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童話

夢を見るならきっと空の上で

作者: われさら

 ざらざらと雑音(ざつおん)()じった電波(でんぱ)ごしに()こえる(おとこ)(ひと)(こえ)で、ケンジくんはぼんやり()()ましました。


『──……こちらオーキソー。現在(げんざい)のところ異常(いじょう)ナシ。このまま警戒(けいかい)(つづ)けるが、こちらの心配(しんぱい)はいらないようだ。ドーゾ』


 ザッという(みじか)いノイズの(あと)に続けて(おう)じたのも男の人の声でした。ケンジくんの(ひだり)がわで返事(へんじ)をしているようです。


夢見航空(ドリーミング・エア) 8 2 2(エイト・トゥ・トゥ) 、こちらコンジキ。機体(きたい)(いま)高度(こうど)四千(よんせん)m(メートル)維持(いじ)しつつ飛行(ひこう)している。こちらも異常はない。──ああいや。ケンジくんが目を覚ますようだ。それではオーキソー、また(のち)ほど」


「ああコンジキ。ケンジくんによろしく。それでは二人(ふたり)とも、よい(たび)を」


 ザッ。コンジキとオーキソーとの交信(こうしん)()わると、ケンジくんは(ねむ)たい目をこすりながら()きました。眠る(まえ)はたしかに自分(じぶん)(いえ)のベッドで眠っていたはずなのに、今は紺青(こんじょう)の、(あお)上品(じょうひん)座席(ざせき)(すわ)っていたのでした。その(うえ)、眠るときにはパジャマを()ていたはずなのに今は薄茶色(うすちゃいろ)のずぼんにねずみ色のシャツを着ているのです。だから、ケンジくんの目覚めの第一声(だいいっせい)(おお)きなおどろきの声でした。


「えっ!ここどこ?」


「起きたかい。おはようケンジくん──いや、今は真夜中(まよなか)だから『おはよう』というのは(すこ)(へん)かな?」


 ケンジくんは左となりに座る、おだやかな声の(ぬし)()ました。その人は(みどり)のセーターを着ていて、両手(りょうて)操縦(そうじゅう)かんという、いわば飛行機(ひこうき)のハンドルをにぎっています。ケンジくんが起きているのを横目(よこめ)でちらりと確認(かくにん)すると、視線(しせん)(ふたた)びプロペラが元気(げんき)回転(かいてん)している正面(しょうめん)()けられました。


 ケンジくんが注目(ちゅうもく)した、その人の(なに)よりの特徴(とくちょう)は、(あたま)の上にちょこんと黄金色(こがねいろ)三角(さんかく)帽子(ぼうし)()っていることでした。ケンジくんは(おも)わず、まじまじとそのすてきな三角帽子をながめました。


「ええっと、おはよう……?」


 まだ寝起(ねお)きなせいか、ケンジくんは頭がぼんやりとしています。


「おどろかせてしまったかな。ぼくの名前(なまえ)はコンジキ。よろしくね」


 コンジキはそう()うと右手(みぎて)を操縦かんから(はな)して、ケンジくんの(ほう)へと()ばしました。ケンジくんもおずおずと右手を伸ばし二人は握手(あくしゅ)()わします。コンジキの手は(あたた)かくて、ケンジくんの右手をしっかりとにぎり(かえ)しているのでした。


「ここはどこなの?」


「ここかい?ごらんの(とお)りここは飛行機の(なか)さ。夢見航空へようこそ」


 飛行機とはいっても、ケンジくんがお(とう)さんやお(かあ)さんと旅行(りょこう)する(とき)使(つか)う、何十人(なんじゅうにん)も乗せて(そら)()旅客機(りょかくき)のように大きなものではありません。この飛行機は二人乗りの、どちらかと言えば(ちい)さな飛行機でした。


 つまりそう、ケンジくんがいるのはコックピットと()ばれる操縦室(そうじゅうしつ)だったのです。正面には様々(さまざま)数値(すうち)()(しめ)計器(けいき)がいくつも(なら)んでいます。


 計器のすぐ向こうは(よご)れひとつないぴかぴかの(まど)で、夜空(よぞら)(ひろ)がっているのでした。飛行機の(はな)(さき)についているプロペラの(はね)(つき)()かりの(もと)(まわ)っているのが見えます。


 せまい操縦室は(ふた)つの座席が左右(さゆう)に並んでいて、ケンジくんは右がわに、コンジキが左がわに座っています。二人の席の背後(はいご)にはケンジくんくらいの()ども一人(ひとり)がようやく(よこ)になれるくらいのせまい空間(くうかん)荷物(にもつ)()()でしょうか。茶色のかばんが置いてあります。


 とにかく、操縦室は二つの座席をたくさんの計器とともにぎゅっと()()んだようなもので、もしケンジくんが大人(おとな)だったら、ここに座るのはちょっときゅう(くつ)に思ったかもしれません。


 きょろきょろと飛行機の中をながめているケンジくんに、コンジキは「横の窓から(そと)を見てごらん」と言いました。


 言われるがままケンジくんが窓から外を見ると、視界(しかい)満天(まんてん)星空(ほしぞら)でした。ケンジくんの家から見る夜空よりも、田舎(いなか)(やま)の中にあるおじいちゃんの家で見た夜空よりも、ずっとずっと、星がたくさん空に並んでいます。こんなにいっぱいの星々(ほしぼし)を見たことがなかったケンジくんは(いき)をのみました。


