7:放送と逃走
細い廊下を抜けて、広い廊下にやってくる。
あらゆる裏方ピエロや衣装係、放送係、さまざまな子どもで騒然としていた。
ボクらはその波にまぎれた。
今こうして見てみると、それぞれ自分のことばかりで余裕がない。
だから、探されているであろうボクがふと隣を通っても、目もくれやしない。
ピエロたちを監視するかのように見る幹部たちは、このような下々の場所には来ない。
「面白いな!」
「オーメンがそう言うと気が抜けていいよ」
小声でボクらは会話する。
オーメンはボクの服の中に潜んだ。
「ん? 足音を聞いてると、真ん中を通るやつと、端っこを通るやつ、分かれてる?」
「ピンポン。真ん中を通るのはエリートだ。ショーの前に傷を作っちゃいけないでしょ。下っぱは端によけるんだよ。フトッチョみたいに横暴なエリートもいるから絡まれないように……。そしてボクは、別の場所も知ってる」
隅っこのブルーシートをめくった。
「なに今の音!」
「秘密への入り口さ」
そんなかっこいいものではないけどね。
埃まみれの物置のようなところをネズミみたいに隙間を塗って歩く。
「裏道を行くのか。ここなら俺様も出られるぜ!」
「ああ、影に潜むのが得意なんだっけ。ここは個室の倉庫ではなく、サーカスの骨組みの近くだよ。掃除や雑用のために大急ぎで働かされるときに、指定された場所に間に合わないと一大事だ。上の人たちは、通路をいく時間まで計算しちゃくれないから。ボクら下っぱは、裏道にできる場所を共有してるんだ」
「俺様も知らなかったよ」
「暗黙の了解ってところなんだ。汚いところを歩いてきてるってわかったら忘れ物を受け取らない先輩もいるし、下っぱだけで情報共有しているからさ」
「じゃあしばらく身を隠せるな」
「そうさ」
また、放送。
ボクの団員ナンバーが、繰り返されている……。
くるくると同じ放送が繰り返される……急かされている……。
これは団員が現場に届くまで何度も鳴らされるんだ。
放送係だって、自分達が仕事をしていないって思われたら、自分の身が危ないから、必死に証拠を残す。
ボクらは、この放送を聞きつつも、できるだけ、目的地までの探索をするつもりでいる。
もう一人のショーペアのことをボクは”ぼんやりと”想う──。
「あっ」
オーメンが声を上げる。
「誰かが反対側から走ってきた! 隠れろリュウ」
「待って」
ボクは目を細める。
「知り合いだよ。この道を来るのはしたっぱだけ。そして……ええと、ボクには見覚えがある」
「あいまいだなー」
「日本の記憶を思い出したぶん、サーカスでの記憶がおぼろげなところがあるんだよ。ああ、思い出せた、あの子は大丈夫だ」
ぼんやりと暗闇に姿が浮かび上がるシルエットはボクの知り合いだ。
「でも腐臭がするぜ」
「あの子、体を負傷したことがあるらしい。治された名残なんだろうね。あんまり腐臭とか言わないであげてよね、ボクより小さな女の子だからさ。ほら、走ってくる時のステップを踏む足音、ものを避けて走ってくれているんだよ。気遣いをする女の子、ナギサっていうんだ」
「ちょっと引いたぜ」
「なんでさ……。語りすぎた……? そういえば、臭いがわかるなんてオーメンには鼻あるの?」
赤くなった顔と若干の気まずさを隠して、ボクは文句を言う。
オーメンはすぐには答えなかった。
そうしている間にも、ナギサが寄ってきた。
ナギサは治療の後遺症のためか目が悪くて、ビクビクとこっちをうかがいながら近づいて、”リュウ”だと分かったら、ホーーっと息を吐いた。
じぃん、と胸が動く。
今になっては、ナギサがどれだけ優しい性格をしていたのか本当によく分かるんだ。
自分でいっぱいいっぱいな団員が多い中で、誰かを気にかけられるってすごいことだよ。
「リュウくん無事だったんだね! よかった!」
天井から漏れる上の光はかすかなもので、ナギサのピンクの衣装をくすませて照らした。
膝丈のスカートにロングソックス。靴裏がころんと丸く動きが面白くなるシューズに、長く伸びた帽子と服の袖。可愛らしくも独創的で目が惹きつけられる、サーカスの基本の服装ほとんどそのままだ。
ナギサはその見た目で人気があるピエロだ。
その見た目以外にはとくに特徴がなく、観客受けはあまりしないらしいけど……。
優しい性格がボクにはとにかく癒しに感じられる。
とろりと伸びた服の袖で、ナギサは目元をぬぐうしぐさをした。
泣こうとしてくれたのかもしれない。目が悪くて涙が出なくなっていても、そうなのかもしれないって感じさせられる。
(オーメン。ナギサから隠れなくたって大丈夫なのに)
「あのね。ロープから落ちたって。本当なの……? すごく元気そうに見えるよ……?」
「まさか綱渡りの失敗を、失敗するなんてね。そのあと医務室に運ばれて治してもらえたんだ。どうにもボクらしいかもしれないよね。失敗を失敗だよ?」
こういうとき、どんな会話をしていたんだっけ。
そこまでは思い出せない。
ボクはナギサに違和感を持たれないように、言葉を慎重に取り繕った。
以前のボクは、ピエロらしかったはずだよね?
これくらいおどけたものの言い方を、していたんじゃない?
