68. 泣きません
「ええっ?」
頭上から声がしたような気がしたけれど、私は振り返らなかった。
その直後、王太子の声が追ってくる。
「見つけたぞ! 手間を掛けさせやがって!」
まさか洞窟が見つかった? 私は慌てて振り返る。
けれど王太子は上は見ていない。傷が痛むのか胸の辺りを押さえながら、まっすぐに私を見ていた。そのことに安堵の息を吐く。
なんて醜い人なんだろう。たとえ顔がウィルフレド殿下とそっくり同じでも、きっとあの人は醜い。
レオさまは綺麗だ、とても。それは姿形だけでなく、心根も綺麗だからだ、とそんな風に思えた。
私は風を切って走りながら、レオさまとのことを思い出していた。無駄にキラキラしながら言っていたっけ。
『邪魔なものを切り捨てていくだなんて、そんな生き方はしたくないんだ』
本当? 私のこと、切り捨てない?
『その場合は、私が守るよ』
本当? 守ってくれる?
『私はまだ諦めていない。だから、泣くな』
はい。泣きません。
私はぐいっと目元を拭い、前を向く。
さっきまでのんびりと草を食んでいた私の馬は、きっとまだ走れる。明日にでも遠乗りに行くつもりだったから、ちょうどよかったのかもしれない。それに全力を出せば、ある程度は振り切れるかも。
きっとレオさまが衛兵を連れてきてくれる。
もしかしたらセイラス王城からの支援もきてくれるかも。
もうすぐ半月になる。でも半月も要らなかったってレオさまが言ってた。未だになにが半月なのかわからないけれど、きっと何ごとかが起こるんだ。
だから私は走り続けよう。
「待てー!」
だから、待てと言われて待つバカはいません。
私は森の中、木の陰に隠れたり、走り出したりと、王太子を撒くためにいろんな技術を駆使した。いつも授業から逃げていたので、かくれんぼは得意なんです。
木陰に潜んで、「くそっ、なんだあの女!」と吐き棄てるのも聞いたりした。すぐそばに馬といるのに気付かないなんて、頭に血が上っているのか、探し方が雑なんですよ。
でも、走り続けるとは決めたけれど、やっぱり揺らぐ。心臓がうるさいのは変わらない。
怖い。あの人、怖い。こんなに怖い人は初めてだ。
そうだ。お姉さまだけじゃない。私も今までずっと守られていた。
家族に、領民に、この土地に守られていた。
私が好き勝手にこの領地をフラフラと出歩けていたのは、守られていたからだ。
そういえば私が洞窟を紹介したとき、レオさまがうろたえていたっけ。崖を登れるのかどうか心配したのかなと思っていたけれど、あれは私がワンピースの裾を縛って足を見せたからだ。
本当に私、はしたないなあ。とても淑女とは言えないや。あのときもレオさまが、ウィルフレド殿下に見えないようにと、守ってくれていたんだなあ。
またじんわりと涙が浮かんでくる。私は袖でそれを拭った。
泣いたら、視界が滲む。ちゃんと前を見なきゃ。
「プリシラ!」
そうして走っていると、声がした。お姉さまの声だ。
木々の間から洞窟のほうを見てみると、身を乗り出して、お姉さまが大きく手前に空気を掻くように手を振っている。
あああ。そんなに乗り出したら、見つかっちゃいますよ!
けれど構わず、お姉さまは手を動かし続ける。
「プリシラ嬢!」
ウィルフレド殿下まで顔を覗かせて大きく手を振り、私を呼んでいる。
王太子が私を追いかけていることに気付いていないはずはない。
そんな風にしたら、見つかっちゃうのに。
いや、見つかろうとしているのだ。私が捕まるくらいならと、あの二人は見つかってもいいと、そう言っているのだ。
「早く!」
だから見つからないうちに、来いということなのだ。
でも今の声で、王太子は場所の当たりを付けたはずだ。
けれど洞窟に入りさえすれば。
あそこは見えない。
だって一度も見つかったことないんだもの!
馬首を洞窟に向ける。
今は王太子は私のことを完全に見失っている。
今ならいける。
私は洞窟に向かって一直線に馬を走らせる。
そして洞窟前で手綱を引いて足を止めさせ、飛び降りた。
「叩け!」
ウィルフレド殿下に言われて反射的に、馬のお尻を叩く。
一声嘶いて、馬は走り去っていった。
後で迎えに行くからね!
私は崖に手を掛け、よじ登る。自己最速。何度も登ったもの、無駄なんて一つもない。
私が洞窟の入り口に手を掛けた途端、ウィルフレド殿下とお姉さまはそれぞれが私の腕を掴んでそのまま引っ張り上げる。私も崖肌を蹴って、洞窟の中に飛び込んだ。
三人で転がるように洞窟内にドサッと倒れ込む。
「……間に合った」
はあー、と大きく息を吐く声が、する。
その直後、外から大声が響いて来た。
「待てー!」
何度でも言いますが、待てと言われて待つバカはいません。
あと、あなたが追っているのは、誰も乗っていない私の馬です。
大人しい子なだけに臆病だから、追ったらさらに逃げますよ。