 直上(ちょくじょう)(うで)を広げた飛行機の(つばさ)屋根(やね)のようになっていて見上(みあ)げることができませんでしたが、きっと(おな)じように星々がきらきらと(かがや)いていることでしょう。


 続けて視線を(した)に向けると(くも)がちぎれちぎれに点々(てんてん)とあって、さらにその下は黒々(くろぐろ)とした(うみ)が広がっているようでした。


「今海の上を飛んでいるんだ?」


「そうさ。ケンジくんの家から飛び()って、(みなみ)へ、南へと向かってきたからね」


「どうして……?」


 ふしぎと、ケンジくんはコンジキのことを前から()っているような(かん)じがしました。お父さんやお母さんの知り()いにこんな帽子を(かぶ)った人いたかなあ、なんて(かんが)えてみますが、ちっとも思い()せません。でもなんだか、コンジキが(わる)い人ではないということだけはわかりました。


「それはだね。ぼくらは眠ると(ゆめ)を見るだろう?ケンジくんも知っている通り、普段(ふだん)はその夢の内容(ないよう)(えら)ぶことはできない。でも(じつ)はね、子どもなら(だれ)でも一年(いちねん)一度(いちど)だけ、自分の()きな夢を見ることができるのさ。それでぼくコンジキがケンジくんの見たい夢を(かな)えるために、こうやって飛行機を飛ばして南へ向かっているというわけ」


「じゃあこれは本当(ほんとう)じゃない、夢の中なんだ」


「うーん、それはどうかな?」


 コンジキは眉根(まゆね)()せて(むずか)しい(かお)をするとケンジくんにもわかるように説明(せつめい)をします。


「たしかにケンジくんは夢の中なんだけど、本当じゃない、つまり現実(げんじつ)じゃないとは言い()れないんだ。だってそうだろう?ケンジくんはたしかに今、ここにいるのだから。つまりだ──ケンジくんは今、二人いると考えていい。飛行機の中でぼくとおしゃべりをしているケンジくんと、布団(ふとん)の中ですやすや眠っているケンジくんと。どちらか一方(いっぽう)だけが本当だ、現実だ、なんてつまらない考えなのさ」


 コンジキの言葉(ことば)をわかったふりをしてうなずきながら、ケンジくんはどうしてぼくは南へ()きたいだなんて考えたのだろうと思っていました。()しいものや行きたい場所(ばしょ)()って(はな)したい人なら(ほか)色々(いろいろ)とありそうなものです。


「ねえ、どうして南へ向かっているの?」


「それはあとで(おし)えてあげるよ」


 コンジキはそれだけ言うと、計器の針を確認しつつ操縦かんを(うご)かして飛行機を飛ばし続けます。もしかすると、人も(いぬ)(ねこ)なんかの動物(どうぶつ)も──もちろんはるか下のお(さかな)も、何もかもがみんな眠っているような()さえするそんな(よる)を、二人を乗せた飛行機は(すす)むのでした。


***


 (つよ)(かぜ)()たると飛行機ははげしく()れます。雲の(すく)ないおだやかな夜空でも、時折(ときおり)そのような風が横から()いたりして、その(たび)にコンジキは操縦かんを(たく)みに(あやつ)り機体が進路(しんろ)(あやま)らぬよう飛ぶのでした。でも、どんなに機体が揺れてもコンジキの頭の上の三角帽子はずれ()ちたりせず、(かれ)の頭の上に(とど)まっているのです。ケンジくんはそれが気になってチラチラと見てしまうのでした。


「──気になるかい?」


「うん」


 横から(はっ)せられる視線に気がついたコンジキの言葉に、ケンジくんは素直(すなお)にうなずきました。


「すてきだろう?ぼくはこの色(あざ)やかな帽子が大好(だいす)きなのさ。ごらん、カリカリにとんがっている先のところなんて、もう最高(さいこう)なんだ」


 コンジキは片手(かたて)で帽子のてっぺんを指しました。ケンジくんが見上げてみると、たしかに帽子の先はきれいにとがっていて、(やわ)らかいものになら()()さってしまいそうなくらいです。


「うん、とってもきれいだね」


「ふ、ふ、ふ。ありがとう」


 ケンジくんがほめると、コンジキは()れたように(かた)を揺すって(わら)いました。


仲間(なかま)の中ではぼくが一番(いちばん)きれいだったからね。誰よりも。仲間はみんな、きみと空の旅をしたがったけれど、一等(いっとう)きれいなぼくがきみの夢先(ゆめさき)案内人(あんないにん)就任(しゅうにん)できたというわけさ。皮肉(ひにく)なことにね」


「どういうこと?」


「他の仲間は頭の帽子がひしゃげていたりしたからね。こういうのは見栄(みば)えが大事(だいじ)というわけなのさ。でももちろん、ぼくも他の仲間に()けないくらいきみと一緒(いっしょ)にいたかったから、今夜(こんや)はとてもうれしいんだ。仲間たちにあとでこのことを報告(ほうこく)するのが(たの)しみだよ」


 そう言うとコンジキは口笛(くちぶえ)を吹きました。その音色(ねいろ)はどうやらコンジキがこの場で思いついた即興(そっきょう)のようで、きちんとしたメロディになってはいません。それでもコンジキが今を楽しんでいるのが手に()るようにわかるような、そんな旋律(せんりつ)でした。


「──さて、そろそろここらで一息(ひといき)いれようか。ケンジくんもせまい操縦室できゅう屈な思いをしただろう」


「どこかに着陸(ちゃくりく)するの?」


「『着()』だって?まさか!この太平洋(たいへいよう)()(なか)に、都合(つごう)よく陸地(りくち)なんてあるわけないよ。それよりももっと簡単(かんたん)(やす)める場所があるんだ」


