71. 必ず守る
少しすると痺れを切らしたのか、また王太子の声が響いてきた。
「レオカディオ、交渉しようじゃないか!」
洞窟の中は、静かだった。一応は聞いてみようということだろう。
「お前が俺の弟とその女を匿ったことは不問にしてやる! だから二人を黙って差し出せ!」
王太子に見えてはいないのに、レオさまはふるふると首を横に振った。
ウィルフレド殿下とお姉さまは、「いざとなれば」という表情をしているから、二人に対して見せたものかもしれない。
「それで終わるわけがない」
レオさまがため息交じりにそう漏らす。
「そうですね。あの人、なんだかもう正気じゃない感じしましたし」
私がそう言うと、レオさまはこちらに振り向いた。少し顔色が悪くなっている。
「さっき追いかけっこしたって……それがわかるほど近付いたのか」
「え? はい」
私はこくりとうなずく。
あのときのことを思い出すと、ぶわっと鳥肌が立った気がして、私は自分を抱えるように腕を身体の前で交差させると、二の腕を擦った。
「最初から、ジロジロ舐め回すような視線で、変な感じで」
するとレオさまは、膝を立てて腰を浮かせた。
「よし、埋めよう」
二回目ですね。決意を固めたんですか。
「いずれにせよ、生かしておいてロクなことはない」
いいのかなあ。相手は一応、他国の王太子ですよ。
本当に山に埋めちゃうつもりなのかなあ。いや、やるというなら止めないほうがいいかもしれない。その場合は、お手伝いもちゃんとします。
「蒼玉泥棒に容赦はしない」
低い声で、そう言う。そして腰の剣に手を当て、鞘をぐっと握ると、そろそろと洞窟の入り口に向かう。私も慌ててそのあとをついて行った。
そもそもあの悪党二人はともかく、王太子は蒼玉を盗もうとはしていないのに、蒼玉泥棒って。混乱してたらどうしよう。
私はその横顔にぼそぼそと話し掛ける。
「埋めちゃって大丈夫ですか」
「いや、それは冗談だ」
そうなんだ。まったく冗談に聞こえなかったんですけど。
「けれどこうして待っていても埒が明かない。機会があれば気を失わせるくらいのことはしたいんだが」
「あの、無理なさらないで」
まさかとは思いますが、あの悪党二人にしたように、やっつけちゃうつもりですか。危ないので止めたほうがいいと思います。あの人、なんかもう破れかぶれって感じになってますし。
レオさまはぱっとこちらに振り向くと、じっと私を見つめる。
そして、口を開いた。
「今度こそ」
「はい?」
「必ず守る。私の、蒼玉」
「……え」
私はそれを聞いて動けなくなってしまう。
レオさまの翠玉色の瞳があのときと同じように、私を射抜く。
あのとき。酔っ払って寝てしまう直前。あのときにしか言われていない言葉。
記憶がないって言っていたのに。
もしかして、覚えていた? それとも思い出した?
私もレオさまを見返した。どこまでも真摯な瞳に吸い込まれそうな感覚に襲われる。
私は思う。
レオさまは、とても、綺麗だ。
私がそうして呆然としている隙に飛び降りるんじゃないかと思ったレオさまは、けれどぴたりと動きを止めた。
そして、バッと身を伏せて、耳を洞窟の床につける。
「……蹄の音がする」
レオさまがぼそりと言った。
「え?」
言われて私は現実に引き戻された。そして耳を澄ませる。あっ本当だ、聞こえる。二、三頭といったところか。
「王城からの援軍が来た。しめた。マルシアルを捕縛して聴取している間に、ウィルとアマーリア嬢に移動してもらえば、匿っていた証拠が消える」
「いや、援軍とは限りませんよ」
むしろ敵の可能性がありますよ。応援を呼んでいたかもしれないって話があったじゃないですか。
けれどレオさまはガバッと身を起こした。入り口付近だから、身を起こしたらマルシアルにも見える。
「ちょっ……」
本当に敵だったらどうするんですか! 何人かに洞窟になだれ込まれたら、さすがに四人では太刀打ちできませんよ!
私は慌ててレオさまの袖を引っ張る。けれどレオさまはそれを意に介さない。
「いや、援軍だ。あの音は、ディノ兄上の馬だ」
……はい?
言われて私はレオさまが視線を向けているほうに顔を向ける。
いや、ベルナルディノ王太子殿下自らが来るなんてほうが考えにくい。
追い詰められて幻覚でも見て幻聴でも聞いているのでは、と心配になってきた。
「兄上ー!」
突如レオさまが大声を上げて、大きく手を振る。当然、王太子もこちらを振り向いた。
なにしてくれてるんですか! 洞窟が見つかっちゃいましたよ!
しかし駆け足でやってきている馬に乗った誰かがこちらに応えた。
「レオ!」
その声に、私もガバッと身体を起こす。
嘘だ。
私は呆然とその人の姿を見つめる。森の木々の間をすり抜けて、とんでもなく早く馬を走らせてやってくるその人。
レオさまの呼び掛けに応えて笑顔で手を振り返してきたその人は、間違いなく。
ベルナルディノ王太子殿下だった。
「だろう?」
レオさまは満面の笑みでこちらに振り向くと、そう同意を求めてくる。
「あっ、はい」
怖っ! 逆に怖い! レオさまが怖い! あんな距離から兄君の愛馬の足音を聞き分けた!




