61. 謝るな
沈黙がその場を支配して、息をするのも苦しい。
その沈黙を破ったのは、レオさまのため息交じりの声だった。
「まあ、こうなっては特に秘密にすることでもない。それどころではない事態になったしな」
「すみません……」
私はレオさまのほうに向き直って、頭を下げた。顔を上げられない。
レオさま、きっと呆れた。怖くてレオさまのほうを見られない。
こんな女が婚約者だなんて、本当に申し訳ないです……。
「いや、いい。いつまでも秘密にするなんて、そのほうが無理があったのかもしれない」
「いえそんな……」
先ほどまで熱くなっていただけに、身体が冷えて凍ってしまうんじゃないのかってくらい、寒くて固まってしまっている。
それでもなんとかゆっくりと視線を上げると、蒼白な顔色で空を見つめたままのお姉さまが目に入った。
ウィルフレド殿下は確認するように、何度も何度も順番に、私たち三人に視線を動かしている。
しばらくしてすべてを理解したのか、一つ息を吐いて、レオさまに向かって口を開いた。
「レオ」
「謝るな」
けれど皆まで言わせず、レオさまはウィルフレド殿下とは視線を合わせないままそう言う。
「絶対に、謝るな」
「しかし」
「これはセイラス王家が決定したことだし、むしろ欺こうとしたのはこちらだ」
そこでやっとレオさまはウィルフレド殿下のほうに向き直った。
「ここまで、黙っていて申し訳なかった」
「いや」
ウィルフレド殿下は一度首を横に振ると、今度はお姉さまの傍に行き、そしてその肩に触れた。その途端、お姉さまの身体がびくりと震える。
「アマーリア」
「ウィルフレドさま……」
恐る恐るといった視線を、お姉さまは彼に向ける。するとウィルフレド殿下は肩を抱いたまま、私たちと距離を取るためか、お姉さまを端のほうにうながした。
その耳元で、ささやく。
「今まで、黙っていてつらかっただろう」
その声を聞いたお姉さまの琥珀色の瞳に、涙が滲んでくる。
「いいえ、いいえ」
ぶんぶんと首を横に振るお姉さまに、ウィルフレド殿下はさらに言った。
「私たちは共犯だ。これからは一緒に抱えられる」
そして抱き寄せた。
「初めてのわがままが私のことで、嬉しいよ」
微笑みとともに言われたその言葉で、お姉さまの堪えきれない涙が零れ落ちた。
ウィルフレド殿下の胸に顔を埋め、そして顔を上げたときには、お姉さまは少し憑き物が落ちたような、そんな表情をしていた。
お姉さまは身体ごとレオさまのほうに向き直ると、頭を下げる。
「レオカディオ殿下」
「さっきも言ったが」
レオさまはまたしても言葉を遮り、言った。
「この件に関しては、決して謝罪しないでほしい」
「でも」
「謝罪されたくないんだ」
そう言って、レオさまはお姉さまに向かって柔らかく微笑んだ。
するとお姉さまは戸惑っていたようだったけれど、しばらくして納得したかのように、こくりとうなずく。
秘密にして騙そうとしていたからだろうか。だから謝られたくないのだろうか。
でも、レオさまが一番、割を食ったのではないだろうか。
「あの、レオさま」
ウィルフレド殿下もお姉さまも謝ってはいけないのなら、私が謝ろう。こんな女が婚約者になっちゃって申し訳ないし。
するとレオさまはこちらに振り向くと言った。
「そうだな、プリシラは何度でも謝れ」
謝ろうとは思っていたけれど、そう言われると、ちょっとイラッとします。
「なんで私だけ」
「ペラペラしゃべったからだろう」
そうでした。
「申し訳ありませんでした」
「よし」
そう言って一つうなずくと、レオさまは言った。
「これで、この件は終わりだ。いいな」
「はい」
レオさまがそう言うのなら。
おかげで、冷え切った空気が満ちていたような洞窟が、少し柔らかな雰囲気をまとった。
レオさまは大きいな。
私なんてイライラを溜め込んで、爆発してしまったのに。
「あの、レオさま。ありがとう」
ございます、と言いかけた私に、レオさまは突如鋭い視線を向けてきた。
「しっ」
レオさまが自分の口元に、立てた人差し指を当てる。
そしてゆっくりと洞窟の外に、視線を向けた。
◇
私たちは洞窟の入り口付近まで、そろそろと四つん這いになって進む。
お姉さまだけはウィルフレド殿下に止められて、奥にとどまっていた。
三人揃ってそうっと入り口から下を覗き込んでみると、男二人の頭が見えて、慌てて中に引っ込む。
マルシアル王太子の仲間の、柄の悪い二人だった。
どうしてこんなところに。ここを隠れ場所にしているのが見つかったの?
