63:挑発
オーメンの仮面は冷たい。急速冷凍されたかのような指先を痛くさせるくらいの冷たさだった。つまんでいるとジワッと刺すような刺激がある。どれだけの、どのような、重苦しいココロがここに収められていたのだろう。
そう思わずにはいられなかった。
仮面は魔法を使うためのもの。
魔法はココロで使うもの。
そのココロが痛々しければ、仮面がその性質をもっていてもおかしくはない。
オーメン自身がどれほど痛々しいココロだったとしても、これまでボクたちが触れたときにはこれほどの刺激はなかった。
ずっと、オーメンの気持ちがボクたちを気遣っていたんだ。
だから、ココロが酷いのではなくて。
ただ、持たされたものが重くて痛かったんだろう。
キミのココロはどこにあるの?
問いかけながら、仮面を作り上げていく。
フレーフレー!と盛り上げてくれていたナギサたちは、しだいに静かになっていった。エネルギーを使いすぎたのかもしれない。そこにキングがいるというだけで圧がある中で、よく頑張ってくれた。
おかげで彼はとくに邪魔することもなく、ボクのことを見守っている。
ぐったりとした様子で額の汗をぬぐい、それでもナギサは微笑みを浮かべた。
こそりと耳打ちしてくれる。
「仮面が壊れたらこうするってルールがあるはずなの。だからきっと効果があるよ。ネコカブリちゃんが教えてくれたんだ」
アカネと組んでいた頃に怪我をしたことがあるナギサは、しばらくネコカブリ預かりになっていたことがあるんだって。
可愛い物好きのやつにお人形にされていたっていうよくない思い出らしいけれど、ナギサは悪口を言わない。
彼女にだけ見える、同情する何かが、ネコカブリにもあったのかもしれない。
「私の仮面、ヒビが入ったことがあるの……。でもくっつけて直してもらった」
ナギサは腕をさすった。
長い袖に覆われている腕は青くなっているのか、鳥肌でもたっているのか。
怖かっただろうな。
それでも勇気付けるために教えてくれた。
ありがとう。
そんなつもりで、頷いた。
動きが鈍くなっていた指を動かしていく。
けして器用ではない。火野川龍は体を思い通りに動かせるような人生ではなかった。そのぎこちない動きから、ピエロの技を練習してかろうじて動くようになった指先だけがボクの頼りだ。
仮面がどんな形をしていたかって?
わかるよ。
記憶力には自信があるだろ。
間違えない。間違えない。
オーメンの仮面は元どおりに組み上がった。
破片は金継ぎのようにつながった。
そのまま様子をしばらく眺めていたけれど、こらえきれなかったというように、サカイがボクの肩を叩いた。手に持っていた応援用ポンポンがボクの頭にかぶさり、顔に影を落とさせる。あ、ごめん、とサカイが手を退けた。キングが噴き出して笑っているからいいんだ。
少しでも時間を稼がないと。
でもサカイは言ってくれた。
「リュウ。これって、ココロが戻ってきてないだろ」
「……まだ、ね……」
「ナギサ」
「ご、ごめん。わかんない……こんなはずじゃ……」
ナギサは「ほら」と自分の仮面を見せてくれる。
ここのとこ、と指差す。
けれどそこは割れた跡がなく、きれいに繋がっていた。
つまり、きちんとココロが戻ればそうなるのだ。
キングが立ち上がる衣擦れの音。
それよりも先にボクが発言した。
「ゲームはボクの勝ちだ」
ことり、キングが頭を傾ける。
「でもココロが戻っていないようだけど」
「ココロはどうやったら戻って来るのか、今、教えて欲しい」
それを教えていないとしたらルール違反だ。
ボクたちはすっかり、仮面を元に戻せばココロが戻ってくると思っていた。キングもそう考えているのだって。
でも彼はそもそもココロのありようがずいぶんと違う存在みたいだから、意思疎通ができていなかったのかもしれない。
有利なように。
ボクの目尻が吊り上っていく。
怒らない。それはボクには似合わない魔法だ。──深呼吸。
「今? しょうがないなあ」
ずいぶんと溜めてから、キングは言った。
勇敢だね、と冗談のように添えて。
キングの手も袖に包まれている。
ゆっくりと引っ張るようにして、手のひらを見せてくれた。
…………なんだあれ。
……人の手ではない。
……タコとかイカとかの触手っていうか、ぐにゃりとした怖気を誘う軟体動物のもの。
正体を探ろうとするのはここで諦めた。
「ほら」
当たり前のようにキングは口にする。
丸まっていた触手の先端を伸ばすと、薄紫色とオレンジが混ざった光がぼうっと現れた。
「オーメン」
ボクが呟けば、正解、とあちらは言った。
「これはオーメンのココロ。そっちの仮面に戻りたければ、戻るはずだったんだけどなあ。戻りたくない理由でもあるのかもねえ。まったく自分の意思を見せずにおとなしくボクに囚われているなんて、つまらないね。だからキミに聞こうかな。今になってイキイキとしてるもんね!
面白いからキミにチャンスをあげるよ。
さあ、どういう状態なんだと思う? リュウ」
スポットライトがボクを照らす。急かすみたいに。
「返して」
「うーん。ボクのせいではないんだよ? いじわるもしていないんだよ?」
「”どういう状態”か……」
オーメンの心理をトレースする。
それをキングはボクに求めているらしい。
お客様が求めているものを考え続けた日々だ。ピエロの意地を見せてやろう。
オーメンの心理を────。
ボクは仮面を手のひらに乗せるように持ち、おでこを当てた。
挑発するみたいに、語りかける。
(負け癖がついてるんだろうね。自分が諦められるように、だなんて!)
(死んでしまってもいいだなんて!?)
(そんなの、ベッドの上ですべて諦めた火野川龍みたいだ!)
手術の成功は絶望的です?
成功したとしても改善するかわかりません?
保証がないから、諦めてしまうの?
自分らしい意志から絞り出した答えももたないまま、こみ上げてきた絶望に流されてしまうの。
これは自分の八つ当たりだからオーメンには言わないけれどさ。
(聞いて。キミがボクを生き返らせたんだよ。そして育てたんだよオーメン。こんなにもあがいて、諦めなくて、ココロの豊かな友達思いの人間に)
最後のはちょっと皮肉だったかな。
いい人間だとは思っていない。でも、得難いくらいのココロを託された人間なんだって自覚くらいはもうあるんだ。キミのことも抱えられるくらいの。
傲慢になろう。ブラック企業サーカスはもう嫌だ。
「ボクはもう落ちこぼれピエロでいる気はないんだ」
言葉にする。
クロロテア王国に刻もう。
「オーメン。君と対等になるのはどうかな。ボクが団長になる。そうしたら同じ目線で話せるんじゃないかなあ」
「意味わかんない! いいね、なにそれ、どういうこと?」
まっさきに反応するのはキング。
触手でグッジョブサインをするな。
「……まったくよくない、お前らしすぎる、うすうすわかっていたけれど、ギリギリの勝負をするなよな! 俺様を脅すなー!」
一歩遅れて、光が燃え上がった。
まるで散る前のともしびみたいに儚かった光が、ぼうぼうと燃えている。
おいでおいで、と挑発するように指を揃えて自分の方に向けた。
そんなにキングの袖の中は怖かった?
じゃあ逃げてきちゃいなよ。
「ほらね。賭けはボクの勝ちだ」
「そのようだね」
キングはオーメンのココロを手放した。
──戻ってきた!




