12:キマグレ団長
オーメンに引っ張られたから、後ろに転倒してしまった。
服の端からオカシがこぼれて山になり、ボクは美味しく埋もれるピエロになった。
(キマグレ団長なんだってば!)
(なんだって……)
なんだ……って?
…………。
……。
今オーメンはなんて言ったの。だんちょう。DANTYO。団長!?
団長といえばサーカス団をとりしきるトップなわけで。あの悪辣な幹部たちをまとめて、仕事に従事させられるくらい強い魔法を使える人のはず。そして、いったいいつから団長をしているのか知らないけれど、このサーカスを保つ人ってことなんだ……。
そんなばかな。という気持ちが湧き上がる。
だってボクに拍手をしたんだ。
そんなに地位の高い人が、ただの下級ピエロの芸を気にかけたりするもんか。
だってボクにオカシを施した。
サーカス団の人がそんな風に施しをしている風景を見たことがなかったから、招待された上流階級なのか、もしかしたら記憶を取り戻した味方かも……って想像さえしていたのに……。
(信じたくなくて夢を見てるのか?)
(! ……)
もしお客様なら、さ。
外部からのお客様がサーカスに入ることはあり得る。
ボクたちが生涯関わらないような豪華絢爛な入り口から、観客席へと移動していくんだ。その際に、舞台と舞台をハシゴするなら、サーカス内をお客様がうろつくことがある。
それは身なりのいいお金持ちの特権。
ずっと忘れられない。即死のエンタメショーで、ボクが死ぬところを観ていたお客様たちの姿。
ある人は歓喜で口を限界まで開けていて。
ある人は顔を覆った手のひらの隙間から、にんまりした目がこっちを見てた。
”死”のざわめきを胸に思い出す。
ある人はポスターを木の棒にくくりつけたものをヒラヒラと振っていたっけ。
ポスター……。
サーカス団のポスターには、エリートが描かれている。どんなにカラーパターンを変えても、ポーズや小物を変えても、観る価値のあるものだけが現れている。
その中心にずっといるのが”キマグレ団長”。
カラスの濡れ羽色のような漆黒のスーツに、遠目からでもよくわかる大きくて装飾の多いシルクハットを目深に被っている。だからどのような仮面を被っているのかボクらは全貌を知らなかった。会えやしない天上の人でもあるし。
(ポスターを思い出しづらい。ボクのココロが辛く思っているからだ。嫌な予感がしているな。けれど、見れるからね、オーメン……)
さらに詳細に思い返す。
今のボクの視線で思い返す。
”サーカス団”──さーかすだん、とルビがふられていたっけ。
けれど唐突に、文字は頭の中で置き換わる。
”亡骸サーカス団”
すごく、すごく嫌な気分だ。
騙されていたってこと。
思い込まされていたってこと。
拍手をしてくれたあの大人を気に入って、ボクは幸せを願ってしまっていたというのに──。
矛盾がボクのココロにのしかかるかのようだ。
またオーメンが突撃してきた。
(……、……い、おい、おいおいリュウ~! 正気になれ。体温が下がって、顔からザーと血の気が引いてるなー。でも、うたがわれたら何もかも終わりだぜ、立て直せっ)
(頑張る)
ボクは立ち上がった。
切ない気持ちで彼を見る。
ピエロの演技ではなく、はらはらと涙が溢れていた。
ああ、落ちこぼれピエロだな。
フラフラと「大人」が──団長が近づいてきている。
「──」
声がすぐには出てくれない。
そういう時は首のところに手のひらを置いて刺激を与えて、すぐに覚醒する力技を使う。おつかれのピエロが使う技なので、よいこは真似をしちゃあいけないよ。
「わあ。おっとっと」
震えて膝を震わせてしまった、というピエロの演技。
大丈夫、ピエロだからビビってるふりをしてるだけさ。
そして「ニッコリ」やってきた「大人」のほうに向き合った。
「どこに行くんですか?」
「──!」
ぴらり、と見せられたのはショーの参加券。
白かった紙が、しだいに彩られていって、ボクのナンバーが描かれていく。
これは"配られるもの"と同じ、ほんものだ。この人がサーカスのために働く人だってことを痛感させられる。
ボクはそれを受け取った。笑顔、引きつっていなかったかな。
「どこに行くんですか?」
(これ、約束になるかも!? 言葉選びに気をつけないと、って、距離が近い近い近い!)
