11:オカシと幸せ
ボクは見下ろされている。
「迷子ですか?」
認識されている。
この長身の「大人」に。
凝った仮面の向こう側は、どんな顔なのかほとんど見えない。そしてこんな仮面を見たこともない。
彼の視線は、ボクの方に釘付けになっていて、ヘビに睨まれたカエルみたいに動けなかった。
せめて、ピエロ然とした笑顔をとっさに浮かべたのは、よかったけど。
よかったのか?
さっきのアカネのようにそれが嫌いな人だったらどうしよう……?
背中のあたりが「ヅン」と突かれた。
「うひいっ」
「そんなに飛び上がって、それは芸ですか?」
ううん、オーメンの体当たりだなあ!
背中に潜り込んでいたオーメン、まさかの、尖ったネコミミ風の部分でダイレクトアタック。痛くてヒリヒリする。
けれどこのひょうきんなリアクションを利用するしかない。
ピエロの得意技。おかしなしぐさ。ボクだって何回も練習していた。
よっ、と片足を上げて静止。
ほっ、と腕を回して変なポーズで静止。
ニコッ!
「はははは」
ぱちぱちぱち、と大人は手を叩いて拍手をしてくれている。
なんだか時間が止まったかのようだった。
拍手?
ボクへの……!
思い返されるのは、薄暗い倉庫で芸の練習をしていた小さな姿。
先っぽがボロボロになったホウキをステッキに見立てて、木箱や資材袋だけを観客にして、掃除の合間に芸をしてみせていた。
少し前までボクは、どれだけ出番に恵まれなかろうと、能力が伴わなかろうと、本当に、スポットライトを浴びて芸をしてみたかったから……それが夢だったから。
昔の夢にちょっとだけかすった。
だから、体が勝手に感動してしまったんだ。
努力をしていたことが報われるということ、それは、人の涙腺を刺激するんだね……。
泣かない。
ピエロは泣いたふりをするだけだ。
この大人はやっぱり怖いし、ボクは無邪気に喜べるほどココロが子供じゃあない。
頭を後ろに引きつつ勢いよく振って、帽子のとんがり部分を、べちっと頭に当てる。
痛がって飛び上がるリアクションからの、当たったところを押さえて悲しそうな表情。
おかしなピエロの芸を再開する。
「えーんえーん」
「おやおや」
「大人」は気まぐれにも付き合ってくれるらしい……。
彼は、おどけたような仕草をみせて、大きく後退。
この人、ピエロの呼吸の仕方をよくわかっている!
何者なんだろう!?
彼が遠ざかったことで、ボクはひっそりと肩の力を抜いた。
そのとたん大人は、長い足をグンと伸ばして、起きあがりこぼしみたいに急激にボクに近寄った。
もはやゼロ距離。
ひいいっ。
「坊や。オカシは如何?」
オカシ?
昔のボクなら飛びついていただろう。
普通のピエロだってそうする。
この人、取引の順番をよく理解している。
このサーカス団で大人気の高級品「オカシ」、まあ「お菓子」なんだけど。
子どもって甘いお菓子が大好きだよね。けれどなかなか手に入らない。そして渇望する。
オカシはわらわらと「大人」のポケットから出てくる。
彼は、指の間に挟むようにして、キャンディ、チョコレートバー、マシュマロ、クッキーを見せつけた。個包装のラッピングもすごく好奇心をそそる見た目だ。子どもたちが自分のお金ではとても買えないような高級品ばかり。
「もらっていいのぉ!?」
(リュウ!?)
(このオカシに飛び付かないほうが不自然だ)
ピエロらしさと、子どもらしさを、ちょうどよく合わせた演技。
(恐ろしい子!)
