5:リュウの魔法
「俺様が役に立つってこと、証明してやるぜ!」
ボクたちは移動した。隣の部屋だ。
医務室の壁のヒビに指を這わせて、かけらの場所を変えると、穴が大きくなったんだ。
あきらかに”仕掛け”だった。知っている人だけが利用できる道。オーメンのリサーチ能力を信じざるを得ない。
「ほんとうに隠し部屋があるとはね……」
でも、ここの空気、嫌な感じがする。
空気が止まっているような感じなんだ。
冷たい空気が”ピタッ”と止まったものを、閉じ込めておいたような。
静寂の中、ボクの動きにだけ空気の流れが生まれている……。
オーメンはまるでそこにいないかのように空気に馴染みながら進むことができていた。
これについては、だから怪しい、なんて疑いはかけないことにする。もともと喋る仮面なんておかしいんだよ。オーメンはイレギュラーとして、ボクと目的が同じだ、という部分を理由に行動を共にすることにした。
魔法についてもアドバイスをしてもらったしね。
でも、ワクワクしていた高揚は消えて、嫌な予感がアタマを曇らせている。
「そこに寝かされてるやつに魔法をかけてもらう」
「!……」
寝かされてるやつ、って……。
医務室をコピーしたようにベッドが10台並んでいて、そのすべてが使用中だった。
黒い袋が並んでいるんだ。
おそらく団員の死体だ。
四桁の番号が、袋に書かれている。
まったくよく管理されていて……喉元が締められるように苦しくなる。
ボクにも番号がふられている。管理されているひとつだから。
「へっくしょん」
くしゃみが出てしまい、鼻水をすすった。
死体を腐らせずに保管するため寒い。
ベッドに乗せてあげているのは、このあと再利用するため。
サーカス団はけして裕福ではないし、種族がアンデッドの団員もいたんだ。
手のひらを合わせて合掌、目を瞑った。
こんな祈りはこの子達にとって何にもならないだろう。
けれどやらずにはいられなかった。
──オーメンは、ボクが顔を上げるまで待ってくれていた。
「リュウ。白い仮面を出してくれ」
まっさらな仮面を手のひらに乗せると、まじまじとオーメンが眺めている。
オーメンは浮遊力があって、宙に浮いて、あらゆる方向から仮面を見てる。
白い仮面について、ボクは思い出にふけった。
はじまりの仮面。
ボクは真っ白な仮面を手にして、いつも途方に暮れていた。これを成長させていつか舞台に立つことを夢見ていた。コーディネート・ルームでショーマンの真似事をしているのを他のピエロに見られたとき、まだまだ落ちこぼれのくせにって「プーークスクスクス!」笑われたっけ……。
いつまでもボクの席なんて空かなかった。
ボクの席が空いて、綱渡りのショーが行われたのは、口減しだったのか、それともボクでも必要だったくらいサーカスが困窮しているのか……?
「辛そうな顔しているぜ。過酷なショーに放り込まれたもんな」
「いや、過酷なショーに憧れていたんだよ。昔のことだけどね。でも叶わなかったことに、洗脳のなごりなのか、胸がじくじくと痛むんだ」
「”願いが叶わなかったこと”が辛かったのさ。お前は死にたかったわけじゃないのさ」
「……」
長い時間をともに過ごしたわけじゃなくても、オーメンは、すごくボクを理解している感じがする。
こういうの、カリスマ性っていうんだろうか。
「白いままの仮面って前例がないんだって。幹部も『気味が悪い』って言ってたんだ」
愚痴が口をつく。
「フゥン。渡された時に言われた感じ? 言った幹部は”コードネーム:トラウマ”か」
「よくわかったね」
「ファッションコーディネーターとして執念があったからな、あいつ~。あいつは白の仮面のことなんて、知らなくて、恥ずかしかったんだろうぜ。でも、知ったとしても切り捨てていたのかも。バアさんだから、執着してる”綺麗な姿”について以外は、脳みそからポンポン抜けていくところがある。あれほど堕ちたくはねぇな〜」
ぶわわわわわ、って鳥肌がたつ。
幹部の悪口を聞いたから!
これだけでも、生理的に体が拒絶反応を示すようだ。
ふーー、ふーー、と息をしてなんとかい落ち着かせる。
「リュウ、ほったらかし、でよかったなぁ」
ケラケラとオーメンは笑う。ボクの過去を笑い話に変えてくれる魔法みたいに。
「あは、あはは……。幹部に目を付けられたらあっという間に大舞台、羨ましかったけど……もう、羨ましくないや」
「言うじゃあねーか。アハハハハハ!」
ボクらは笑い飛ばした。
そして、真顔になった。
切り替えるタイミングも似ていた。
この切り替えをするための勇気を出そうと、ボクらはともに笑ったんだ。
唾を飲み、ボクはからからの喉を湿らせる。
「ボクの魔法、使わせてよ」
「【フロマーチ】って唱えてみな」
「呪文?」
造語のような言葉では、まったくイメージがつかめないんだけど。魔法にはイメージも大事だったんじゃなかったっけ。
「リュウの魔法を言葉で説明してくれったって難しいんだ。やってみてくれ」
自分の仮面を使うんだから、罠にはめられたり自爆するようなことはないだろう。
初めてだ。
初めての魔法を使う。
だからボクは緊張していた。
どうか、悪いものではありませんように。
誰かを焼く炎だとか、誰かを沈める水だとか、むごいものではありませんように。
ココロに湧き上がってくる願いは、このようなものだった。
(だから、リュウの魔法は、ここにいる誰にも理解ができなかったのさ)
オーメンの視線を感じる。
「【フロマーチ】」
黒い袋の上に、なにかが現れた。
「絵の具のパレットみたいな……?」
「”ココロパレット”──ココロの属性が絵の具のように現れているだろう。これが仮面に現れてゆくのさ。ほら、この子の袋の近くにある仮面。割れているけれど……絵の具と同じような、薄い黄色に塗られているだろう」
パレットには涙の粒みたいに、ちょこんと絵の具が乗っかっている。
「黄色は、電気の魔法?」
「当たり~。んじゃ、パレットが見えたらこういうんだ。【ランドール】」
「【ランドール】」
一瞬、ボクの体がピリピリとする。
体の内側がざわざわと……これが魔法の兆候?
