10:井戸の道
”下に行く道”は、ナギサの地図に書き込まれている。
井戸以外にもね。
土管、マンホールの蓋、踏み抜かれたフローリングの穴、無造作に置かれた木箱…………
これらはいわゆる「一つ下の階」に行けるもの。
そして大アタリは「最下層にまで一気に下ることができる」らしい。
しかし……なるほどね……!
ナギサがレア品の赤鉛筆で、井戸の絵のそばに「使用禁止」って注意書きをしているわけだだだだだ……!
「おーーちーーるううううう」
「俺様を離さないで! 絶対に離さないで!」
「……!(なんでポケットからちょっと出てるわけ!?)」
「見たかったんだ! 井戸の中ってどんなのかなって見てみたかったんだ!」
「わきまえて!」
「ごめんなさい」
まったくもう!
井戸って、綱を持ってゆっくりと降りていけばいいと思っていた。
水を汲むための滑車に綱がかけられているもんだから、それを降りるロープにすればいいじゃない。ボクら以外にもこれを使う人はいたはずだから、降りられない道理はないだろうと。
で。
今。
落ちるとは。
そーいや、ステージで見たように翼があるピエロとかもいるよね。
うっかりしてた。
焦ると碌なことにならないな。
オーメンを落とさないように、服の中に押し込んだ。ピエロの服は大きなポケットがあってよかった!──まさかの好奇心でこのざまだけど。もう!
綱に手を触れたとたん、このように落下現象が始まり、明らかにトラップのようだった。
[魔法がかけられている道具がある]とはウワサに聞いたことがあったけれど、ボクが生活しているエリアにはこんなものなかったから、まさか、って油断した。
重要なところだからこそ魔法がかけられているのではないか?
そうであってくれ!
こんなに危ない目にあってるし!
ちょっとくらいいいことがないと、って公平さをサーカスに要求するのはおかしいんだけどさ〜!
「リュウ~。あ、あのね。ちょっと外の景色が見たくてだな。もしかするとさ」
「怒るよオーメン!」
あー、綱は爆速でオーメンが好奇心旺盛よりも、綱がゆっくりでオーメンもおとなしい組み合わせの方がよかったな。
無い物ねだりをしてもしょうがないから、手のひらに力を込めて、さらに握る。
オーメンが「挟まってる痛い割れるぅ!」って言ってるけどそれを口実に覗こうとしてそうだから、スルー。
落ちながら、目が慣れてきた。
井戸の内壁は、ザラザラとした緑のレンガ。苔むしているような独特のにおい。
コレに肌が触れないことをひたすら祈るばかりだ。確実にすりおろされてしまう。ゾッとする。
「幹部も使ってるだろうに、もっといい設備にすればいいのにぃぃぃ」
「ハッ。俺様分かっちまったぜ、つまりはこれはハズレなのでは」
「んなわけあるか、大アタリって信じてるからね!」
さっき、トラウマの克服瞑想しておいてよかったな。
そうじゃなくちゃ"落っこちるの"怖くてたまんないや。
「床ちかそう、なんかないの? 便利グッズないの?」
「なーーーーーい」
「アウチーーー!」
「綱消えちゃった」
「ウーーーーワッ」
さあ、ボクが、生きるか死ぬかはここでは運のみです。
ボフッ。
クッションが大量に置かれていて、そこに埋もれることで生きていた。
四方が100センチはありそうな巨大なクッションは、フェルトのような柔らかい素材。ところどころがパッチワークのように柄布で繕われていて、経営の財政難とともに、あの速度からくるダメージを想像させられる。叩きつけられていたら今ごろペシャンコだな。
クッションのほつれ糸が取れてしまっていて、ひらひら……と鶏の羽のようなものが舞った。
「──はっ、放心している場合じゃない。この縫製直して取り繕うのと、爆速で逃げるの、どっちがいいかな!?」
「俺様に頼っていいのその判断!? じゃあ縫っておこう。この底辺層に人はそうそう来ないだろうから痕跡を消そう」
ボクは小さな裁縫セットを出し、縫ってゆく。
とても早い。ナギサにやり方を教えてもらったんだ。
直し、完了。
ちなみにこれは、お金がなくて新品の服を買えないピエロの必須スキルです。
「ステンドグラスだ。目が眩むくらいまばゆいね……」
「だなー。裏方の暗さでなく、ステージのギラギラでもなく」
「やわらかい自然光が窓から、入りこんでいる? どうなんだろう? サーカスの外ってどうなっているんだろう」
「今知りたいかい」
「ううん。後にしておく」
なんとなく泣きたくなるような光だった。
けれど、泣かない。
そんな時じゃない。
(この冷静さを俺様は選んだんだよ)
「とか、考えているらしいね。ボクが冷静かって言われたら、頭でっかちなんだよって返事をしようかな」
「リュウ、プライバシーって知ってる?」
「今欲しいのかい」
「いやー、後にしておきまーす」
ダイヤ型が連なったようなハーリキンチェックの床が広がっている。
「サーカステントの面積ってこんなに広かったんだね。まるで一つの街くらいだよ」
上部の来客場と生活場は細かくカーテンで区切られている。
"全体"がどれくらい大きいかなんて、誰も知らないんじゃないかな。
サーカス会場の要である大黒柱が一定間隔でドン・ドン・ドンとそびえている。
ただの無骨な木の棒じゃなくて、宮殿みたいに装飾が施されているのが不思議だった。
この最下層だけが異質に優美だ……。
ナギサの地図を開く。
柱の配置は、おおよそ一致。
ここは間違いなくサーカスの舞台の下のようだ。
「ハズレかもしれない」
オーメンはポツリと言う。
ボクが文句を言う前に、たずね返す。
「できるだけ下まで行けるようにって危険な井戸を選んで、ここは最下層なんじゃないの。どうしてなのか教えてくれないと、ボクは納得できない」
「アタリなら、子供を攫うゲート・団長の宝物金庫・リュウが魔法をコピーできる”人材”のどれか。それらは、ここにありそうかい?」
「ないね」
ここがハズレだと思えるなら、早く移動した方がいい。
失望とともに、涙がひとつこぼれ落ちる。
ボクはけして強いわけでなく、弱いから医務室送りにもなりオーメンの助言に頼りながら歩いている。この最下層にくるのだって頑張っていたんだ。だから、結果に結びつかなくって悲しい。
これからの道が怖い。痛いのも嫌だ。
けれど、何食わぬ顔をしてまた愚か者に戻ることができないから──再起するしかないだけなんだ。
愚か者に戻ってしまうわけじゃない。
ボクそのものでない、ピエロの仮面を被ろう。
すこしだけ勇気が出る。
「ニッコリ」「まだできる」「ピンチはチャンス」「笑ってゆける」ボクがボクを超えるために、立ち上がって──。
振り返った。
「オーメン」
こんなに大きくなかったよね。
こんなに黒くなかったよね。
こんなに怖くなかった。
しまった。
「迷子ですか?」
気配も存在感も匂いもない、でも長身で豪華な服を着たまぎれもない「大人」が、ボクを、すぐそばで見下ろしていた。




