73. 尻尾を振ります
その間に、私たち三人も崖を降りる。
梯子を、と思ったら、私の後からお姉さまも崖を伝って降りてきていた。いつの間にそんなことができるようになったんだろう。
ベルナルディノ殿下は両手を腰に当て、レオさまを覗き込むようにして、強い口調で言った。
「まあ、大体のところはわかるが。なにをしでかしているんだ、レオ」
「すみません……」
レオさまはしょんぼりと肩を落とした。主人の前でキューン……としょぼくれている犬みたいだ。
洞窟から出てきたウィルフレド殿下が慌てて二人の傍に駆け寄り、そして膝を折った。
「ベルナルディノ王太子殿下、すべては私の咎です。どうか、責めはこちらに」
そう言って頭を下げる。後から追いついて来たお姉さまも、その隣に膝をついて低頭した。
ベルナルディノ殿下はそちらに身体を向き直すと、口を開く。
「さて、ウィルフレド王子殿下。揉め事を我が国に持ち込まれては困りますね」
「返す言葉もございません」
「このあと、事情をお伺いすることになります」
「いかようにも」
「とはいえ、そちらのアマーリア嬢はまだ我が国の民でもあるし、キルシーの今の王太子である第三王子殿下からも保護の要請を受けている。あなたとは、話し合いで片をつけたいとは思っていますよ」
そう言って、にっこりと笑った。
あっ、これ、慰謝料をたんまり貰うつもりだ。
セイラスの国庫が潤うなあ。
ベルナルディノ殿下は二人に立つように促したあと、私のほうに振り向いて、ニッと笑った。
私は慌てて淑女の礼を取る。
「此度は、わたくしの姉のためにレオカディオ殿下に尽力していただきまして、感謝の念に堪えません。わたくしの無理なお願いを聞き届けていただいたのです」
レオさまが怒られることになったのは、私がそうお願いした、というのも一因だと思う。
「ですから、レオカディオ殿下は悪くありません。わたくしの責任にございます」
「まあ、こんなに愛らしい婚約者のためならば男を見せようとしても致し方ありません。罪があるというのなら、あなたのその愛らしさにありますね」
そう言って私の手を取り、唇を寄せた。
あっ、私には優しい。一生ついていこう。私に尻尾があったならブンブン振らせていただきます。
「結果的には良いほうに転がったのでね、罰があるとかそういうことはありませんよ。ご安心を」
王太子殿下はそう言って微笑む。
私はマルシアルが消えて行った方角を見ながら言った。
「あの、マルシアル殿下を捕まえてどうなさるんですか」
「いや、このまま国外に出ればなにもしませんよ」
「えっ」
放っておいて大丈夫なのかな。それとも言いはしないけど、秘密裏に埋めちゃうのかな。
「国境付近には、キルシーの今の王太子が兵を待たせているそうですよ。キルシーで捕まったほうが酷い目に遭うだろうから、放っておいたほうがいい。わざわざセイラス王家の手を汚すこともない」
ベルナルディノ殿下はそう穏やかな声で言うけれど。
キルシーで捕まったほうが酷い目に遭う。
うーん、やっぱり埋められそうですね。
◇
その頃から続々と衛兵が到着し始めた。レオさまが連れていた衛兵と、遅れてやってきたベルナルディノ殿下の衛兵が集まってきて、静かな森がざわざわと賑やかだ。
ベルナルディノ殿下は事情を聞こうとレオさまのほうに行ったので、私はウィルフレド殿下とお姉さまの傍に小走りで駆け寄る。
「なんか、片付いちゃいましたね」
「ああ、プリシラ嬢もありがとう。プリシラ嬢がいなければ、どうなっていたことか」
「ありがとう、プリシラ。本当に感謝しているわ」
二人にそうお礼を言われたけれど、どうも自分がなにかした気がしない。
そもそも、どうしてこうなったのかもわからない。
「あの、マルシアル殿下が廃太子って、なんでそんなことに?」
悪行が知れ渡ったとか、そういうことなのかな。まああの人、もう正気じゃなかったっぽいし、あの人がいずれキルシー王になるのかと思うと、ゾッとはします。
ウィルフレド殿下は小首を傾げて返してきた。
「あれ、知らなかったか。知っている風だったから、それを待っているのかと思っていた」
あれか、半月後がどうの、というあれか。
知っている振りしてました、すみません。
「レオさまはわかっていて動いたと思いますけど」
「うん」
ウィルフレド殿下は一つうなずくと、私に説明してくれた。
「こちらに来る前に、第三王子のところに寄った」
「言ってましたね」
お姉さまを着替えさせたかったけれど時間がなかったとか、これ以上は無理だと言われて追い出されたとかなんとか。
「そのとき、そそのかしておいたんだ。金庫の鍵を一つと、第三王子側に付きそうな貴族の名前を書いたものを置いて」
なんと。いつの間に。
「私は継承権を放棄しているから、中立の立場なんだ。だからそういう情報が入ってくる。誰と誰が反目しているか、かなり正確に把握しているよ。揉めたくもないし利益はないから口外はしなかったが、ここにきて役に立った」
「なるほど」
「時間がなかったから慌てて鍵と紙を置いてきただけだったから、本当に第三王子が動いてくれるか賭けだったが、王太子位を欲しがっていたからな、動くんじゃないかとは思っていたんだ」
欲しければ奪えばいい。
目の前に餌をぶら下げて、そうそそのかしたんだ。
「ちょっと気弱なところもあるし、資金力のある貴族の後ろ盾が足りないからどうかとも思っていたんだが、動いてくれてよかった」
そう言って胸を撫で下ろしている。
それで金庫の鍵を一つ、か。ウィルフレド殿下は豊潤な領地を持っているって言っていたし、王太子位簒奪のための資金を渡したんだ。
そしてきっと、今後も援助して王家の中で地位を確立するつもりなんだ。保護を要請されているってベルナルディノ殿下が言っていたもんね。
これから、セイラス王家にも慰謝料を払わないといけないっぽいし。
どんどん貧乏になっちゃいますね。
というか。
いやいや、これ、わかる? レオさまはともかく、クロエさんはなんでわかったの?
クロエさんだって私と一緒で、半月、というのとキルシーの第三王子のところに寄ってきた、ってことしか聞いてなかったですよね? なのにあの場で即座に理解してましたよね? 今のキルシー国内の状況とか、しっかり把握して予測したってことですよね?
うーん。あの人、本当に侍女なんだろうか。