「へえ、どこにあるんだろう」


 コンジキは得意気(とくいげ)に正面の夜空を(ゆび)()しますが、ケンジくんにはコンジキが何を言いたいのかさっぱりわかりません。


「雲だよ、雲。さながら『着雲(ちゃくうん)』、いや、『着雲(ちゃくぐも)』?まあどっちでもいいか」


「雲!?」


 ケンジくんは(しん)じられない、というように(くび)()りました。


「雲に着陸、いや着雲なんかできないよ!雲に乗ることなんかできないって、ぼくみたいな子どもでも知ってるんだから」


「は、は、は。(あま)いねケンジくん。たしかに()の中の雲のほとんどは乗ることなんかできないさ。でもね、実は乗ることのできる雲があるにはあるんだよ。寒天雲(かんてんぐも)って言うんだけどね」


「寒天?」


「そう。あのちょっぴり甘いやつさ。ケンジくん、きみは空を(なが)れる雲が最後(さいご)はどうなるのか、見届(みとど)けたことはあるかい?」


 はたとケンジくんは考え込みました。言われてみると雲が最終的(さいしゅうてき)にどうなるか見たことはない気がします。


大半(たいはん)(あめ)(ゆき)になって()(そそ)いだりさ。風に()らされたりして()えちゃうものもあるかな。それでも時々(ときどき)全然(ぜんぜん)消えない頑固(がんこ)意固地(いこじ)な雲がある。それが寒天雲の正体(しょうたい)。この飛行機が乗るくらいの大きさなら、(さが)せばすぐに見つかるよ」


 ケンジくんは寒天雲なんて言葉、(はじ)めて聞きました。


「でもそんな雲が本当にあるなら、飛行機やヘリコプターは空を飛べないんじゃない?ぶつかったら大事故(だいじこ)だよね」


 ケンジくんはコンジキのことを信じていないわけではないけれど、にわかには寒天雲の存在(そんざい)を信じられません。


「そこが素人(しろうと)玄人(くろうと)(ちが)いだね。パイロットになるためには飛行機の操縦を(おぼ)えるだけじゃだめなんだ。プロのパイロットは一目(ひとめ)通過(つうか)しても大丈夫(だいじょうぶ)な雲とそうでない雲を見分(みわ)けられる。機械(きかい)操作(そうさ)だけじゃない、天候(てんこう)状態(じょうたい)()()訓練(くんれん)もしっかり()んでこそ、空を安全(あんぜん)航行(こうこう)できるというわけさ」


 寒天雲を探すためにコンジキは飛行機をわずかに左へ(かたむ)け、南へと向かう進路から少しはずれました。


「──おっ、あった」


 そしてコンジキはすぐに寒天雲を見つけたようです。でもケンジくんにはどの雲のことだかわかりません。目を(ほそ)めてまばらに()かぶ雲たちを見比(みくら)べますが、どれも同じように見えます。


「えっ、どれ?」


「プロペラの先の、ほんの少しぼくの方。やけに白々(しろじろ)としている雲があるだろう?あれだよ」


「うーん?あれがそうなの?」


「着雲してみればわかるさ。これから少しだけ揺れるから、(した)をかまないように注意(ちゅうい)してね」


 ケンジくんはあわててシートベルトをぎゅっとつかみ、舌をかまないよう口を()じました。二人の乗った飛行機は速度(そくど)をゆるめ、コンジキの示した雲へと(ちか)づいていきます。


 ──もしこれがただの雲だったらどうしよう。


 口にこそ出しませんでしたが、そう考えてケンジくんはハラハラしました。()まるつもりで速度を落として、もし、そのまま飛行機が雲を突き()けて下へ落ちて行っちゃったら?()(さか)さまに落下(らっか)する飛行機を想像(そうぞう)して、ケンジくんはたまらず身震(みぶる)いをしてしまいました。


「──ケンジくん」


 不意(ふい)にとなりのコンジキが片手を伸ばしてケンジくんの頭をなでてくれました。


「大丈夫だよ。よく見ててごらん」


 飛行機はいよいよ雲の上へと差しかかり、コンジキの巧みな操縦で胴体(どうたい)車輪(しゃりん)が雲と接触(せっしょく)したようです。普通(ふつう)、飛行機が着陸する時はガタガタと振動(しんどう)で揺れるものですが、この寒天雲への着雲はまるで水上(すいじょう)のボートが(なみ)上下(じょうげ)に揺れるような、うねうねとした揺れでした。やがて飛行機が完全(かんぜん)停止(ていし)すると、ケンジくんは安心(あんしん)のあまりほうっとため息を一つつきました。


「寒天雲に到着(とうちゃく)。シートベルトは自分で(はず)せるかい?()りてみよう」


「うん!」


 元気よく返事をしたものの、ケンジくんにとって少し(たか)さのある飛行機の乗り込み口から雲へ飛び降りるのは勇気(ゆうき)がいることでした。たしかに飛行機は雲の上に(みっ)つの車輪を乗せて停まっているのですが、ケンジくんも同じように雲の上に乗れるのか自信(じしん)()てなかったからです。コンジキはどうしているかと見てみると、彼はもうすでに飛行機から降りていて雲の上で(こし)をぐっとまっすぐに伸ばしているところでした。