「つ、次のショーに行くんだよ! 放送されていたもんね。でも……」
泣くまねをする。短めに。相手から目は逸らさないように。
見ていない間に何を仕込まれるか、それがもっとも恐ろしい。
「舞台の道具が足りなくて探しにきたの」
「迷子ですか?」
「そうそれ」
最初の質問にもどってくれた。
「どこに行くんですか?」
「迷子だから」
この人も、ルールに縛られている。
一定の範囲内で会話をするところがある。
ボクが工夫する隙があるかもしれない。
「わからないんだ。でも井戸から落ちてきちゃったから、まず、戻るつもり」
「そうでしたか。その途中にいた観客を見過ごせなかったということですね」
「だってピエロだから!」
「舞台を楽しみにしています」
唾を呑んでしまって、ごくんと大きく喉が動いた。
「まだ戻れないけれどね~。さっき言った通り、ピエロは探し物をしているから! 持っていかないととっても怒られちゃうから…………」
「誰に? どうして? いつまでに? 何を?」
「フトッチョ先輩がどうしてもそれが必要だからって。ピエロが準備を怠るものじゃないだろうって」
口八丁だ。
彼はフトッチョの名前に反応するだろうか。
もういない、ことまで把握しているだろうか。
それとも、なんとも思わないんだろうか。
最初に見せてくれた感動や、合いの手は、この人の嘘なんだろうか……。
形式らしく手を打つしぐさ。
……ボクに誤魔化されてくれちゃうんだね……。
じゃあ、お芝居を、続けますね。
「次のステージが始まるまでに。さっき放送があったからもう幾分も時間がないよう!──鍵を」
「鍵を」
「ちょうだい」
涙でうるんだ目をいっぱいに見開いて、団長に、手のひらを差し出す。
無害でおろかでちっぽけなピエロみたいでしょう。
手のひらは肉が少なく薄っぺらく弱々しく、なんの抵抗力ももたない。
ゆっくり5秒、沈黙──。
そしてスーツに包まれた長い腕が、彼の首元にまわされて、紐を指先がたぐり寄せる。
チャリ、と音がした。
(マスター・キーじゃん)
オーメンが震えた声で伝えてきた。
そのものの存在は知らなかったけど、言葉の響きから内容はだいたい把握できる。
つまり、最高権力者がもつ、なににでも使える鍵ということ……かな。
「どうぞ」
「わあい!」
放られたものをなんとか落とさずにキャッチして、ドッと頭が汗で濡れるのを自覚した。
膝がまたしても震え始める。もう限界だよ!
「ありがとうお兄さん!」
「キマグレ団長です」
(言わないで下さいーーーー!?)
自分のことを指差しながら明かしちゃった!?
「それじゃあねピエロは行くね!」
「またね、リュウ」
(ピエロで通してたのに名前把握されてるしー!)