君が知るリュウのままで見せられてるかな?
でも、君が知る洗脳されているリュウではなく、本来のボクと、話してもらえたならいいのにな。
そんな気持ちがふわりとココロに浮かぶ。
「”残念だったねぇ”」
ナギサはそう言った。
また、涙を拭う仕草をする。
ボクの中に違和感が駆け抜ける。
そうか!
それで、オーメンは……!
(ナギサはボクが治ったことに泣いてくれた。けれどつまり、ボクが治ってしまって可哀想だから、ボクが傷ついているのはソコだと信じて、泣いてくれたんだね。なんてことだろう。人を想う優しい気持ちには違いないのに、まるで分かり合えていないんだね……)
ズキリ。
サーカス団の精神が根付いているせいだ。
「光栄な歓声にまみれて死ねなくて残念だったね」なんて、ナギサに言わせてしまうのは。
ボクが言葉に詰まっていると、ナギサはカクカクと少し首を動かした。
「ねえエェエ」
喉の器官の太さが変わっているときに声を出したので、おかしな音になった。
ナギサは首を傾げている。
そして、困惑したように、ほそぼそと言葉を紡いだ。
「わたし、でも、また会えて、嬉しいと思ってるの。リュウくんを見て、あの、ホッとしてる」
「……!」
「どうしてこんなこと思っちゃうんだろう。思っていいことだったのかな。あなたに悪いことしてるんじゃないかな。あのね、ここで言ったこと忘れてくれる……? ごめんね。ごめんなさい」
「大丈夫だよ。ありがとう。秘密にしておくから」
ボクも目尻に少しだけ涙が溜まった。
光る目尻を、ナギサはまんまるの目で凝視していた。
「秘密、か。それなら安心だな」
叱られそうなことを言ったなら、内緒にする。密告しない。お互い様だ。
これはボクたちのような下級団員が生活していくための知恵。
だいたいみんな守る。
前に、こういうことを報告して上位に上がろうとした子が居たらしいけど、その子と告発された子は、どちらもまとめて幹部に処刑された。個々で考えて工夫をしてしまう人を抱え込むことの方が、サーカス団にとってリスクだからだ。
ここでは工夫が褒められることはない。
下っぱのボクらだって傷を舐め合うだけだ。
ルール。
ボクたちが必死に覚えたルール。
それをひとたび頭に思い出せば、いつか一流のショーマンになって舞台で輝くためにって、どれだけでも頑張れるピエロに戻れてしまう。
ボクはあっという間にこれまでと同じリュウを演じられる。
ナギサが向けてくれた個人的な感情に共感しすぎないようにするため、ボクはあえて、落ちこぼれピエロの愚かなリュウに戻った。
「いっけない! また舞台に呼ばれてるんだ! もう……行かなきゃー!」
「おめでとうリュウくん!」
「ありがとう! そうだ【裏道の地図】を持ってたら分けてくれない?」
裏を通るものたちは、手書きの地図を持っている。
これは自分たちでお金を出して、紙と鉛筆を買う。
裏方の道をメモしておいたら、遅れて上から叱られる回数が減るからね。
最初はお金を出すことを渋っていた新人も、一度ひどく怒られる経験をしたら、そのあとは必ずこの紙とペンを買って「仲間に入れて」と言ってしまうんだよ。
「はい。あげるね」
ナギサは、いつも余分に地図を持っている。
まず新人に渡してあげて、そのあとにお金を受け取るのは、優しい彼女だからできることだ。
「ありがとう。これ、お金」
「多すぎだよ!? いいの?」
「うん。これからショーを成功させたらサーカスコインが貰えるんだから。じゃあね……」
「リュウくん。ショーのあと、一緒に楽しめるものを買っておくから、勝ったお祝いをしようね」
うっっっ。
こ、これは……。
なんて嬉しい……。
この優しさに喜ばない人って、いるの?
勝つって去勢を張っただけのボクに、勝てるよって声をかけてくれて。
ナギサの優しさにココロ丸ごと包まれているみたいだ。
彼女はいつも自分のためには使わない。
ボロの服よりも、包帯と縫い糸を買う。誰かのために。
せっかくのオカシも食べない。誰かのために。
ナギサのファンが生まれるわけだよね。
服の袖に包まれたナギサの手、ボクの手のひらを包んでいた。
このままだとまたピエロに戻ってしまうような危機を感じていた。
だから、
(オーメン腹を叩いて)
(ラブコメめちゃくちゃ面白いのに)
(言ってる場合か)
(しょーがねぇな〜)
(うっ)
ボクはナギサの手を振り払った。
「ソコ、何をしてる!?」
刺さるような声が、遥か遠方から飛んできた。
カッカッカッカッカッカ、靴音がものすごい速さで近づいてくる。
(なにしてるリュウ、逃げろ!)
(動けないんだよ、影にナイフが刺さってる、そういう魔法の道具みたいだ!)
「リュウくん大丈夫? どこか痛いの?」
「触診してもらわなくても大丈夫なんでやめてもらったほうがいいかなあ!」
(アッハッハッハ)
(オーーーメーーン!!!)
やってきた人物は暗闇よりも暗い目で、至近距離でボクをぎらりと睨んだ。
挿絵協力:さらら様
お読みいただきありがとうございます!
毎日18時更新しますので、これからも読んでもらえると嬉しいです!
70話にて完結します。
ドリームジョーカー(原作動画)可愛くてダークでとても良いものですので、ぜひ検索してたどり着いてくださいませ₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