「よーし」


 大きく息を()って飛行機からケンジくんは飛び降りました。着雲の瞬間(しゅんかん)はヒヤリとしましたが、大丈夫。ケンジくんも無事(ぶじ)雲の上へと降り立ちました。


 振り返って(あらた)めてよく飛行機をながめると、ケンジくんはなんだかこの飛行機に見覚えがある気がしました。初めて乗ったのに、どこかでしょっちゅう見ているような……。ふしぎなこともあるんだなと思いつつ、ケンジくんは足元(あしもと)の雲の様子(ようす)をよく観察(かんさつ)してみました。


 寒天雲はその名に(はん)してつるりとはしておらず、綿菓子(わたがし)のようにふわふわとした部分(ぶぶん)一面(いちめん)に広がっています。ふかふかの布団の上にいるみたいな心地(ここち)です。はねたりかけ足をしたりしてみても、ケンジくんの足が雲を突き抜けてしまうということはありませんでした。


「ケンジくん」


 ひとしきり雲の上ではしゃいでいるケンジくんをコンジキは手を(まね)いて呼ぶと、片方(かたほう)の手に持っているぼんやり(ひか)(つぶ)を見せました。


「うわあ……これは?」


「星の粒さ」


 コンジキは飛行機から持ってきたかばんに手を()れると、そこから金属(きんぞく)装飾(そうしょく)されている透明(とうめい)なガラス容器を取り出しました。ランタンです。装飾は容器を上下からはさみ込むようにできていて、三方(さんぽう)を同じ金属素材(そざい)(はしら)(ささ)えています。てっぺんにはランタンを()るすための針金(はりがね)でてきたフックがついていて、くるりと(まる)まっていました。


 コンジキはそれに先程(さきほど)の星の粒を入れました。するとその粒は、ランタンの中で何倍(なんばい)にも(あか)るさを()してきらきらと光りだしたのです。


「あと何粒(なんつぶ)(ひら)おうかな。ケンジくん、この雲の中に手を入れてごらん」


 ケンジくんはしゃがみ込んでもこもことしている雲の表面(ひょうめん)をなでてみました。表面は綿のような感触(かんしょく)をしていて見た目通りふかふかです。しかし手を少し突っ込んでみると(かた)さのあるものに手が()れます。これのおかげで、ケンジくんたちは雲の上に立っていられるのでしょう。


「固い部分があるだろう。それがこの雲の(かく)になる部分さ。ちょうどその(あた)りに星の粒が(から)まっていることがあるんだ。(さわ)っても大丈夫だから探してみてくれないか。三粒ほどあれば充分(じゅうぶん)だから」


「うん!コンジキはどうするの?」


 コンジキはかばんからペーパーナイフという、はさみの()が片方だけでできているようなナイフを取り出しているところでした。


「ぼくは特等席(とくとうせき)準備(じゅんび)をするよ。ちょっと(つめ)たいけどね。おしりがぬれたりはしないから安心して」


「ふうん……?」


 何やら作業(さぎょう)(はじ)めたコンジキをよそに、ケンジくんは雲の中に手を入れて星の粒を探しだしました。


 探しだして()もなく、それはすぐにケンジくんの指先(ゆびさき)に触れました。(あつ)くもなく冷たくもない粒をつまんで手のひらに(ころ)がしてみると、それはまるでビーズのようです。ケンジくんはコンジキから三粒ほどで充分と言われていましたが、(あつ)めるのが楽しくなってしまいには十粒も雲の中から取り出してみました。


 手のひらを目一杯(めいっぱい)広げてそれらを並べると、星座(せいざ)ができそうな気さえして、ケンジくんはもう夢中です。しばらく星粒をつついて並べかえたり入れ替えたりして楽しんだ後、ケンジくんはランタンの中に星粒を一粒ずつ転がし入れました。一粒入るごとにガラスの中は明るさを増していき、コンジキが言っていた通り三粒も入れるともう雲の上は明るさでいっぱいです。これ以上(いじょう)入れると、きっと直視(ちょくし)できないほどの明るさになってしまうでしょう。ケンジくんは(のこ)った粒をズボンのポケットにしまうと、コンジキの方を振り返りました。


「ぜんぶ(ひろ)ったよ!すごく明るいねこれ!」


「そうだろう。それでもう夜の暗闇(くらやみ)なんかどこかへ行ってしまうからね。ぼくの方も、いすを切り出すのがもうあと少しで終わるから。ちょっと()ってて」


 コンジキは足元の雲を真四角(ましかく)に切り取っているところでした。すでに一つ取り出していて、まるで大きなサイコロのようです。先程「特等席」と言っていたのはこれのことなのでしょう。やがてもう一つを切り取ると、二人は星粒のランタンを(かこ)うようにして雲のいすに座りました。


 コンジキが切り出したいすはふかふかしていてとても座り心地のよいもので、ケンジくんは座ったと思えばいすから腰を上げて、すぐにまた座ってと、その感触を楽しんでいます。


目的地(もくてきち)はまだ(とお)いの?」


「いいや。もう目と鼻の先だよ」


 コンジキは空を見上げました。ケンジくんもつられて見上げると、いつもより近くにある月がまるでこちらを見ているようです。目が合ったような気さえしました。


「今ぼくらがいるここがあの飛行機で()ることのできる最高地点(ちてん)さ。それでこれから目的地までは、うんと高度を()げて、海のそばを飛ぶよ」


 かばんからきれいに()りたたまれた(かみ)を取り出し、コンジキはケンジくんのそばに来てそれを広げてみせました。ランタンの明かりの下、ケンジくんがよく見るとそれは地図(ちず)でした。