ボクの体が黄色の光を帯びて……ピエロ服の黒いところが黄色になり……自分が作り変わっていくみたい……! ……ビリビリ。……ドキドキ。…………。戻っちゃった。
「どうしてだろう」
「パレットの色がわずかだったからな。変化はここまでだ」
「これだけでどうするっていうの……ていうかボクの能力って……」
【フロマーチ】と【ランドール】。これを何度も頭の中でくりかえす。覚えにくい言葉だから、忘れてしまわないように。
ていうか能力なに。マジで。
「コピー?」
「あたり! リュウの共感をするココロが反映されている、まっさらな仮面の能力は”コピー”なんだ」
白い仮面はつど塗り替えることができる! 考えたこともなかったな。
呪文を唱えてはじめて形になる魔法。誰かに協力してもらってようやく使える魔法。
適切な呪文によってのみ形になる魔法。祈るような気持ちでよりそう魔法。
それなのに存在を知れていなかったんじゃ、ボク、使い物にならなくて当たり前だったんだな……。
サーカスはショーマンの華やかさが命!
それに魔法が強ければ、その子は体力や知力が高いってこと。
目に見えるバロメーターなんだ。
だから、立派な仮面をつけている幹部には逆らう気も起きないもんだ。
「もっと体力がある子のココロパレットならば、バリバリ魔法を借りられるぜ」
「ボクが?」
魔法を……!
「おー、輝いた目をしちゃって。まさか脱出やめるなんて言わないよな?」
「言わないよ。死にたくないから……。でも日本では、魔法なんてものは夢物語だったからね。ドキドキはするみたい」
「ふうん日本……」
オーメンのかぼちゃのオレンジ色のところが、赤くなってきている。
な、なんだろう? 彼の方こそ、感情の変化とかがあったんだろうか。
注意深く聞いてみようか……。
おどけながら、ピエロのように。
「あれ、興味深そう? 日本のことを知っている?」
「地名なんだよな。ううん、俺様はこのサーカスから出たことがないのさ」
「そうなんだ」
「だからこそ外の世界を見てみたい。それが声をかけた理由さ!」
オーメンの目が光り、暗い室内でそこだけ明るいのが、異様な感じ。
まだ見知らぬ場所への好奇心がオーメンの協力の理由らしい。
けれどボクは、見知らぬサーカスに日本から攫われてきて、冒険心をそこまで信じきれない。
ボクはここがひどいと思うから出たいけれど、オーメンは退屈した仮面というだけで出ていきたいのだろうか。
少し、納得しきれないところがある。
さっきまで彼にシンクロするように共感していたぶん、違和感が大きく感じられた。
ボクは白い仮面を撫でた。
「聞いていい?」
あと少しだけ、改めて、キミを信用する材料が欲しいんだ。
「いいぜ」って会話のキャッチボールができたことにホッとする。
「もしも、こんなこと企ててるのが途中でバレたら。オーメンにリスクはあるの?」
「踏まれたり、壊されたり、奪われたり?」
「そう」
「リスクは一切ありましぇーん。……怒った?」
ちゃかしてくる言葉。楽しげに「しぇーん」とか言ったあと、怒った? と聞く時にはガラスの表面をうるうるとさせていて器用だなぁ。
「ううん。信用しようと思った」
「逆になんで!?」
「だってキミが安全なら、ボクを裏切る必要がないからさ。ボクが失敗したら残念賞、成功したらもうけもの。だったら成功するように動いてくれるだろうな~って」
あと、個人的に肌に合う。
「リュウ~。頭いいな!」
「バカなピエロってみんないうけどね」
「それって幹部?」
「そう」
「幹部のこと、今、信用してる?」
「してない……」
「じゃあバカなピエロって言われて傷つくことないぜ。仲間の俺様が励ましてやるからさ。あ、待って、励まされると嬉しくて力が出るタイプか、バカにされると悔しくて力が出るタイプのどっち? それによってはサディストになってやらなくもないんだぜ」
あは、と笑えば、目尻からは涙がこぼれた。
「励まして」
「いい子!できる子!元気な子!やったれ!」
「貶して」
「えっ……バーカバーカバーカ!お前になんてどうせ何もできやしない、って幹部の馬鹿野郎が言ってました」
「やってらんないね。むかつく。悔しいよ。よっし、頑張れるよ」
まずはここから動こう。
「足震えてんぞ」
「ピエロダンス」
「面白かった。ケラケラケラ!」
どんなに不格好でも歩こう。できれば走ろう。
立ち止まっていたらすぐさまサーカスに喰われてしまうから。
オーメンが飛んでいくのでボクは小走りに追いかける。
ふと後ろを振り返った。黒い袋が並んでいる。ココロを寄り添わせる。
また走った。
挿絵協力:さらら様