No.53 赤の誘いは海を抜け
暗い、暗い地下通路。
外界とは完全に断絶され、わずかな日の光すら届かない。
ただ等間隔に配置された魔石が、豆電球のように、ぼんやりと足元を照らしている。
不可視の『糸』を辿り、前へと進む。
どこまでも、どこまでも変わらない景色。
どのくらい歩いたのだろうか?
……分からない。
どのくらいの時間が経った?
……それすら、分からない。
(遠いな……)
そろそろ気が狂いそうになってきた。
いつまでこの単調な空間を、進み続けねばならないのか。
まったく、本当に気味の悪いところだ。
さっきの人形を除いて、敵どころか、虫一匹すらいないじゃないか。
歩く。
歩き続ける。
三人分の足音が反響する。
なおも、道は奥へとのびている。
遠い……まだ先か……
……いや、あれは……
……
…………
……扉だ……!
ああ、やっと、この閉塞的な空間から解放される……
「『糸』はこの中に続いてるぜ。どうする? 行くか?」
重厚感ある扉の前で、ガイウス先生が問う。
が、問いとは言っても、答えはもうすでに決まりきっているようなものだ。
今、目の前にある選択肢は一つだけ……
「……まあ、たとえ罠だったとしても、行くしかないですよね」
先輩がチラリと後ろを振り返る。
ごうごうと流れる空気。
僕達が始めにいた場所は、もうとっくに遥か彼方だ。
背後には、ただ、深い闇だけが広がっている。
まるで、『今さら引き返す事なんか出来ないよ』とでも言うように……
「ハァ……気に食わないですね。こんな、あからさまに誘導されると……」
思わず、溜め息が出る。
あまりにも、敵の思惑通りだ。
このまま進んでも、ろくな事にならないのは火を見るよりも明らか。
でも、今は進むしか無い。
ああ、嫌だ嫌だ……
「……仕方無い。開けますよ」
すうと息を吸い込み、一歩前に歩み出る。
見上げるほどに大きく、威圧感のある扉。黒塗りの表面に手をあてると、金属のようにヒヤリとした。
ぐいと、体重をかけるようにして押す。
錆びついた蝶番がきしみ、ゆっくり、ゆっくりと扉が開いた。
……
ザアァァァ……
……
…………
(……何だ……これは……)
その呟きも、言葉も、驚嘆の息でさえも。僕の口からは、出てこなかった。
コバルトブルーの水。
きらめく白波。
鼻の奥をくすぐる潮の匂い。
爽やかな風が、こちらに向かって吹きつける。
……扉の向こう側には、思わず言葉を失ってしまうほど、美しい海が広がっていた。
(海……本物……?)
落ちないように気を付けながら、扉の内側へと身を乗り出し、水を少しすくう。
特有のサラッとした感覚。
試しになめてみると、鮮烈な塩辛さが舌の上に滲んだ。
(幻覚じゃない。これは……本物だ……)
実体の無い映像ではない。
海は、確かにそこに存在していた。
……いや、でも、本物の海かと言うと、少し違うかもしれない。
四方は壁に囲まれ、そして相変わらず……生き物の気配は感じない。
「まさか……海じゃぁねぇよなぁ……?」
潮風に吹かれ、しばらく呆然としていると、初めに声を出したのはガイウス先生だった。
「なんでんなところに……地下じゃぁなかったのかぁ? いや、それよりも……」
先生の目線が下がる。青く深い水面を貫き、光の届かぬ底のさらに下の方へと……
言葉の続きは、言われなくても分かる。
信じたくはなかったけれど。
「一応聞きますけど……『糸』はこの下から……?」
……ああ、こんな問いは無意味だ。
返って来る答えはもう、分かりきっているんだ。
聞いたところで、現実は変わらない。
変わらないならこんなの、聞くだけ無駄だ。
でも……
もしかしたら違うのかもしれないと、ほんの一筋の可能性に、すがってみたくなるじゃあないか。
先生の顔を見上げる。
視線が合う。
赤い瞳に、さざ波のきらめきが映っている。
先生は、黙ってうなずいた。
……やっぱり、可能性なんて無かったか。
前に道は無い。後ろにも、もう戻れない。
先に進むには、下へ。
存在するのかもはっきりしない、水の底へ。
下へ。
まっすぐ、下へ。
……潜れと言うのか?
「あの、一つ良いか?」
ここから先どう進もうか決めあぐねていると、今まで後ろで黙っていた先輩が、不意に口を開いた。
先輩は二、三歩後ろに下がると、しゃがみ込み、地面に手をつく。
「これ……ああ、そういう事か。大丈夫、潜る必要は無さそうだ。そこ、危ないかもしれないから、ちょっと下がってて」
……『糸』は海の下に繋がっているのに、潜る必要は無い? どういう事だ? 先輩は、一体何に気がついたんだろうか?
地面に何かあるようには見えない。そもそもこの状況で、海ではなく地面の方に目を向けようとは、思ってもいなかった。
先輩の言葉に従い、岸辺から少し離れる。
すると先輩は、どういう訳か、敵もいないのに腰の剣を引き抜いた。
剣先に水面の光が反射し、キラリと光る。
刃に手をかざす先輩。
その指先が、円を描くようにくるくると動く。
(見た事の無い術式だ。オリジナルの魔術? 炎熱系統の……)
線が、ルーンが。先輩の指先の動きに合わせ、全てが滑らかに、洗練された形に整っていく。
そして最後の線が繋がり……
……先輩の持つ剣の刀身から、赤い炎が巻き上がった。