「今ぼくらがいるのはこの辺り」


 コンジキは地図の一点(いってん)を指差すと、南東(なんとう)の方へと指を動かしてすぐに()めました。そこには(あらかじ)めバツマークで(しるし)がつけられていて、ケンジくんでもそこが目的地だというのは(さっ)することができました。


「そして目的地はこの辺り」


 しかしコンジキが指差しているバッテンは、どう見ても海の上です。陸地(りくち)などは周囲(しゅうい)になく、こんな(ところ)にケンジくんは何があるのだろうとふしぎに思いました。


「ぼくが見たいものがここにあるの?」


「うん。あるんだよ」


 二人で話していると、突然(とつぜん)、飛行機の方から『コンジキ、コンジキ!』と電波ごしにコンジキを(あわ)ただしく呼ぶ声が聞こえてきました。


「オーキソーだ。ずいぶんと慌てているな」


 コンジキは飛行機に()け寄り無線機(むせんき)を取るとオーキソーに応答(おうとう)しました。


「こちらコンジキ。オーキソー、どうかしたかい」


重大(じゅうだい)問題(もんだい)発生(はっせい)だ。うかつだったよ』


「何があった?」


今回(こんかい)の旅行計画(けいかく)でぼくらが計算(けいさん)した往復(おうふく)時間(じかん)だけどね、ケンジくんの家と目的地との距離(きょり)(あたい)間違(まちが)っていた。地図の縮尺(しゅくしゃく)勘違(かんちが)いして計算していたんだ。それで計算し(なお)したところ、本来(ほんらい)ならきみたちは、もう(かえ)りの空を飛んでいないといけないんだ』


「それはまずいな」


 コンジキはしまった、と(つぶや)いて頭をかいています。ケンジくんはそっとコンジキに(かた)りかけました。


「コンジキ、ぼくはこの寒天雲に乗れただけでも充分うれしいから、もしそれを見れなくてもがっかりしたりしないよ」


 それはケンジくんの本心(ほんしん)でした。コンジキのおかげでこんな夢を見れて、とても満足(まんぞく)していたのです。


「……そういうわけにはいかないさ。折角(せっかく)ここまで()たのだから、ぼくは絶対(ぜったい)あれをケンジくんに見せてあげたいと思っている」


 コンジキは(ちから)をこめてそう言うと難しい顔のまま計器とにらめっこをしました。


「飛行機を全速力(ぜんそくりょく)で飛ばせば間に合わないだろうか?オーキソー」


『計算してみるからちょっと待って──』


 ケンジくんは心配そうにコンジキを見上げました。「大丈夫だよ」とコンジキはケンジくんの心配をふっしょくするようにほほえみかけています。


『──うん!これから先、飛行機を全速力で飛ばすならなんとか大丈夫。でもいいかいコンジキ。それで余裕(よゆう)()まれたわけじゃない。全速力でなんとかようやく、ってところなんだ』


「ああ、わかっている。ではぼくらはこれより大急(おおいそ)ぎで目的地へ向かうとしよう」


『そうしてくれ。コンジキあとは(まか)せたよ。──ケンジくん』


 (きゅう)にオーキソーから呼びかけられて、ケンジくんはドキドキしながら返事をしました。


()かせるようなことになってすまないね。でもコンジキが操縦する飛行機なら大丈夫。きみは安心して空の旅を楽しんでおくれ』


「ありがとう。オーキソー」


『ぼくはお(うち)できみたちの帰りを待っているからね。ではこれで』


 コンジキもオーキソーへあいさつをし、交信を終えました。


「というわけで、早速(さっそく)出発(しゅっぱつ)だ」


 二人は慌ただしく荷物をかばんにしまい飛行機に乗せると、寒天雲から飛び立つのでした。


***


 飛行機は先程よりも(はや)く、そして(ひく)位置(いち)を飛んでいます。ケンジくんが窓から下をのぞくと、夜の(やみ)の黒々とした海面(かいめん)が波()つ様子さえ、かすかにわかりました。コンジキが飛行機を飛ばすのに集中(しゅうちゅう)しているので、ケンジくんは話しかけるのをためらって、あまりよく見えない海をぼんやりとながめているのでした。


 こんなところに何があるんだろう?そんなことを思っていたケンジくんの(ひとみ)に、海面から何かが姿(すがた)を見せたのが(うつ)りました。


「あれ──?」


 (つぎ)の瞬間、それは海面をとび出し大きな姿を空中(くうちゅう)に見せると、再び海の中へと戻っていきました。


「くじらだ!」


「ここらで間違いないようだね」


 飛行機はくじらがはねた辺りを中心(ちゅうしん)に、(えん)(えが)くように飛んでいます。


「ぼくが今夜、きみに見せたかったのはくじらが空を飛ぶ瞬間なのさ」


「空を?」


「ああ。今さっきのようにはねるのではなく、ね」


 付近(ふきん)にはくじらがいて、ブリーチングという、海面から一気(いっき)海上(かいじょう)にとび()背面(はいめん)とびをする運動(うんどう)をしてみせています。まるで空を飛ぶために準備をしているようです。とび出したくじらの大きな(からだ)が海面に(たた)きつけられるたびに、大きな波しぶきがあがっています。


『こちらオーキソー。コンジキ、くじらは飛んだか?』


「いや、まだだ。彼ら(・・)()ないことにはくじらも空を飛べないんだ。何といってもあの巨体(きょたい)だからな」


悠長(ゆうちょう)なことを言ってるが、そこで待っていられるのもあと数分(すうふん)だ。これ以上そこにいると、たとえ全速力でも朝日(あさひ)(のぼ)る前に帰れなくなるぞ』


