6:フロマーチとランドール
あの医務室から姿を消してしまった以上、さりげなく戻ることはできないだろう。
従順なはずのピエロが、いなくなったんだから。
ボクはこれから注目されるはずだ。幹部に気づかれる前に、脱出できるならば……。いや、サーカスは広いから、そんなに早急には無理だろう。あそこを脱出したイイワケを考えておくこと。そして、これからの動きを考えていくことだ。
オーメンは励ますように言う。
その不思議な声は(というか”音”は)ボクの耳にだけきちんと狙って届いているようだった。
するり、と細く入ってくるんだ。
「仮面にはココロが現れる。リュウは『だれかを受け入れられる器』なんだぜ」
考察を聞かせてくれているんだ。
魔法をこれから使うなら、イメージは明瞭なほうがいい。
ただでさえ、コピーの魔法って、イメージをしてみれば日本のコピー機くらいしか思い浮かばない。
けれど、ただ真似をするだけではなく「相手の人となりを理解すること」がボクの魔法には必要だって言っているんじゃないのかな。
【フロマーチ】と【ランドール】……
とても気持ちがいい魔法だった。
誰かのココロを盗み見るのではなく、誰かとわかりあって色を分けてもらう、弾んだ会話みたいな魔法。
口の中がかわいている。
ミニボトルから、水分補給する。
倉庫掃除を長くするために買っておいたコレが、こんなところで役に立つとはね。
「照れてる?」
「そうかも。褒められたような気持ち」
「それだ。”どんなことが成されているか”──オレ様が褒めて励まそうとしているって、すなおに受け止めてくれた。誤解や歪曲をしないところがいいんだよな」
オーメンはかなり、褒めて伸ばすタイプの指導者のようだ。
このサーカスではこんな指導の方法は見たことがないよ。
みんな、叫んだり痛めつけたり乱暴なんだよね。
狭い通路にカーテンが重なっている進路を前に、ボクとオーメンは目を合わせた。
「言っていい? 前に団員がいるから、すり抜けていけないよ。詰んだ?」
「言っていい? まじそれな。ちなみにオレ様は技能を持っていないぜ!」
得意げにいうことじゃないよ!
「そこの箱に隠れてやり過ごそう」
「うっっっそでしょ……」
小道具の箱だ。
殺戮系のショーで使われる重厚な宝箱のような見た目のもの。
ガコン。……開けると、嫌な音がする。
中にはナイフがぎっしりと入っている。
もちろん本物の刃物だ。錆びていたり刃こぼれしている。そんなので傷でも作ったら感染症で死亡もあり得る、だから、ピエロが怖がる。舞台でそれを見せられたら観客が悦ぶ。
裏方に置いてあるこんなものにわざわざ入ろうとするピエロはいません。
しかし、普通じゃない環境に置かれているのがボクな訳です……。
(ひいいい。靴の裏を水平にして刺さらないようにして……)
(俺様、ちょっとだけ発光できるぜ)
(どういう性能なの。でもナイス。足元照らして。そのほうが怖くてつらいけど、つらいのとか今更だから頑張るよ……)
ピエロの靴は二種類ある。
曲芸を行うためのやわらかい布地のものか、タップダンスのように音を出す硬い靴底。
ボクのは硬い方の靴底だ。
体を折り曲げるようにして、箱に収まり、蓋を閉めて、隠れた。
ここは道具がまとめて置かれている廊下にわざわざ滞在するピエロはいない。サーカスは人手不足なのにぼんやりとしていたらサボりを疑われてコテンパンに叩かれるだろう。さっきの人の気配は、舞台道具を取りにきているはず。そして一人ならばこの宝箱を運ぶことなんてできない、よね。
……!
近寄ってきた。
ボクは息をひそめる。
もし、見つかって、何をしてた?って聞かれたらどうしよう?
うっかり、なんてとぼけようか、隙のない証言を作り上げておこうか、さて……。
オーメンがそっと近寄ってきて、彼も怖いのか、と思った。
「帰る方法を話してやるよ」
(ここでぇ!? こんな状況でぇ!?)
「とか考えてるんだろ? でも今ってやることないじゃーん」
(効率主義か!)
「できるときに、できることを、やるんだよ」
できることが少ないオーメンだからこう語ったんだろうか。って、ボクがこう感じているのは、まっすぐに受け入れる性質が察した本質、なのかなぁ。
でも少しイライラしてますよ……。
この環境でリラックスなんてできないからね。
「俺様とリュウのイメージでこれは同じだろうな。”攫われてきたところを逆戻りする”」
うん、って意味でちいさく頷いた。
「別の世界でそれまで生活していた子どもが、クロロテア王国の亡骸サーカス団に連れてこられて、ココロを書き換えられている。ピエロの服には記憶を封じる魔法がかけられているから、そこにショーマンの心得を叩き込めば、すぐにミニ・ショーマンのできあがりなのさ。
まだ入団直後のやつが倉庫に配置される。リュウほど長くいたやつはいなかったろうけど。そして、しばらくすれば死んでしまった」
帰還ではなく、死。
そう言いたいのだろう。
ボクもこれまで、誰かが元の世界に帰ったなんてこと、聞いていないし、聞いたとしても信じなかったはずだ。
こんなに素晴らしい職場を放棄するの!?と思っちゃってね。
人のココロを縛るような魔法を生じさせるなんて、それはどのような残酷な性格なのだろうか、と想像すると恐ろしくなる。
(帰らせるためのゲートがないなら、来たときのゲートを探すしかない?)
