41:トラウマ登場
”大倉庫”には、誰も近づけずにいた。
ユメミガチとネコカブリ、その二人が貸切をした時間はとっくに過ぎているのだが──。
ガシャーン、ドゴン、とものがぶつかる騒音がするくらいなら稀にある。何せ物が多いから倉庫なのだ。
しかし言い争いが喧々轟々と聞こえてきていて、幹部の喧嘩らしいとなれば、進んで関わりたいピエロなどいるはずもない。
結局、しびれを切らした幹部”トラウマ”が現れることになったのだ。
「いつまでかけているのやら……。あの子らの仕事はあの子らにしか出来ない。だから幹部なのだからね。遊び呆けているのもいいかげんにおしよ。しかしこれをそのまま言ってしまえば、感情が爆発して手がつけられなくなる。どう告げたものかねえ」
倉庫の扉は開けっぱなし、外にまで壊れた物が転がり出てきていて、被害は甚大なようだ。
なんとまあ、とトラウマは呟いた。
そして音を立てないように入り口に立った。
「やれやれ、二人とも、これはどういうことだい?」
コードネーム:トラウマは淡々と尋ねる。
そうするのが彼女のスタイルであるし、興奮しっぱなしのユメミガチ・ネコカブリを落ち着かせるために最適であると計算した。
コードネーム:トラウマはドレッシールーム(衣装を着替えるためのカーテン囲いの部屋)を被ったような見た目をしている。ネコカブリのように【着ぐるみのようなものを被っている意志ある人】というスタイルを選んだショーマンだ。
カーテンの裾にあれこれと物の破片がつくので、実のところトラウマもわりと機嫌を悪くしていた。
「あっ! 聞いてよトラウマ~!」
ユメミガチが我が味方を得たりとばかりに、話しかけにゆく。
ユメミガチはトラウマのことを仲良しであると思っており、何かと側にいく。トラウマは幹部連中を否定することが滅多にないので、誰にとっても話しかけやすい相手である。
「うわあー!? 言うなよ、言うなよユメミガチィ! おいこらぁ! 聞いちゃダメだからね、耳栓しといてよトラウマー!」
ネコカブリが慌てふためく。
ユメミガチは夢見がちに自分本位なものの言い方で相手を丸め込むことが得意だし、トラウマはそんなユメミガチといつも一緒にいたので、自分の敵になると思ったのだろう。
幹部たちが二体一となれば、当然、ネコカブリの分が悪くなる。
それにケンカの原因はネコカブリにあるので、聞かれたくないのは道理であった。
自分が悪いとは自覚し、けれど叱られたくなどないのであった。
「ネコカブリ。私に耳があるように見えるかね?」
「あっ」
トラウマには「耳」にあたる器官がついていない。
ということは耳栓など不可能である。
「まあ、耳を塞いでほしい=聞かないでくれ、という公式くらい分かるがね。答えはノーだ」
「くそおおおおおっ」
「あらまあ、口が悪い、オホホ」
「なに可愛子ぶってんだユメミガチ。そんなことしても性格の雑さは隠せやしないんだぞ」
「なんですって!」
「ほらほら、二人とも、おやめ。どう見たってネコカブリがまた煙に巻こうとしているだけじゃないか」
「うぐううう」
「気絶したフリもおやめ。心臓にあたるところが動き続けていると、私には分かるよ」
「ああ、トラウマは本当に頼りになるわ。このままショー・ペアになれたらいいのに!」
「今はその話をしている場合じゃなさそうだ。お前たちのケンカの原因を話すんだよ」
ユメミガチとネコカブリは、青くなった。
心境を表すなら、仮面にピシピシとヒビが入りそうなくらい。
トラウマの声のトーンが低くなる。それだけで「まずい」と感じさせられる。
トラウマは二人よりも古参の幹部であり、能力は”ピエロをふさわしい姿に変えること”。
連れ去ってきた子どもたちを変化させてしまう、という方針で普段は活躍しているが、その本質は、本質を暴くことのほうにある。
ユメミガチも、ネコカブリも、”自分のなりたい姿”を追い求めているショーマンだ。
だから、トラウマの機嫌を損ねて、真実の姿に変えられるなんて冗談ではないのだ。
ユメミガチとネコカブリは、ぽつぽつとケンカの原因を話した。
途中で言い争うこともなかった。
視線はトラウマの方に集中していた。
相手とのケンカよりも、我が身の擬態の方が、まだまだ大事なのであった。
「ふむ……」
トラウマが重い声を出す。
「つまり。ケンカはお互いのやり方が気に食わなかったことが原因。そしてさらに前、ピエロを各々の良いように使おうとして、失敗してしまったんだね」
「「……はい」」
ずーん、とユメミガチとネコカブリの頭がうなだれる。
ユメミガチはカーテンの裾を、ツンと引っぱった。すねたように尖らせた口元は妖艶なのに、どこか子どもっぽい。
「私はね、あの白黒ピエロに新しいショー・ペアを用意するつもりだったのよ。このサーカスで使いやすいように何かを当てがってやればいいんでしょう。そのためにリュウって奴がどんなピエロか顔を見てやろうと思ったの。ほら、当初のサーカスの方針通り」