 ケンジくんはちらりとコンジキを見ました。寒天雲の上では「見れなくてもいいよ」と言ったけれど、今はどうしてもくじらが空を飛ぶところを見てみたくなっていたのです。


「……ぎりぎりまでねばって待ってみるさ。ぼくの飛行機の腕を信じてくれ」


『わかった。だが夜の(あいだ)にケンジくんが家へ戻ってくることが一番大事なんだ。そこを(わす)れるなよ』


「ああ」


 交信を終えると、コンジキはケンジくんに向き直りました。


「あと少し、もう少しだけ待ってみよう。大丈夫。ぼくらがこれだけ待ちわびているのだもの。きっとくじらが空を飛ぶ姿をおがめるはずさ」


「ねえ、もし帰るのが(おそ)くなったらどうなるの?」


「それはね──」


 ケンジくんはコンジキの背中(せなか)ごしにのぞく窓の向こうの月に、(あな)()いていることに気が付きました。


「コンジキ、あれ見て。月に穴が」


 コンジキも振り返って月を見つめました。二人が見ているうちに黒々とした月の穴はじわじわと広がり、そしてとうとう月を()み込むほどの黒い(かげ)になりました。そこで二人はようやく、それが穴ではなくて(とり)()れが(つく)る影だと気が付きました。何十、いえ、何百(なんびゃく)もあろうかという鳥の大群(たいぐん)が、月を()にこちらにやってきていたのです。


「来たぞケンジくん!シギの群れだ!」


 隊列(たいれつ)をなした鳥たちは飛行機よりも低空(ていくう)(つど)い、やがて海上のある一点を中心に、(うず)()くように飛び始めました。渦の中心の海面からはくじらが顔をのぞかせているようです。しかし、月明かりのぼんやりとした明るさの下でははっきりとその姿を見ることはできません。


「しまった。ここからじゃ(くら)くて遠いから、ちゃんと見れないぞ。この飛行機、強力(きょうりょく)なライトなんて便利(べんり)なものついていないからなあ」


「もっと近づくことはできない?」


「だめだ。飛行機みたいに大きなものが近づくと鳥たちが(おどろ)いてしまう」


 コンジキはちょっと考え込みましたが、「そうだ」と呟くとケンジくんに(うし)ろに置いてあるかばんから星粒のランタンを取るように言いました。ランタンはまだ寒天雲で見たときの明るさのままです。


「これにパラシュートをつなげて、あの鳥たちの渦のずっと上から投下(とうか)してみよう。くじらのためのスポットライトを作るんだ」


「でもパラシュートなんてかばんに(はい)ってないよ?」


「パラシュートはね。でも代わりのものならここにある」


 コンジキは頭の上の帽子を()ぎました。


「この帽子が星粒ランタンの落下傘(らっかさん)さ」


 コンジキにとってその帽子はとても大事なものだとケンジくんは思っていたので、驚いて聞き返しました。


「その帽子、コンジキの大事なものなんじゃないの!?」


「大事さ。でもくじらが空を飛ぶ瞬間をケンジくんと一緒に見るほうがもっと大事だからね」


 コンジキはほほえんでケンジくんに帽子を(わた)しました。


「ありがとうコンジキ。そうだ、ぼくもまだ星粒を持っているんだった」


 ケンジくんはポケットを探って星粒を何粒か取り出しました。それもランタンの中に入れると、飛行機の中はもう真昼(まひる)みたいに明るくなって、これなら遠くからでもくじらを観察することができそうです。


 ケンジくんがランタンと帽子をかばんの中に入っていたハンカチで(むす)んでいる間に、コンジキは飛行機をうんと高く飛ばしました。


「さあ、ここだ。ここからランタンを落とすわけだけど……それはケンジくんにやってほしい。できるかな?」


「うん、やってみるよ」


「きみの左手はぼくが(つか)まえておくから、右手でランタンを持って……そう。それじゃあ、いち、にのさん。でそっちの(とびら)を開けるからね」


「うん」


「いくよ。いち、に──」


 ケンジくんは大きく深呼吸(しんこきゅう)をしました。コンジキがしっかりと片手を持っていてくれるからきっと大丈夫。それよりも、このコンジキの大事な帽子で作ったランタンのパラシュートがしっかりとくじらを照らしてくれるようにしないと。そんなことを考えながら、コンジキのカウントダウンを聞いていました。


「さん!」


 コンジキのかけ声でケンジくんのそばの扉は口を(ひら)き、風が強く吹き込みました。飛行機が大きく揺れます。コンジキは()いている方の手で懸命(けんめい)に操縦し、飛行機が落ちないようにしています。ケンジくんはランタンを片手に、飛行機から身を乗り出しました。


 夜空を流れていたのは風だけではありません。飛行機の出すエンジンの(おと)、プロペラが回転する音、そして離れているのに聞こえる何百羽(なんびゃくわ)もの渡り鳥の大合唱(だいがっしょう)。それらが何重(なんじゅう)にも折り(かさ)なっているのです。音のかたまりにくじけないよう、コンジキは大声(おおごえ)でてケンジくんを(うなが)しました。


「さあケンジくん、そのランタンを落とすんだ!」


「いくよ!」


 ケンジくんも大きな声で返事をして、ランタンをできるかぎり高く(かか)げました。それは暗闇の中にあってより一層(いっそう)明るくなった気がします。ぐらぐらと揺れていた飛行機が一瞬(いっしゅん)安定(あんてい)したその時、ケンジくんはランタンからそっと手を離しました。それは抵抗(ていこう)もなくすっと下へ落ちていきましたが、すぐに黄金色の帽子がパラシュートの役割(やくわり)()たし、ランタンはゆっくりふわふわと下降(かこう)しています。


