No.51 ミス
じっと空中を見つめる先生。目を細め、空の一点を指差す。
「『穴』があいていたのは、あの辺りかぁ?」
先生の示す先にあるものは、僕の目では視認出来ない。
だけど、確かにあそこは、僕が最後に『穴』を見た場所だった。
僕を弄ぶような攻撃に、新しいおもちゃを見つけた子供のような視線。
……ああ、思い出すだけで腹が立つ。
「はい。まさにその通りです。あのムカつく笑い声が聞こえてきた時の穴だ。忘れられるはずも無い……」
塞がりかけの、首元の傷を撫でる。
もうすでに痛みは無い。
だが、あの時の光景、声が脳内で再生されるたび、喉の奥が締め付けられるような感情が、体の内側を這いずり回った。
「ガイウス先生。あなたの目にはアレの痕跡は、どのような形で映っているのですか?」
聞くと先生はさらに目を細め、ゆっくりと、言葉を紡ぎ出す。
「そうだなぁ……何と言うか……縫合痕? 切れ目に向かって、空間が巻き込まれていったような跡と、そこにわずかに染みついた、紅いモヤ……が見えるなぁ」
……なるほどな。ひとまず、『穴』の存在の形跡が、はっきりと残っているようで安心した。
それにしても……紅いモヤ、か……
紅……あか……赤……
「どうだ? 分かりそうかぁ?」
「……確かに核心に近づいてきてはいるのですが、今の状態では何も……」
これだけでは、まだ何も分からない。
……いや、当然と言ったら当然か。
ここは、あくまで僕が攻撃を受けた場所に過ぎない。サイラスの手がかりが見つからないのは、当たり前だ。
でも、何一つ分からなかった訳じゃない。
僕の魔力が充満する中で、ガイウス先生の目は、『穴』の痕跡をはっきりと捉えた。
恐ろしい精度だ。これなら、多少時間が経っていたとしても、痕跡をちゃんと見つけてもらえる可能性だって……
これは……思った以上に、早く解決出来るかもしれない……
「ですが、ここに痕跡があまり残されていないのは想定済みです。本命は、誘拐犯がサイラスを攫う時に用いられた『穴』。行きましょう! いよいよ、光が見えてきた……」
突破口は開かれた。
もうすぐだ。もうすぐ、全て解決する。
そんな勝利を確信した時のような気持ちで、学生寮の裏へと向かう。
すると、そこで予想外の人に出会った。
「あれ、アクト先輩? なんでいるんですか?」
「ん? 君は確かセルマリエス……」
赤髪の少年は、僕が声をかけるとぱっと顔を上げ、こちらを振り向いた。
この人は、アクト・キングスランド。メルトの異母兄で、三年生の首席。そして何より……
「なんでって、呼ばれたような気が……ああ、いや、この前話した事で色々と引っ掛かるところがあったから、もう一度ここをちゃんと見たら、何か分かるんじゃないかと思ってね……」
……今回の件、唯一の目撃者だ。
「もしかして、君も同じ目的で? それにあなたはガイウス先生……君一人ならまだ分かるけど、先生までどうして……」
「……コイツに協力してくれと頼まれたんだよ。俺の目を貸してほしいんだと」
「……目?」
先輩は首をかしげる。先生の目の事は知らないのか?
ガイウス先生は僕と違って、隠している訳では無さそうだけど……
「俺は魔力が見えるからな」
「え、そうなんですか? 初耳ですけど……」
「まぁ、言ってないからなぁ。コイツを除いて、今まで聞かれた事無かったし」
……ああ、先生、そういう感じの人……
……いや、違うか。むしろこれはあれだな。
魔術を使えない劣等感の方が強すぎて、魔力が見えるくらいじゃ、たいして特別な事とすら思えないんだろう。
……そう考えると、ちょっと不憫だな。
……うーん……それにしてもこの二人、このまましておくと、いつまでも話してそうだな……どうしよう……
……
……しばらく待った。
なのに、まだ会話は続く。それになんだか話の内容も、だんだん脱線していってるような……
なんだろう。こう言っちゃ悪いけど、劣等感が強い人同士、気が合うのかな……?
……僕、忘れられてるし。
何だって良いけど、ここに来た理由まで忘れてるんじゃ…………っ!!
突然、氷水に放り込まれたかのような悪寒が全身を襲った。
二人も感じたのか、ピタリと会話がやむ。
静寂の中で、僕の視線は、吸い寄せられるようにある一点へと向かった。
空間がピリピリと裂け、裂け目が……
あれは……
『穴』。
いや、それはそうなんだが、なんだか前とは様子が……
「は じ め ま し て。お集まりいただき、アリガトウごさいます。」
……
…………
……穴の中から、声がした。
あの時聞いた、女の声じゃない。
……どこか機械的な、子供の声。
どうする?
ここから逃げるべきか?
……一瞬、僕は、僕達は迷った。
一刻も早く、ここから離れるべきだった。
隣で理解が追い付かず固まっている二人を、引きずってでも逃げるべきだった。
でも僕は、たった、たった一瞬だけ躊躇した。
ほんの、瞬きをする間にも満たないような時間。
あるいは、もっと短かったかもしれない。
だけど、それが良くなかった。
——僕は、選択を間違えた。
グンと、体が前に持っていかれるような感覚。
抵抗の『て』の字が頭に浮かぶより早く……
瞬間、僕達は三人まとめて、『穴』の中へと飲み込まれていった。