これまでできたためしもないムーンウォーク(もどき)を火事場の芸力で成し遂げつつ、井戸の綱に捕まると、これまたものすごい力で引っ張り上げられた。
途中で綱を離さずにいられたのは、さっきあまりにも”死”を連想してしまって、死にたくないなって、気持ちが強くなっていたおかげかな。いや、わからない。もうなんでもいいやって、とりあえず解き放たれたような気持ちなんだ。
さいごに見たのはこちらに向かって礼をする団長。
どこからともなく出したシルクハットを目深にかぶっていた。
その姿はこれまで幾度となく穴があくほど眺めて憧れた、サーカス団のポスターそのもので。
偽りであろうとも二年間必死に目指してきたボクの夢の亡骸。
だから胸がギュッと──
「いたあああああい」
「よう、やったじゃないかリュウーー!」
「手のひら!摩擦で燃えたよおおおお」
「医務室で治療の魔法がかけられてたしさー、ちょっとくらいなら残ってる魔法で回復するんじゃないか。ほら、ね」
「えぐぅ。手のひら表面がデコボコうごめいて、なんとか元どおりになっていく光景やだなぁ」
井戸の外で、はあああって脱力する。
裏方で力尽きている団員なんて珍しくはない。
そのうち意識が戻ったらまたサーカスのためにと働き始めるもんだから、それまでは放っておくのが暗黙のルール。
もし、そのまま死んで腐り嫌なにおいがしていたら、誰かが処分する。
それだけのことなんだよな。
けしてそれだけではないのにさ。
右の手首にぐるぐる巻きにしていた首掛けの紐をほどき、そこに鍵がくっついてることを確認して、ボクの首にかけ直すと、服の下に鍵を隠した。
髪は男の子にしては長めだから、よほど近くに来ないとこの細い紐は見られないだろう。
肌に当たる冷たい鍵の質感を感じながら、またズルズルと体の力が抜けていく。
安心ではなく、疲労だ。
「すぐ動けないヘタレでごめん……」
「俺様、よく頑張ったねって言ったじゃん? あの団長相手にリュウは大立ち回りだぜー。さらに鍵を欲しがるなんて、どうしてあんな真似ができたんだか! なあどうしてだよ、すげーよすげー」
鍵、か。
「今しかないって思ったから。どうせボク一人じゃダメなんだ。オーメンがいてくれるこの時に、精一杯頑張ることにしたんだ」
「………」
オーメンがちょっと俯いた。
「……あのさあ~。俺様ちょっと反省。甘い汁だけ吸う寄生仮面みたいになってるの、けっこう反省してるぜ。そのな、俺様、それなりにやれることはあるんだわ。魔法もわずかな手があるんだわ。だからなそのな、いざという時はえっとぉ、うガガガガガ」
仮面の装飾の色の境目くらいのところが軋むくらい震えてるじゃん。
だから抱きしめておいた。
「事情あるんでしょ。できるところは手を貸して。もともと勝算が少ないんだ。やれるところまで、できるところまで、逃げよう。オーメンのココロはボクに近いことを知ってるから、それだけで一緒に行ける」
「……リュウ。きっと悪いやつに騙されるぜ〜」
「ここに悪人以外がいるもんか」
ボクだってそうだよ。
団長に詐欺をはたらき、鍵を盗んだ。
逃げ出すことを、ナギサたちに言わなかった。
自分がこれだけ逃げたがっているくせに、団員の死体をなにも考えずに処分してきた過去がのしかかる。
「いいやつだから逃げるんじゃない。悪いやつだから逃げるんだよ」
「それはそーかもな。いいやつだったらこのサーカス団をどうにか改善してやろうと画策するのかも。けどリュウにはそれほどの力はないんだぜ。コピー魔法はレアだけど」
「元の体の才能がないからね」
低スペックな方だと思う。
女の子のナギサよりも走る体力がないし、アカネよりも力は弱くて、ただ長く掃除をしてきただけだ。あとは下級団員が入ってくるたびにボクが慰めていたから、コミュニケーション力はそれなりかな。
「逃げ……」ってオーメンが言いかけた。
逃げようぜ、とか、逃げろよな、だと思って、「頑張るよ」と返事をしかけたんだけど。
その前に、足音がした。
疲れてきって倒れている団員のフリに徹する。
「リュウ……?」
(バレてるぞ! まあ放送かかってたらわかるか)
(いやあのね、この格好がリュウだって知ってる人は少ないんだよ。ボク、有名人の真逆だったから。倉庫のお兄ちゃんで定着してたからね。ていうか誰だろう!?)
こんなにも心配した弱々しい声音でボクを呼ぶなんて。
ナギサならしてくれそうだけど、男の子の声で、そんな風に気にかけられたことなんてなかった。
どうせ身元がバレているなら、弱っていたってステージに引っ張っていかれるに決まっている。
だから呼吸を止めて1秒、その一拍で覚悟をきめて、のろ〜りと起き上がった。
そこにいたのは赤い衣装のサーカスの花形ショーマン。
先ほどスポットライトを浴びてステージを沸かせていた炎魔法の使い手。
それなのに、捨てられた子犬みたいな顔でボクの方を見つめていた。
「サカイ……」
彼は、次のステージのショー・ペア。
そしてボクとともに攫われてきた同期のピエロ。




