70:ドリーム・ジョーカー 亡骸サーカス団からの脱出
──月日は流れ、冬。
ふかふかとした外套を着て、龍は病院を出た。
もう入院していない。
今日は定期検診だった。
こんなにこまめにこなくてもいいのに、と主治医は言った。
しかし、曖昧に微笑む龍のほうには、こなくてはならない理由があったのだ。
隣の寺に寄る。
こんな雪の降る寒い日に、わざわざ墓参りをする人はいない。
龍の黒い街灯がやけにめだって死神のようにそこにあった。
「死神みたいだぞ」
「……あ。”坂井”」
からかうように声をかけてきたのは坂井涼。
顔に小さな傷をつくっていて、今朝出かけてくる時になにやら家で喧嘩をしてきたらしい。喧嘩ができるようになった、とも言える。家庭に向き合っているところなのだ。
「”茜”は? ……あ、電話だ」
『先に墓参りを済ませておいた。墓周りが片付いていたのは私の仕事だ。……礼はいい。けれど、龍、お前やっぱりだ。渚の前にいるとえらく時間がかかるようだな。けれども、こちらに早く来い!』
「わっ、ごめん」
『なんのために先に仕事をしておいたのやら。ほら、始まるぞ、”サイン会が”』
龍と坂井は急いだ。
坂井は再び龍の手をとって、時折ぼうっとしてしまう親友の足を早めてやろうと、よく走った。
(前にもこんなことがあったな)
龍は足をよく伸ばす。
もう、転ばない。
歩き方も走り方も、知っている。
大型書店に着いた。
息を切らせている龍にオーメンが(だいじょうぶ。心臓はリズムを刻んでいるぜ!)と声をかけた。異常があればすぐに教えてくれるのだ。
【ドリームジョーカー・亡骸サーカス団からの脱出】と、書店の一角に幕が掲げられている。ライトで照らされたそこはささやかに目立っていた。すでに数人が並んで【リュウ先生】を振り返りみていた。
飾り立てられたポスター。
サーカスの紹介みたいで少し苦笑してしまう。
ハードカバーの本を並んでいる人たちから受け取ってゆき、裏表紙にマーカーでサインをして、閉じる。
怖かったです、面白かったです、など繊細な感想を龍は受け止めていった。
「リュウ先生! 書いてくれてありがとうございます!」
大人たちはよいエンタメとして消費してくれたようだ。
だから龍の出した自費出版本は程よく売れて、そのあと大手出版社が再出版を持ちかけてきてくれた。それもこれも、売れるようにと龍が工夫して書いたから。
サインを書いて、本を閉じる。
サインを書いて、本を閉じる。
サインを書いて、本を閉じる。
裏表紙には、たった一人のピエロが逃げる様子が描かれていた。
まるでまだ脱出を終えていないかのようにその道は暗い──。
厚い本だ。
それなのに、たまに少年少女も並んでいる。
ある子は、ぎゅっと胸元に本を抱いていた。なかなか龍に手渡してくれない。
「あのね。お兄さんは、どうしてこんな話を書いたの……?」
「どうしてそれが気になったの?」
龍は穏やかな声で聞いた。
「それは……。……こんな怖いところが本当にあるような気がして……こんな怖いところには、行きたくないなって思ったの……。……ないよね、こんなところ、本当にないよね?」
子供は涙ぐんでいた。
これを聞くために、大人たちの視線が降り注ぐ行列に耐えて並んでくれていたらしい。
作家としての龍は、このような機会こそを待っていた。
「”物語”を見てくれる時のルールを君は知っているようだね。それは読んでいるときだけ、本当にあったことだと”思い込む”こと。信じてくれたんだね。そう、どのようなファンタジーであっても、その本を信じなくてはいけないんだよね」
そしておどけたように笑った。
「読み終えたんでしょ。じゃあだいじょうぶ。君は、もう、逃げたいピエロと同じ体験をしたんだよ! 本当に恐ろしいところから脱出して、そこにもう行きたくないという感想を得た。よくできました。勇敢な君のところにはサーカスの誘いはもう二度とこないだろう」
まるで一度は本当に誘われたみたいに、龍は芝居がかって声をかけた。
(演出力がある作家だなあ)と大人たちは感心して息を呑んだ。
ホッとした様子の子供に、龍は手を差し伸べて、本を渡してもらったので、サインをした。
書店から出たある親子が、ふと立ち止まった。
子供が振り返って動かなくなったのだ。
「……本当のリュウだったのかな。ほんの一瞬だけ、お兄ちゃんってばピエロみたいに動いていた。もしもそうだったらどうしよう。やっぱり、亡骸サーカス団って本当にあったのかなあ?」
「くすくす。センチメンタルな時期というか……今時の子って繊細で多感よね。怖くなっちゃったのねえ。何度でも怖いことはぶり返してしまうものよ。よし、手紙を書きましょうよ。今度は楽しい話をしてほしいって、リュウ先生に」
「いいのかな」
「いいのよ。それくらい本気であの本のことを信じたなら、いい読者だもの」
白い手紙にやわらかいマシュマロを添えて、できるだけ怖くないお願い事をするのは、あの本が本当に恐ろしかったから。
手紙を書いている最中、こんなにも明るい手紙ならばキングが覗き見たりしないよね、と子どもたちは呟いた。ふしぎと、どの子どももそのように呟いたらしいのだ。