 コンジキはケンジくんが飛行機の内側(うちがわ)(もど)ってきたのを確認すると、すぐに扉を()めました。そして再び先程の高さまで飛行機を戻すと、くじらをよく見ようと目をこらしました。


「さあ、どうだ」


 ランタンは二人がねらった通りの(はたら)きをしました。星粒の明かりはよく届き、離れた場所にいる飛行機からでも今まさにくじらが海面から完全に姿を見せたところを照らしてくれています。


 先程までくじらは青くて黒い背中を()らしてブリーチングをしては水面(すいめん)(おのれ)の巨体を叩きつけていました。きっとまだ鳥たちの力を()りたくなかったのです。ですが鳥たちから説得(せっとく)されたのでしょう。ブリーチングをやめると、海面すれすれを飛ぶ渦の中心の鳥たちの背に乗りだしました。ランタンの明かりのおかげで、くじらの姿をはっきりとケンジくんは見てとれました。


 二人が見守(みまも)る中、くじらは鳥たちの渦に乗り、空中へと昇っています。


「わあ……」


 それはまるで鳥たちが作るらせん階段(かいだん)でした。星粒のランタンが照らす中、お腹を(すべ)らせてするするとくじらは鳥たちの作るらせんを昇っています。やがて階段の一番上までくると、くじらは(むな)びれを広げて空を飛ぶ体勢(たいせい)に入りました。


「飛べ、飛べっ!」


 思わずケンジくんとコンジキは声を合わせてくじらの応援(おうえん)をしていました。くじらは何度(なんど)もためらっている様子でしたが、やがて意を決したのか、ゆっくりとその巨体を夜空へ飛び立たせました。


「あっ、飛んだ!」


 くじらは胸びれをはためかせて浮かんでいました。夜空に。月や星を背にして、まるで海の中を(およ)ぐみたいに、悠然(ゆうぜん)と空を飛んでいます。鳥たちもそのくじらを歓迎(かんげい)するように、周囲を一緒になって飛んでいます。


「ぼくがきみに見せたかったのはこの光景(こうけい)なんだ」


 ほっと息をはいてコンジキはケンジくんにほほえみました。


「きみと一緒に見ることができてとてもうれしいよ」


「ありがとうコンジキ。ぼくもとてもうれしい」


 くじらはケンジくんたちの飛行機に気がついて、近づいてくると(とも)に空を飛ぶ仲間としてあいさつをしました。(うた)うように()いたのです。


「ケンジくん、口笛を吹いてあいさつを返してあげなよ」


「どうしたらいいの?」


「簡単さ。『こんばんは』って気持(きも)ちをこめて口笛を吹いてごらん」


 実はケンジくんは口笛が得意ではありませんでした。それでも口をすぼませてくじらにあいさつをするつもりで思い切って口笛を吹いてみると、ちゃんと音が出ました。横でコンジキもケンジくんの出した口笛に合わせてくじらにあいさつをしています。


 くじらも満足気にもう一度歌うと、飛行機から離れていきます。ケンジくんは窓におでこをくっつけて、離れていくくじらに手を振りました。


 しばらくくじらは夜間飛行(やかんひこう)を楽しんでいましたが、やがて滑空(かっくう)をはじめ、ゆるやかに海へ着水(ちゃくすい)しました。もう満足をしたのでしょう。


 そして高く潮を吹きました。鳥たちにお礼を言うように。ケンジくんたちにお別れのあいさつをするように。二度(にど)三度(さんど)と吹かれた潮が収まると、いつの間にか鳥たちも()っていて、周囲はまた(しず)かな夜の海になっているのでした。


***


「じゃあぼくらも帰ろうか」


「うん」


 飛行機はかつてない程の速度でケンジくんの家へと急ぎます。


 コンジキが全速力で飛ばす飛行機はぎゅんぎゅんと空を飛び抜け海を渡り、やがて陸が見えてきました。()っ暗な町をこえ山もこえ道路(どうろ)線路(せんろ)(はし)もトンネルも、何もかもを飛びこえて、飛行機はケンジくんの町へとたどりつきました。でも町はまだ真っ暗で、家と家の区別(くべつ)をつけることができません。


「こんなに暗かったらどれがぼくの家だかわからないね」


「そこは大丈夫。オーキソーがぼくらの帰りを待ってくれているからね」


 コンジキは「ほら」ととある一軒(いっけん)の家を指差しました。


「あの家からぼんやりと光っているものが見えるだろう?」


 夜光塗料(やこうとりょう)()ってあるのでしょうか。緑色にぼうっと光る棒状(ぼうじょう)のものが揺れています。


「あそこがぼくの家?でもどうやってこの飛行機で家に入るの?」


「これからこの飛行機はどんどん(ちぢ)んでいくからね。窓なんか通るのは簡単さ。でももうじき朝が来る。だからのんびりと到着する余裕はないんだ。ケンジくん。きみは飛行機が布団の真上まできたら、飛び降りるんだ」


「コンジキはどうするの?」


「ぼくかい?ぼくなら大丈夫。最後まで飛行機を操縦しないといけないしね」


 ケンジくんの家を正面に(とら)えると、飛行機はまっすぐに飛んでいきます。そしてコンジキの言葉の通り、飛行機は少しずつ縮み始めているようでした。速度は(よわ)まり、飛行機は滑空をするように飛んでいるのです。


