8:ナギサとアカネ
(どうしてそんなふうにふざけられるの。ボクの喉元にナイフが向けられているって言うのに……)
(そんなに焦るなよ。ほら深呼吸でもして。ふざけている余裕がなければ、いつだって失敗の綱渡り。これまで馬鹿真面目に失敗してきたならさ、おふざけピエロを試すくらいがちょうどいいのさ)
ボクの魔法能力にボク自身が気づいたからだろうか。
すぐ近くにいるオーメンのココロが、リンクするようにわかってしまう。
目の前の人物についてもそれが使えるだろうか。
ボクが、”彼女”にココロを寄り添わせることさえできれば。
何を考えているのか、何が禁句なのか、それならばどうすれば見逃してもらえるのか。
「おい。私を見ろ。けして、ナギサの方を向くんじゃないぞ」
暗い中で発光するようなあざやかな青の衣装。
上等な光沢のある厚手の生地がゴージャスで、ボタンや装飾の金はおそらく本物だ。ステージ映えするロング・ポニーテールをなびかせて、圧倒的な存在感を放っている美少女。
「キミのこと、遠目になら見たことがあるよ。アカネさん、だね!」
「はしゃぐな。うるさい。ピエロの高い声って嫌い。さん、なんて、媚びられるのも嫌い。アカネって呼んで。いいや呼ばないで」
ダメすぎる。
隙がないよ。
ボクの足の間に自分の足を差し込んで逃げられないようにしている。ボクよりも背が高いので、のしかかられるような圧がある。
(負けました、っていえば退いてくれるんだろうな。けれどそれを約束事にされて、ボクになにか命令をしてきてはたまらないよ)
(幹部のところに出頭しろ、とかなー)
(そういうこと)
(この子はやると思うかい)
(いや、やらない、かも。どうにもアカネは強情そうで、おとなしく従うピエロには見えない。そうだ、さっきだって、ピエロのことを”嫌だ”って言っていたじゃないか。もしかしてアカネも洗脳が解けているか、ゆるんでいる?)
(少なくとも俺様のチェックリストには載ってたぞ☆)
(そーいうこと早く言って!)
ボクはピエロのへらへら笑いをやめた。
さっきオーメンに煽られたから、過剰にへらへらしていたので、余計にアカネを怒らせていたからだ。
オーメンめ、と思うけれど、そうしていなければアカネの怒りと本音を引き出すことはできなかったのかもしれない。オーメンは底がしれない。
アカネは怪訝な顔つきをしている。
しばらく見つめあうしかなかった。
凛々しくつり上がった目は、威嚇のためにそうされていたのだろう。長い息を吐くと、きつく思えていたアカネの顔つきは、幾分やわらいだ。
氷の美少女から、氷水の少女というように。
(例えがダサいな)
(うるさいよ)
彼女は剣を下ろすと、げしっとボクの足首を蹴った。
ふてくされたみたいだ。
じぃーーんと痺れた足を庇って前屈みになりながら、耐える。
「もう! アカネちゃん!」
「ちゃん、って可愛らしく呼ぶのはやめて」
女の子の会話が頭上から聞こえてくる。
ん?
これは、ええと。
あーなんとなくわかったかも。
「先に『違う』と言っておくね。ナギサに手出しはしていないよ。けれど、そういうふうに見えてしまったんだね?」
「距離が近すぎたからおまえのせいだ」
あ、バツが悪そう。
アカネは【ナギサ過激派】であるらしい。
ナギサにはちょっとしたファンクラブがある。
クラブと言っても活動はしておらず、各々がその胸の内にナギサの優しさへの感謝を持っているんだ。
戦場のナイチンゲールのようにね。
主に、傷の手当てをしてもらったことがある下級ピエロがそうしていたんだけど、上級ショーマンのアカネもその一員だったなんて。
彼女の胸には勲章が光り、ショーを大成功に導く売れっ子であるはずだ。肌に傷もなく丁重に扱われる人だろうに、どのあたりでナギサに心酔したんだろうか?
