50:狂ったリズムで
──炎上する大橋の上にて。
炎を前に唖然として動かない幹部もいた。
そのものはすでに、ココロを焼き落とされていたのだろう。
自ら動けない。指一本も動かせない。
そのうち周りで踊る有象無象のピエロに手を取られてしまい、焦げゆく景色の中、業火のワルツを踊ることになるのだ。
サーカスパレードに似つかわしくないくらい妙に明るい曲調は、はたして誰の演奏なのか。ほんのイタズラだったのだろうか。
「お前たち!! 踊るな!! 戦え!!」
動きを止めない幹部もいた。
ユメミガチだ。
そのココロに抱く動機が、"サーカスの成功"とは別のところにあったために、サーカスパレードが大失敗になったとしても、ココロを折られることなくいられたのだ。
腕を大きく振り上げて、鞭を振るう。
そうして成功するビジョンがこれまでなら見えていた。
全員従順だったし、世界はユメミガチのために回っていることを感じていた。鞭の音が鳴るたびに自分の機嫌が慮られるのが、ククロテア王国の亡骸サーカス団・ユメミガチ女王様であったのだ。
「踊るなぁ!!」
鞭が触れたらピエロの首がごろりと落ちる。
こんなに自分がパワーアップしちゃった!?とギョッとするユメミガチだが、ピエロが脆くなっているのだ。
周りの至る所で似たような光景になっていて、ユメミガチは唇を噛み締めた。
自分だけが特別であったようなのに、急に夢が覚めて、ありふれたうろたえる凡人に成り果てたようだった。
かあああ、と顔が赤くなる。
わなわなと震える。
(夢から醒めさせないで! じゃないともう立っていられないのよ!)
「踊るな! 戦え! 踊るな! 戦え……!」
誰もかれもが、ユメミガチがまるでいないかのように無視をしている。
自分の足元ががらがらと崩れていくのを、自覚してしまったユメミガチはただ恐怖して叫んだ。
声に反応して、ドラゴンが口を向けてよこす。
(……あ、焼かれる)
ユメミガチの恐怖心はさっき壊れてしまったようで、指先も真っ白に血の気がなくなり、ただただ何も感じずにドラゴンの口の中を眺めていた。
サメのように鋭い歯が並んでいる。舌は引っこ抜かれていて、大砲のような喉の奥にめらめら燃える火球が見える。あれが放たれようとしているのだ。
実況がただただ冷静に頭の中を通っていった。
「ふにゃあ」
「……んっ!?」
それは非日常のようだった。ユメミガチにとっての夢の再来のようでもある。
ネコカブリがユメミガチの前に立ったのだ。
ドラゴンを前にして、それでも自分が間に立った。
イメージされるところは「君の盾になるよ☆」である。夢を見たユメミガチの目には、独りよがりな黒い喜びの光が宿ってゆく。
「ボクの作品のくせにい~、ボクの制御なくう~、暴れるなよーぅ~」
(……………………は?)
ネコカブリが魔法の光にわずかに包まれた。
正確には、かけていた魔法を解いたのだ。魔法をかけ続けていることをやめた、というのが最も適切かもしれない。
かくして、パレードを荒らし回ったドラゴンは”結び目が解けて崩壊した”。
ユメミガチが言葉もなく立つ前で、ドラゴンはバラバラのパーツになってしまい、ずどおん、とククロテア王国の中央に沈み込み、その衝撃で橋は半壊してしまった。
つまり、サーカスと王城をまっすぐにつなぐものが消滅してしまったのだ。
(……。……。……ドラゴン、魔法、解除、ネコカブリ?)
つまりはネコカブリが仕掛け人として一枚噛んでいたということか、と、ユメミガチは推測した。
──これをきっかけにサーカスの上層部に一気に上り詰めるという夢は絶たれたわけだ。
燃え上がるココロの憎悪。
ときめきを刻む乙女ゴコロ。
(……それでもこっちを助けようとしてた。キュン!)
