8. 押すな押すな
「私は数多の国に立ち寄り、そしてその国々が誇る美女たちを目にしてきたが」
その声は決して大きなものではなかったけれど、広間にいるすべての人の耳に届いたのではないかと思う。
先ほどの国王陛下のご挨拶よりもよっぽど。
「まさかその方々を上回る美をお持ちの女性がいたとは」
「まあ、そんな光栄なお言葉をいただけるなんて夢のようにございます」
「あなたに出会えたこの幸運を、神に感謝したい」
そして胸に手を当て、目を閉じた。本当に祈りでも捧げているんだろうか。
ここは劇場かなんかの舞台の上ですか。
そんな感想を抱きたくなるような、やけに芝居めいたやりとりだった。
おまけに場を盛り上げるかのように、重厚な音楽が広間に流れている。
本当に演劇の一幕のように感じられる、劇的な二人の出会いだった。
「美しい人、あなたの名をその魅惑的な唇で私にお教えください。そしてあなたの瞳に囚われて動けないこの愚かな男に、どうかその名を呼ぶことをお許しください」
けれど、なんか背中が痒くなってきた。
自分が言われたら噴き出す自信がある。
けれどお姉さまは潤んだ瞳で応えた。
「殿下のお耳を汚す無礼をお許しください。わたくしは、アマーリアと申します」
「ああ、その姿にふさわしい美しい名だ。どうか私の唇がその名を紡ぐことを許していただきたい」
「まあ殿下。そのような喜びをわたくしに与えてくださるのですか」
「では許してくださるのですね、アマーリア」
「殿下……」
そうして二人は見つめ合う。まるで世界には二人しかいないかのように。
えーと、そろそろ誰か許してやってください。
許すだ許さないだ、いいかげんくどい。どうやら本人たちはそれでいいらしいけれど。
なんだこれ。
なにが起こっているのでしょうか。
私は慌てて周りを見渡した。誰もが二人の様子を呆然として眺めていた。
私にはわかった。
そう。
その場にいた全員が察したのだ。
これ、世紀の大恋愛とかに発展するやつだ……!
私は慌てて玉座のほうに目を向ける。
国王陛下も王妃殿下も、そしてこちらに向かって来ていた第三王子殿下も、もちろんこの様子を呆然と眺めていた。
三人ともが、ぽかんと口を開けている様は、とてもこの国の頂点に立つ方々とは思えません。
どうする?
その女性が実は、今夜の主役、我が国の第三王子の婚約者なんですよ、とか誰が言う?
どうする? どうする?
婚約についての関係者と思われる人々が、少しだけ正気に戻った頭で、いろいろと考えを巡らせているのが見て取れた。
私もかなり、正気に戻ってきた。背中に冷汗が流れる。
今こそ心から願おう。お姉さまの王子との婚約話が実は本当に嘘だったって。私たちは騙されてたんだって。
でも、幾人もの動揺した顔を見た今では確信できる。
やっぱり本当にお姉さまは婚約者に選ばれてたんだって。
そんな私たちの動揺には気付かない様子で、彼らの二人だけの公演は未だ続いていた。
「アマーリア、私の名はウィルフレドというのです。どうか」
しかし皆まで言わせず、お姉さまはふるふると首を横に振った。
「殿下。わたくしは……」
お姉さまが悲しげな表情をして、キルシー王子から目をそらしている。
それを見た王子は、殊更に驚いたように目を見開いた。
「どうしたのですか、アマーリア」
まずいまずいまずいまずい。
「わたくしは殿下のその手をとることはできません」
「なぜ。私はあなたのためなら世界のすべてを敵に回しても構わないというのに」
ひい! なんてことを言うんだ、この王子!
まさか本当に戦に発展するなんてことはないとは思う。思うけれど。
けれど友好国の王子相手に波風を立てたくないのも事実。
なんとかしなければ。なんとか。
そして関係者全員が同じことを思いついたのか、同時にうなずいた。
皆で顔を見合わせて、更にうなずきあっている。
今なら間に合う。彼らの目はそう言っていた。
たぶん私も、同じことを思いついた。
そして彼らの視線が私に集中していることを、ひしひしと感じる。
でも、そんなこと、あってもいいんですか!
「プリシラ」
背後から、ぬっと現れたお父さまが、密やかな声で私を呼ぶ。
そして、ドンッと背中を押した。
「行け!」
「そんな気してた!」
私は押し出されて、一歩を踏み出した。
それを見た関係者たちがまたしても同時にうなずいたので、どうやらこれが正解らしい。
もう、どうなっても知らないからね! 私はまったく悪くない!