可能性は二つ。
アカネがボクのように、優しさをありがたく思うココロを思い出していること。
アカネとナギサは、一緒に攫われてきた女の子なのかもしれないってこと。
ボクも、一緒に攫われてきた男の子とは相部屋にされていて、階級が違っていても仲は悪くない。
「誤解させてごめんね。じゃ、ボクは呼ばれているので……これにて。バイバイ」
アカネに嫌われているだろうことは確実なので、早めに立ち去ろうとする。オーメンもその方がいいって急かしている。
けれど、ナギサが腕をつかんできて引きとめられた。
「アカネちゃん~。あなたからも、ごめんね、だよね?」
「え」
「ご・め・ん・ね」
ナギサはフリーの手を腰に当てて、「ぷんぷん」というように、アカネに怒っている。
アカネは衝撃を受けたようで(ナギサに叱られたからだろうか)後ろに数歩よろめいた。
ボクの方を「キッ」と睨んできたので「2回のごめんねになりました」ってナギサ、あの、勘弁してあげて! ボクのココロの平穏のためにもッ……!
でもナギサは、ボクらの関係性が傷つくのを治してくれようとしてるから、その優しさを、いらないって切り捨ててしまうことはできなかった。
ボクとアカネは、今や冷や汗をかきながら、リングに上げられた戦士のように、互いを眺め合っていた。
アカネは数回、口をぱくぱくさせた。
そして、
「ごめんね」
「言うんだ!?」
「ごめんね」
「あの、2回分聞きました、はい」
「もう、おまえとは一切口を聞かな……いや、リュウと口を聞くのは必要最低限だけだ」
「!」
今、アカネは”約束”を意識した。
ということは、サーカスで洗脳されているところより、自分の頭で考えられる割合がかなり大きいのだろう。
その状態のままサーカスに居続けるのはどれほどつらいことだろうか。
(リュウ。同調して同情しすぎている。おまえはやれるかも分からないことのために、この子らを巻き込んでいく無責任なやつではないはずだ。さあ、地下への探検に行こうぜ)
「わかったよ!──ナイフ芸はスリリングでとっても楽しかったから、気にしないで!」
「それは気持ち悪い……どっか行け……」
わざとだよ……でもココロが痛いんですけれど〜……。
「もうっアカネちゃん。リュウくんはすごいんだよ。誰かが失敗したらフォローをしてくれる優しい男の子なんだから。例えば、失敗続きで泣いた子がいれば、その子以上に失敗をして笑い話に変えちゃうんだよ。なんて大胆なピエロなんだろうって、失敗と後片付けのやり方ならリュウくんが一番物知りだねって、褒められちゃうんだから。
あれれ、何の話をしてたっけ?」
ナギサが慰めてくれようとしたのは分かったよ。
アカネがアホを見る目でボクを眺めている。まあ毛嫌いする視線よりはいいかな……。
「それってさ。道具が整い、気持ちが向上し、また働き始めてしまう子が出るわけだろ。迷惑な話だ」
ズキっ、と胸が痛む。
「そうだよね。だからもう、そうしない。気をつけるよ」
ボクの返事を聞いたアカネが、目を丸くしている。
そして、踵を返した。
「さよなら」
「もー。リュウくんこれから舞台なんだから、輝いて死んでおいでって、まともに励ましてあげて。あれ、でもわたし、リュウくんに帰ってきて欲しいってさっき、あれれ?」
「行くよナギサ」
「ひゃあ」
ナギサを小脇に抱えて、走り去るアカネ。
さすが上級ショーマン。どんな筋力してるんだろう。
はあ。きつかったな。
アカネの問答も、ナギサが洗脳されている姿も。
「オーメン。ごめん」
「無駄に語感がいいじゃねーかよ。オーメンゴメン」
「ナギサに最新の地図をもらったから、近道がわかるようになったよ。ここで時間をかけたのはムダではない。ナギサを嫌わないであげて」
「そんな雰囲気出してた?」
「出てた。ナギサは洗脳されてるから嫌い?」
「腐臭と罪悪感だ」
詳しくは聞かない。
オーメンにもいろいろとあるだろう、ボクにまだ言ってないこと。
それをいちいち聞いていたら、この足は止まってしまうだろうから。
走った先には何があるだろうか。
知っているのは、ここにいられないってココロだけ。
「あっちへ」
脇道をくぐりぬけて、地下へ。