思い出したくない。
炎に焼かれたくもない。
痛い思いはもう二度とごめんだ。
けれど、ストーリーの最後には嫌なことだけではなかったから。
【作者リュウさま。また、ピエロのリュウに会わせて! けれど、今度は怖くない物語がいいな。おわりの後はどうなったの? どうか活躍したピエロたちがこれからは幸せでありますように】
冬の終わり。パソコンに送られてきた編集部からのメールを目を丸くして見たリュウは、返信して、伸びをした。それから机に向かった。長い時間をかけた。それでも読者は待っていた。
巡り、春。
メールを見たリュウは「うんうん」と頷く。
坂井がなぐさめるように声をかける。
「次回作はあまり人気が振るわないようだな」
「だって刺激性が少ないからね〜。"序盤に死体を転がせ"というテクニックがあって、人間の体の危機感を呼び起こして注目させてしまうんだ。けれど今作は、緊迫感を出してもおらず、流行りのラブコメでもなく、どちらかといえば日常モノに近いのに、知見や萌えがあるわけでもないオリジナルサーカスファンタジー。自己満足もいいところだったもん」
作品を批判しつつも、龍はオウマのようにひょうひょうとしていた。
「けれど、これを必要とする人に届けられたからいいんだ。だからボクは書いた。今回が売れていなくたって、幸いにして、処女作:ドリームジョーカーが残してくれた遺産があるからね──。
さて、編集部とはオリジナルファンタジーの無理を聞いてもらう代わりにドリジョ二巻を書くという約束をしたんだ。やらなきゃね」
龍は机に向かう。
キーボードを走る指はかろやかに、迷いなんてないようにダンスしていた。
「そういえば龍。なぜかずっと聞く気にならなかったんだけどさ……。俺、最初は読めなかったんだ。ドリームジョーカーはなぜあんなに怖いんだ? 日常モノを書いてもらってから、ようやく振り返るように初作ドリームジョーカーが読めるようになった」
「私もだ。……。……ドリームジョーカーには可愛らしい絵が添えられているのに……画伯の絵は少々怖かったが……やたらと身震いするような恐ろしさが詰め込まれていた。どうにも、龍が独自に考え出したものにしては性格が悪すぎるような気がするのだが? もしかして、その……」
「こら茜。疑り過ぎ」
「だって──盗作だったらどうしようかって! 近年著作権周りの締め付けが厳しいらしいじゃないか。友達が逮捕されるだなんて私はごめんだぞ」
「あははは! 間違いなく、手術中のボクの頭の中で、命懸けで想っていた物語だよ」
龍は笑い飛ばした。
誰かの盗作だなんてとんでもない!
あんな冒険を代わりたい人なんているもんか!
坂井はサカイを認識できず、茜はアカネを重ねて見れない。そんなトラウマの物語を誰がこなしたいものか。
せめて誰かの糧になればと思っただけだ。
【ククロテア王国へは今でも行けてしまうらしい】
この世の何かに絶望して、それが大それた事件でなくとも、自分が生きるのが苦しい──と思った瞬間に、ときに魂が迷い込んでいってしまう。
だから、注意喚起なのだ。
そこに行かずとも、ドリームジョーカーの本を通して、死にたくないと思えたならば、手っ取り早いではないか。
書きながら龍もまた引き摺り込まれかけた。
本気の物語には魂が宿るらしい。
悪夢を見たらその片隅にキングの視線を感じた時などゾッとした。
──だから、せめて同じようなことは起こりませんように。白いリュウ団長が、リュウたちの革命を引き継いでいってくれますように。
いつのまにか、茜は龍を抱きしめていて、坂井もそのようにしていた。
パッと離れて、なぜそうしたのかと混乱した様子を見せた。
リュウとオーメンだけが知っている。
(思い入れがあるんだよ)
物語を紡ぐ。
(ところでさリュウ。リュウ団長からの私信でサーカスの日常が送られてきたぜ)
(またあ? 頭がパンクしちゃいそう。……ぷはっ)
オーメンが語り部となり、龍をケラケラと笑わせた。
幻の二冊目の白い表紙には、布地もゆたかなピエロたちがいきいきと踊る様子が描かれている。たっぷりの祈りを込めて、踊って歌う。芸をする。文字が笑いかける。
──あなたを楽しませるために!
完結しました!
少しずつ書いて、二年かけました。
読んでくださりありがとうございます!
数々のイラストを見せて下さった原作の【さらら】様もありがとうございました。
原作動画【ドリーム・ジョーカー 亡骸サーカス団の脱出】も検索してぜひ見ていただきたいです〜!このために時間捧げたいと思いました。よろしくお願いします₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑
いきいきと動くキャラクターが最高なんです。
元気をもらえます。
世界観は厳しいけれど、だからこそ脱出を頑張るみんなを応援したくなる!そんな原作動画です。
ファンアートですから、オススメを締めとして、終わらせていただきます。
ありがとうございました!!