ユメミガチが口角をぎゅっと持ち上げる。
ゆらゆらとしなを作りながら近づいて、まるで王子様でも見るように、ちびで丸っこいネコカブリを抱き起こしたわけだが(力を使ったあとに地面に倒れてしまっていた)──
「すぴーー」
ネコカブリは眠っていた。
お手本のような鼻ちょうちんをこしらえて。
半目で、なかなか見られないくらい不細工な表情をしていた。
ユメミガチの夢がぶつんと途切れる。
「起きろォネコカブリーーーーーー!!」
往復ビンタが炸裂する。
肩をいからせてゼエゼエと言いながら、ビンタで目を覚まさせられたネコカブリと、勝手に期待して勝手に失望したユメミガチは声を揃えるのだ。
「「はあああああ!?」」
何がどうなっているのか。
それを知る幹部はここにはいなかった。もちろん、団長であってもだ。
「リュウくんの作戦ってすごおい!」
ナギサが口をまあるくして、声を上げている。
二人がいるのは、井戸のような上下移動装置。
これをくぐって移動すれば、やがて世界を通過するための部屋に行くことができる。
たくさん線が引かれた裏路地地図が役に立った。サーカスの内部は混乱により荒れていたし、従業員がよく行き来する通路だらけだったが、穴場の細道をちょうど選ぶことができたのだ。
この井戸はピエロたちがまず逃げていく予定の通り道で、この先階層が変わったところではアカネとサカイが案内をしてくれている。
リュウとナギサは「「ここで待っているように」」と過保護な二人に言われたのだ。
避難が終われば、大急ぎでアカネとサカイが戻ってきて最後に逃げる予定である。
それまでの間、井戸の隣ですこしの暇な時間があった。
作戦のふりかえりをしていて、先ほどのナギサの感想が出たのだ。
「よかったよ……。とにかく、よかったって気持ち……。だって成功しない確率の方がうんと高かったから……」
「それでも成功に一番近づいてたリュウくんすごいよっ。もっと元気出して喜んでいこうよ!」
「ナギサは元気があるねえ」
「うん! だって嬉しい時には喜んで、エネルギーチャージしておかないと。止まっちゃうとだめでしょう?」
「サーカスの仕事をする上で大事な心構えのやつだね。でも今は、ボクたちの目標そのものを表しているかも」
「うん、うんっ!」
ニコニコとするナギサに、リュウは目が釘付けになる。
頭がぼーっとしていて、自分だってあの炎の光景に精神が削られていたようなのだ。
自分の感情と体が乖離してしまいそうな、いっそそうさせてしまいたくなる気持ちを、必死に繋いでいた。
ゆえに、一人称にもなかなかなれない。
壊されたパレードの光景を丸ごと自分の責任として背負うのは、重すぎる。足を止めてしまいそうになるくらい。だからふわふわとしたココロで自分を守っているが、このココロのままでいるのは思考がしづらくて別の不安も呼び寄せた。
簡単にココロにスキマが空きそうなほどの不安。
「嬉しい時には笑うの」
というナギサの微笑みによって、ようやく、リュウはともに笑った。
自分はココロが落ち着いている、自分はまだ動ける、と胸に手を当てて唱える。もう少ししたら、これまでのように自分の感覚を鋭くして動かなくてはならない。
「ニコ♪ ニコ♪ ……なんで私って笑ってるんだっけ?」
「ナギサーーーっ! しっかり!」
たまに記憶がすっぽ抜けるナギサ。生真面目すぎるリュウのちょうどいい相方である。
なんどもリュウは繰り返す。
自分のしたことを受け止めていられるように。
「ボクたちの作戦はこう!
やりたかったのは、パレードに出ているピエロを逃がしてあげること。そのために遺体安置所にある死体と交換しようとオーメンが持ちかけた。オーメンは奥の手としてワープの魔法が使えるらしくてね。
これを可能にするためにもう一手、死体を生きたように動かすことができるネコカブリの魔法が欲しかった。
あいつは集中するためにわずかな仮眠をする癖がある。その居眠りのすきに、ボクが”フロマーチ””ランドール”でココロパレットの色を奪った。ネコカブリの魔法がかけられた死体ピエロが誕生したってわけ」
「だんだんと話しながら目が暗くなってしまったねえ。笑って、笑って♪」
「うん……。……覚悟していたってココロは感じるものだからね。誰かのことをこんなにも考えたことってなかった。自分のことだけだったら、ココロを堅くして簡単に守れたような気がするのに……。誰かのためってすごく怖い…………」
リュウの頭を、ナギサが抱き寄せる。
そして「あれ?なんか成長してる?」と独り言をつぶやいた。
「誰かのためなんかになってない。リュウくんは自分のためにやってる。って欲しいなら言ってあげる」
「それって逃げているみたいで……。……立ち止まってここにいると、だんだんと余計なことを考えちゃうみたいだな。いやな想像ばかり膨らんでさ」
井戸の底を、さっきから何度も覗き込んでいた。
大丈夫かな。
逃げ切れたかな。
目を離しているサカイやアカネが知らないうちに死んでしまわないだろうか。
早く姿を見せてほしいのに、来てくれなくて、待っている時間がとても長く感じられる──。
井戸の底は見えず、暗闇がつめたく滞っている。
ナギサはぷうっと頬を膨らませる。
「リュウくんって頭がいいよね。私はもう目の前のことしか考えられないよ」
リュウは体がわずかにあたたかくなっていると自覚をする。
うっすらとした緑色の明るい光。
──ナギサの回復魔法が復活している……?
「こんなにうまく行っているんだもん。子どもたちはきっと逃げられたよ。死体のピエロたちは、死んでからの短い自分だけの時間を謳歌したよ。そしてね、アカネちゃんとサカイくんはきっと戻ってくるよ!」
夢よりも確信をもって、ナギサは友達を信じる。
井戸からはアカネとサカイが現れる。
流水に押し上げられるようにして、あるいは翼をたたむようにして、いっきに飛び上がってきた。
「ナギサ!」
「リュウ!」
──幸運の女神様みたいだな。
──ボクはナギサの笑顔をみて、そんなふうに感動を覚えたのだった。
──ばらばらになりかけていたココロと体はなんとかまた繋がった。