「できれば自分の奴隷部隊に入れたいとも考えていたね?」
「はぁい……」
ネコカブリはトラウマに媚を売る。尻尾を可愛くふってみせる。
「ボクはね、白黒ピエロリュウちゃんをボクの付き人にしておきたかったんだよ。どうせろくな使い所がないだろうからさ、だったらあいつを添えてボクの魅力が上がる方がサーカスのためになると思わない?」
「思わない。そうなっていたらリュウの改造にかまけてパレードの支度が疎かになっていただろう?」
「ぐええ」
完敗であった。
トラウマの相手を見定める目にかかれば、二人の性格からくる未来など、お見通しだ。
(しかし、読めないのはリュウというピエロの方だ。この幹部二人の仲が最悪とはいえ、たった一人の下級ピエロの分際で、どうしてここまでのケンカを引き起こせたというんだ? 計算が合わない……)
トラウマは、ユメミガチ・ネコカブリの二人がなんらかを企んで独自行動をしているとは知っていた。
ピエロのリュウが呼び出された放送を聞いていて、新たに組まされているネコカブリ・ユメミガチのペアの性格を考えたら、導き出される答えは「トラウマの公式通り」である。
最有力の未来は、ユメミガチがリュウを得て愛でていくルートだった。
二番手の未来は、ネコカブリがリュウを使い壊していくルートだった。
三番手の予備の未来でさえも、いらなくなったピエロから興味を失ってさっさと退散するルート。
それなのに殺している。
遺体安置所に、直に送るとは。
これではパレードの支度に参加させる力が一つ減ってしまった。
下級ピエロをまとめて倉庫掃除をする手腕にかけては、爪の先ほどではあるが、トラウマはリュウのことを評価していたというのに。
最近では、下級ピエロは裏道を気ままにかけっこしていたりするのだ。
そんなふうに風紀が乱れはじめているのは、リュウが倉庫掃除をしなくなったタイミングとかぶる。他にもさまざまな要因と合わせて計算した「トラウマの公式」としては、下級ピエロのまとめ役として、最下層のピエロがマジメであるという理由があてはまったのだ。
そのことを進言して、団長に、サカイとのショー・ペアを外し、またリュウを倉庫最下層に戻そうとしていたところだった。組み合わせるピエロはどこぞの役立たずでもいればいいだろうと。そうすればリュウは己一人でサカイを求める宣言などできないだろうから、倉庫の最下層に沈み続けてくれるだろうと計算したのだが。
台無しになってしまっている。
トラウマは内心歯軋りをしたい心地だった。
(代わりに最下層の仕事をさせるとしたら、代役適任はナギサだが、アレは体が弱すぎるから、リュウと同じように仕事をこなすのはムリだろう。ともにいるアカネが誰かを守ることで力を発揮するタイプだからそちらに就かせておきたいし。
リュウを倉庫においておくのが、サカイをよく働かせられるし、倉庫も片付くし、最もコストパフォーマンスに優れているのだがなぁ)
はあ、とトラウマの重い溜息。
見えないところでつま先で蹴り合っていたユメミガチとネコカブリも、ビクッとした。
「リュウがもうすでに死んでいるか私が見てくるよ。魂だけでも捕まえられたら”失敗作”のように活用できるかもしれないからね……。そうしたら倉庫も片付くし、リュウが死んでいることを内緒にしておけばサカイもまだまだ使えるだろう」
「「さっすがサーカスの頭脳!」」
「お前たち。こんな時ばかり、仲がいいな」
「「誰と誰がァ!?」」
「そういうとこだよ」
シャー!!と噛み付かんばかりに牙を剥いて、ユメミガチとネコカブリは互いを睨みつけている。
静かに怒るトラウマの方を見る勇気はないためであった。
「それじゃ、お前たちは二人でパレードの支度にお戻り。二・人・で」
「「分かりましたぁ……」」
「よろしい」
サーカスの尻拭い。もとい、ショーマンのコントロール。
計算に基づいてこれをやるのは、トラウマの仕事である。
トラウマは計算が乱れることが大嫌いだ。
もっとも、ここはサーカスであるし、キマグレなトラブルなんてしょっちゅう起きる。そのたびに計算をし直すのが、トラウマの日常である。
そして報告しにいくのはキマグレ団長に対してなのだが、もちろん大嫌いである。
(ユメミガチとネコカブリを送り出す。倉庫掃除が得意なピエロにここをまかせる。そして、サカイのところに行く予定だったけれど、行き先を、遺体安置所に変更──)
シュルシュルとトラウマの内側から”メジャー”が伸びてくる。
服の長さなどを測るために普段は使っているが、くるりと裏を向けると、暗号文字がびっしりと書かれていた。
それはトラウマのスケジュール表だ。
分刻みに書かれている。トラウマは懐中時計で照合をする。
(誰かに読ませたりはしない。私は誰にも、信用も信頼もしていないのだからな)
「そろそろ、サカイがココロを売るという計算だね。それを見に行けないのは残念だ。ココロ自動販売機が動く様は美しいものだからなあ。
さて、リュウの魂を捕まえにいくとしようかねえ──」