 夜明け前の一番暗い空を、二人を乗せた飛行機は静かに飛んでいます。


 ケンジくんの家が近づいてくると、コンジキは無線機に向かってオーキソーに呼びかけました。


「こちら夢見航空822。当機(とうき)はこれよりケンジくんの家へと帰還(きかん)する。部屋の窓を開けられたし」


『こちらオーキソー。了解(りょうかい)だ。窓開けを始める。さん、に、いち』


 オーキソーの合図(あいず)で部屋の窓は全開(ぜんかい)になり、飛行機は開け放された窓から部屋(へや)の中へと進みました。


「おかえり!」


 ケンジくんの部屋の中で両手に持った光る棒をあらん限りに振って、飛行機を部屋の中へと誘導していたのはオーキソーでした。もう無線機など使わなくても声を直接(ちょくせつ)聞くことができます。


「オーキソーただいま!ぎりぎり間に合ったよ!」


「ああ。さ、早くケンジくんを布団の中へ!」


 二人は大声で会話(かいわ)をしています。窓の外はもう夜明(よあ)けが近いのでしょう、()っすらと空が明るくなっている気配(けはい)です。


「さあ、ケンジくん。布団に飛び降りるんだ!」


 ケンジくんは部屋の天井(てんじょう)すれすれを飛ぶ飛行機の扉を開けて布団が真下(ました)にあるのを確認しました。そこではもう一人のケンジくんがぐっすりと眠っています。


「ねえ、ぼくが眠っているけれど、飛び降りても大丈夫なの?」


「ああ。大丈夫。本当はもっとケンジくんとお話しをしたかったけれど、今夜はここまでだ。ケンジくん、また会おうね」


「うん。コンジキも……あとオーキソーともゆっくりお話したかった」


「ぼくからよろしく言っておくよ。よし、ケンジくん、さようならだ」


「バイバイ!」


 縮みゆく飛行機からケンジくんは自分が眠っている布団の上へと飛び込みました。


「また会おう!」


 空中でケンジくんは光る棒をブンブンと振っているオーキソーと目が合いました。


「また今度ね!」


 飛行機から飛び降りてすぐにベッドに着地すると思ったのに、ふしぎなことにケンジくんはオーキソーに手を振ってあいさつをする余裕がありました。それともう一つふしぎなことに、ベッドの上に着地したと思ったら、布団がぼふ、と柔らかな音を立てて、次にまたたきをした後にはもうケンジくんは布団の中にいたのです。頭の下に(まくら)存在(そんざい)を感じながら、ケンジくんは飛行機がゆらゆらと部屋の中を移動(いどう)するのを見つめていました。


 コンジキが操縦する飛行機はどんどん小さくなっていっています。飛行機はケンジくんの勉強机(べんきょうづくえ)へ向かって飛んでいき、置いてある筆箱の上に止まりました。もう飛行機の大きさは手のひらサイズです。そこから飛行機は筆箱の中へと沈んで、とうとう筆箱の模様(もよう)一部(いちぶ)に収まりました。部屋の中にいたオーキソーの姿も、飛行機の中にいたコンジキの姿も、いつの間にか見えなくなっています。


「ああそうか。あの飛行機どこか見覚えがあると思ったら、筆箱の模様だったんだ。じゃあコンジキは──」


 そんなことを考えながら、ケンジくんは夢の中なのに(つか)れからずるずると眠ってしまうのでした。


***


 翌朝(よくあさ)、ケンジくんががばっと身を起こすと、部屋の窓はきちんとしまっていてケンジくんは普段着ている通りのパジャマ姿でした。何かちょっとした冒険(ぼうけん)をしたような、そんな夢を見た気分(きぶん)なのですが、そんな記憶(きおく)はすぐにぼやけてしまって、おぼろげにしか思い出せません。誰かとなにかに乗っていたような……。ケンジくんは夢の記憶をすくい出そうとしましたが、(おお)くの人と同じように、一度あいまいになってしまった夢にきちんと(かたち)をつけることはできませんでした。でも、夢の中で大きなくじらが空を飛ぶ姿を見たのははっきりと覚えています。


「あれはすごかったなあ」


 ベッドから出て勉強机を見ると、先の折れた(きん)の色えんぴつと暗い所で光る恐竜のおもちゃが語らうように並んでありました。


「あれえ、なんで折れているんだろう。ちゃんとしまっていたはずなのに」


 金の色えんぴつを使うのはもったいない気がして、ケンジくんは普段、金だけは全然使わずにきれいに()いだまま色えんぴつのケースにしまっていたのです。それなのに、なぜか今朝(けさ)はケンジくんの勉強机に出てきているのでした。


「変なの」


 朝の()んだ空気(くうき)の中、えんぴつけずりでその色えんぴつきれいに研ぎなおすと、なんだか今まで使わずにいたことの方がもったいなかったような気がしてくるからふしぎです。


 ふとパジャマのズボンのポケットに違和感(いわかん)を覚えたケンジくんがそこに手を突っ込むと、一粒だけ、ビーズのように小さな粒が出てきました。


 手のひらでそれを転がすと、ケンジくんは勉強机の色えんぴつと恐竜のそばに置きました。朝日を()けたわけでもないのにきらりと粒が光りましたが、ケンジくんはもうそれを見ていなかったので気がつきません。ただ金色のえんぴつと緑色に光る恐竜だけがその粒を大事な思い出のように見つめているのでした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] わぁ。 夢の中の大冒険でしたね! くじらの飛行。浪漫です。
2024/01/17 20:35 退会済み
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