(必死だもん)
「ぜーんぶちょうだぁい!」
まとめて服のポケットに入れてくれた。
ほ、ほんとうにくれるんだ。お腹がきゅうっと鳴る。
よく膨らんだ甘ったるいポケットに手を添えて、満足に見えるようにお腹を突き出した。鼻の穴を膨らませて得意げな顔をする。
そこで観客に笑ってもらうのが上級ピエロなんだけどさ……。
ボクの場合は「可愛い~」と言われてしまってお客様はおろかピエロ仲間も笑ってくれないので、落ちこぼれ、なんです。おどけたしぐさと可愛いタイプの容姿が合いすぎちゃって、ボクはピエロに向いていないらしい。
(けっこう自己評価高めだよなあ)
(ここで謙虚にしてても誰も慰めてくれないもの。みんな自分のアピールポイントを必死に考えているんだ)
「ここでオカシを食べてくれないのですか?」
「おお、お腹が痛くてええぇ」
食べさせようとしてる?
緊張しすぎでお腹が痛いのは本当だ。ペラペラの腹筋に力を込めている。
「ここで食べないというのかい……」
「しょんぼりしちゃってる! それを見過ごすのは! ピエロとしてダメだね!」
演技をするしかない、か。
とてもたくさん食べるフリ、という芸をアドリブでやる。
この大人がボクの芸に合わせたい人ならば、この方針に乗っかってくれるはずだ。
ほらね!
ボクは食べるふりをして、首元からお腹のあたりにオカシを入れる。
上着のすそはズボンに入れておく。すると、まるでフトッチョのようにふくらむ。
背中は見せないようにする。
オーメンが万が一にも見つからないように。
彼は、どんどんとさらにオカシをくれた。
そしてとうとう背中にまでオカシがまわっていったので、オーメンが隠れることもできると思い、切り上げることを決める。
「またね!」
ぶんぶんと手を振って、終わりの一言。
お腹のあたりに手を添えて、ちょこんと礼。
これでピエロのショーは終わりのはずだって、サーカス団員なら理解するはずだ。
終わりなのにまだ目立ちたくて踊って、ライオンにかぶりつかれた団員を見たことがある。終わりに礼を忘れてしまい、幹部の操り人形の魔法で礼をさせられたその子は、ずっと人形になっている。終わるのが早ければ、舞台袖から蹴っ飛ばされて再開だ。
終わるのが、早かったら──。
ここには時間を測る時計もアナウンスもないけれど。
終わりどころで、観客は満足してくれているだろうか。
ボクの額にいやな汗がにじむ。
どうかこのまま見逃してほしい。
おねがい!
ぐーーー、と「大人」のおなかが鳴った。
とっさにボクは、ケラケラと大笑いする仕草。
いただいたオカシをいくつか選んで、ニコリと渡す。
「あげたことはあっても、もらったことは初めてです」
そうなんだ。
大人の声はやたらと感情がこもっていて、ボクは動揺する。
本当に初めてなのかも。受け取ろうとする彼の手がやたらと震えていてリアルだった。
ボクがオカシを受け取った時と似た喜ぶリアクションをする。
「なにか願いはありませんか」
「願い?」
虚空を見て、んーー?って考えるふりをしながら、動揺している。
だって、これ、サーカスのスーパースターになりたい、って言うべきところじゃん!
けれど、絶対に言いたくないじゃん!
約束してはいけないから!
ボクは精一杯のほかの”本心”を探す。
きっとこの人には嘘は気づかれる。
そんな真剣さがあったから。
「”お客様が幸せになりますように”」
「……!」
どうだろう。
こればかりは、今でもボクの本音だ。
お客様は大人のあなた。
初めて拍手とオカシをもらったのはボクは、サーカススターを目指さない今であっても、ココロが嬉しいと感じてしまった。この嬉しさのぶん、どうかあなたが幸せになってほしい。
しぃぃぃん、と不思議な沈黙があった。
沈黙があると、騒ぎ始めたいというピエロの衝動にかられる。
がまんだ。
今度こそ、終わらせなくてはならない。
ボクは胸の前で手を組んだお祈りポーズのまま、小首を傾げて「大人」の反応を待つ。
予想外の衝撃。
背中がひっぱられるようにして、ボクは後ろに急激に後退し始めた。
(オーメンーーーーー!?)
(そろそろやばい。だってあれ”団長”だぜ!?)




