気が残る。
話をそらすにも話題が無い。
互いを前にしながらも、交わす言葉は見つからない。
そうすると、だんだん不安になってくるのがサイラスだ。
沈黙の中の気まずさは、彼の単純な心には辛すぎる。
「そう言えば……」
「ん?」
「えぇっと……あの……その……」
「……何だ?」
「あー……だから……」
「……何……?」
必死に言葉を探すサイラス。
しかし何も浮かばない。
普段から何も考えていないツケだ。
あーだのうーだの頑張ってみる。
みっともない姿を晒し、やっとの事で言葉を絞り出す。
苦し紛れの一言。
もはや意味などどうでも良い。
少しでも間が持ちさえすれば……
たった、それだけの事だった。
だが話題が最悪だった。
——アクトに限っては……
「先輩って、なんかメルト様に似てますね……」
「は?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
花と血の臭いが混じり合う。
目の前には緑広がる地面。
土の感触が、頬に伝わる。
右腕の痛みはおさまらない。
治療をしていない分、むしろますます酷くなる。
でも、それ以上の違和感が、頭に重くのしかかる。
——なぜ僕は今、この女に踏みつけにされているのだろうか……?




