No.36 僕が一番分からないもの、それが何か以外は知らない
No.22よりも少し過激な内容となっておりますのでご注意
「まぁ何にせよさぁ、続きはもう明日にしない?」
あくびをし、ラーファルは目をこすりながら揺れる。ドアの外で、夜間見回りの寮監さんの足音が近づき、遠ざかった。
「ああ、そうだな。……もうこんな時間か……元々遅かったってのに、ちょっと長話が過ぎた」
メルトはラーファルのベッドから立ち上がり、ドアノブに手を掛ける。
「遅くまで悪かったな」
「うん……大丈夫だよ。おやすみ……」
ドアが閉まり、メルトの気配が離れていく。隣に目を向けると、ラーファルはもう夢の中だ。
「はや……」
(定刻を過ぎたら自然に寝れるなんて、なんて健康的な……)
ラーファルを起こさないようにおもむろに立ち上がり、壁の小さな魔術陣に指をあてる。
軽く魔力を流し込むと、カチッと音がして部屋の明かりが消えた。
静かに自分のベッドへと戻る。だけど、今の今まで話をしていたからか、布団をかぶっても全然眠くならない。
とは言え流石に気晴らしに何かをする、って気分にもなれない。仕方がないから僕は枕に頭を押し付け、まぶたの隙間からさえも一切の光が入らないように、ギュッと目を閉じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
……
……あぁ、またか……
……ハァ、嫌な既視感だな……
不自然なほどに整然と机が整えられた教室。人の気配の無いその閉鎖空間に自分がいるのを自覚した時、僕はふと『それ』を思い出した。
『やぁ、昨夜ぶり』
僕はいつの間にか、教室のど真ん中の席に座っていた。
声のした方を振り返る。……ああ、何でまだいるんだよ。
『言ったじゃないか。そんな事じゃ僕は消せない、って』
……人の心を読むな……
『そりゃ無理な相談だね。だってここ自体が、僕の心の中なんだから』
その言葉を聞き終わるより少し早かったか。『それ』の顔面に強烈な右フックを叩き込む。
カーテン越しにベニヤ板をかち割ったような嫌な感触だ。鈍い痛みが指から肩にかけての骨の奥に響く。
一撃食らった”僕”は机の上を二、三度バウンドした後、その角に頭部を強打。流血し動かなくなった。
『いきなり殴るとか、ひっでぇの』
……は?
……これはどう言う事か? 一度まばたきをすると、乱された机はそのままに、”僕”の姿はその血を含め、跡形も無く消えていた。どこだ? どこに行った……?
『どこ見てんだ? こっちだよ』
——今度は前か。
鉤爪を出し、奥歯を噛み締め穿つ。鮮血が飛び散ると共にズクリと肉にめり込む音がして、僕は“僕”の胸を貫いた……はずだった。
いや、見た目だけで言えば確かに僕の右腕は貫通している。鼻を突くような血の臭いもある。でも、右腕にはその感覚が全く無い。
ホログラムなんかよりはっきりと、薄ら笑いを浮かべ机の上に腰掛ける”僕”。その胸に突き刺さった腕を伝い、真紅の液体がしたたり落ちる。”僕”のわずかに上がった口角から、心臓の拍動に合わせ鉄臭い体液があふれ出る。
それなのに、圧迫感も温かさも感じない。むしろ渓流の流水のように冷たいくらいだ。
いくら夢でも気味が悪い。
『だから無駄だってのに』
”僕”は僕をせせら笑う。なぜに?……そう言えば、何でだろう。なぜ僕はここまでして”僕”を消したいと願うのか?
『何でだと? ハッ! 本当にお前は体だけじゃなく、精神まで人間をやめたんだな。自分の事なのに分からないのか? そんなんじゃなおさら僕は消せないよ。分からないなら諦めな。だって僕は……』
——だから。
「あ? 何て……」
『あはははは、やっぱり聞こえてないんだろう? セルマリエス。でも今はそれで良い』
一体何なんだよ。ただでさえ無音の空間、それに”僕”の声は頭の中に直接響くから、なんて言ったか聞き取れないなんて事はあるはずが無いのに。だのに肝心なところが分からない。
”僕”の目的が理解出来ない。そもそもコイツは何だ? 裏人格?
……いや違う。目を見りゃ分かる。コイツは人格なんて大層なものは持ち合わせていない。この虚ろな瞳は、心を失った人間のものとはまた違う。そうだな……言うなりゃ人形みたいだ。人形が鏡の中の虚像のように、僕の一番暴かれたく無いところを映し出しているんだ。
『さてね。どうだろうか? 後は自分で考えなよ』
……また消えた。でもアイツ、今度は血を残して行きやがった。
普通なら死んでいるような量の血溜まりに目を落とす。
赤く濁った水面に、僕の顔が映る。
さっきまで目の前にいたやつとは違う、正真正銘『今』の僕だ。
前世の背景みたいな人間じゃない。セルマリエスは人の皮を被った竜だ。認めようが認めまいがそれは事実。
「僕は何者なんだろうか」
側はもう人間じゃないから人でなし。精神も同じだと“僕”は言いたいのだろうか?
じわじわと赤い水は教室内を侵食する。僕さえもまとめて飲み込まんと、その水位は急激に上がっていく。
くるぶし、膝下、腰、胸元、最後に頭。やがてその空間は、血液のようなものに満たされた。
息が出来ない。でも、不思議と苦しくは無い。自分が溶けてなくなるかのように、意識が薄れ、夢での記憶がリセットされていく。
(……ああ、また忘れるのか。僕は何の為にこれを繰り返して……)
……いや、まぁ、もう何でも良いか。
どうせ後になったら分かる事だろう。今無理に知る必要は無い。
だからせめてこの一時だけは……そうだな……
……この赤とも黒ともつかない闇の中に揺蕩い、漠然とした心地良さを味わっていればそれで良い。
どうせいずれ時は来るのだから。
だから、今はそれで……
……
大丈夫です。次回からまた通常運転です。