「そう。倉庫の近くには、ピエロを着替えさせるためのファッションルームがある。子どもたちが増える日の、前の晩に、幹部たちが集うところもその辺りにある……。だからな……なんか部屋が隠されているんだろうよ」
ここにきて、オーメンの口調があいまいだ。
彼は、キーポイントは揃ったからボクに声をかけてきたんだろうけど、知識は限られているのだろう。小さな仮面で、誰かに怪しまれて壊されないように気をつけて暮らしていた。物陰から盗み聞きをするだとか、思索くらいはしたのだろうが、サーカス生まれの物である以上、”ルール”のように制約があるのではないかな。
オーメンは勝手に生まれたのか?
どこかで製作された魔法道具なのか?
それとも誰かの”残し物”なのか?
さっき黒い袋に収納されていた死体が、ココロパレットに絵の具を残していたように、魔法の効果は、少しは残るものだから。
オーメンのような思考が本心であるなら、このココロをもつ本体とは気が合いそうだ。
ボクの現実逃避はいよいよ妄想の領域に達し始めていた。
「ちょ、リラックスさせようとは思ったけどさ。ブツブツ言うなって、怖いし、見つかるリスクだぞっ」
ああしまった。
集中してる時にブツブツ言うのはボクの癖だった。
ボクの……ここにくる前のボクの、癖だった。
徐々に思い出していくのかもしれない。
そしてサーカスのことを忘れていくのだろうか。
それなら、いざ脱出が叶うときまでは、日本のことを思い出しすぎないようにしないとな。
自分の体を抱えこんで、ぎゅっと縮こまり、ボクは唇を噛んだ。
「ごめぇん」
オーメンはしょんぼりとしてる。そのネコミミみたいになってるところ伏せたりするんだ……!?
わりと真面目で気を遣うんだよね。
ボクにとっては、ゼロだったところから進んでいるだけ上出来なんだよ。
<カツカツ。>
<カツカツ。>
<うろうろ……。>
今は動けない。けれど動けるようになったら、この気持ちを声にしてかけよう。
<カツカツ。>
<うろうろ。>
<ゴソゴソ……。>
早く。
早く、通り過ぎて。
──行ったぁ……。
ボクらは慎重に隙間から外を警戒して、箱の外に出ると、ああ、膝が溶けたようにボクはずるずると座り込んだ。
疲れた! 全身がバキバキに硬くもあり、関節に力が入らないや。
「おつかれチャン! ラッキーだったな」
「オーメンが前向きで励まされるよ」
オーメンがボクの背中を押すようにしてくれたので、立ち上がった。
浮かぶ力はけっこう強いんだな。
ボクよりも前に進む力が揺るぎない。
このオーメンのおかげでボクはまずここまで進んでこれたんだろう。
一人きりでは、この暗鬱とした廊下を歩いていくことなんてできなかっただろうから。
行き先の見当がつくのも助かる。
「”地下に進む場所”を見つけようぜ。医務室はかなり上の階だからさ」
「そして、さっきの秘密の部屋を目指すんだね」
一度目から成功するとは思っていない。
けれど探れるところまで探り、そのあとにシラを切る、そこまでやろう。
”真実”を集めるんだ。
そうすれば”仮説”の信憑性が増す。
「そして”団長”から鍵を奪ってだなー」
「まって」
常識が欠けている。
その難しさわかってる?
仮面だからわかんないの?
そんなことないよね? 口笛吹くのやめて?
「できるだろうから言ってんだ。リュウにはできるって俺様は思っているんだぜ」
団長だって?
ポスターに書かれていた黒いシルエットを思い返してみる。
この蠱毒みたいなサーカス団を束ねる傑物で、強力な魔法をつかう幹部たちが黙って従うような人だよ。ボクは直接姿を見たこともない。けれど確実に存在しているってことはずっと信用させられている。今だってそうだ、このサーカスの団長のことを考えただけで「いる」って思う。これだけはずっと解けない、そしておそらく、洗脳でもない”絶対”だ……。
無理すぎる、って言おうとしたんだ。
アナウンスのコール音がけたたましく響いた。
「次のショーは『VSフルムベアー』担当団員は──」
ドラムロール。
放送の質が悪くてキンキンと鼓膜に刺さるようなけたたましい音。
「──No:3599サカイ。No:3600リュウ」
バトルショー。
本来であれば上位の団員と凶悪な魔物を戦わせる、一代エンターテイメントだ。
うーん、わざわざ下級ピエロを呼び出す目的って、なんだろうね!
ボク、あったまいたくなってきちゃったなあ!
「どうする? リュウ」
裏方が騒がしくなる。バトルショーの支度をさせなければと、ファッションコーディネーターたちがボクのことを血眼で探し始めたってことだ。
「やります」
こう言うしかないじゃない。
オーメンがまったく純粋に喜んでみせた。
挿絵協力:さらら様