背中に嫌な汗が滲む。
「そもそも俺ら二人だけで見つけろって、無茶な話なんだよ」
ブツブツとそんなことを言っている。
ウィルフレド殿下とお姉さまのことだろう。これでとりあえず、まだ見つかっていないことは確定しました。状況説明、ありがとうございます。
レオさまとウィルフレド殿下も、ホッと息を吐き出している。
「本当に応援を呼んでくれてんのかな」
「さあねえ」
言われた男は肩をすくめている。
ひい。また敵が増えるのかな。セイラス王城からの支援が間に合えばいいけど。
「だいたい、本当にセイラスにいるのかよ」
「さあ? 殿下がいるって言うんだから、いるんじゃねえの?」
「いないのに見つからなかったから報酬なし、ってことになったらどうするよ」
「うっわ、最低だ」
男たちはよりにもよってそこに立ち止まって話し込みだした。
マルシアル王太子さま、あなたの仲間、まるでやる気がありませんよ。ちゃんと報酬が貰えないと動く気にはならないらしいです。
でもいくらやる気がなくても、すぐそこにいるなんて、怖い。でもここが見つかっていないという証拠でもある。すごいよ、この洞窟。
すると男たちはとんでもないことをしゃべり始めた。
「無報酬でも、儲け話はあるぜ」
「なんだよ」
「ここの蒼玉、高く売れるらしい」
「へえ、知らなかった」
「最近、発見されたばかりだからな。穴場だ」
なにが穴場だ!
そしてどうしてこんなに柄が悪いんだ。
王太子はいったいどんな輩を侍らせているんだ。
許すまじ!
そしてそう思ったのは私だけではなかったようだ。
レオさまとウィルフレド殿下が、ぼそぼそと話し合っている。
「……どうなっているんだ、王太子は」
「少々、過激な連中を侍らせ始めてね。元々、問題視はされていた」
「それで半月の予想か」
「ああ。それくらいだろう」
「いや、ここまで酷いと、半月も要らなかったかもしれない」
未だになぜ半月なのかわからないけど。
一応、うなずいておこう。
まったく警戒していないのか、男たちはまだしゃべり続けている。
たぶん、やる気がなさすぎて、この森に隠れて時間を潰そうっていう腹なんだろう。
「だいたい、その第二王子の女ってのも見たらわかるって、わかるかよ」
「いやわかると思うぜ。俺見たけど、すっげえ美人でよ」
「へえー」
「そういや、妹のほうでもいいって言ってたな」
はい? 私? なんで?
レオさまが驚いたようにこちらに振り向いた。いやそんなに見つめられても、私にも理由はわかりません。
しかし男二人が理由を教えてくれた。
「人質にしておびき出すつもりなんじゃねえかな」
「うわっ、ひでえ」
そう言いながらも、二人は声を上げて笑った。
くっ、そうはいきません。今ならこの短剣で躊躇なく刺せる気がします。あと、ぶん殴る。
「妹のほうも美人だろうな」
「俺もおこぼれにあずかりたいぜ」
残念でしたね。妹のほうは、そこそこ可愛い、くらいだと思います。
「でも妹はこっちの第三王子の婚約者らしいからな、そこまではヤバいんじゃねえの」
「ああ、知ってるぜ。あのナヨナヨした男のか」
「もったいねえな。知らなかったことにするか?」
ははは、と二人が笑っている。
ナヨナヨしてる。違うよ、シュッとしてるんだよ。
隣のレオさまに視線を移すと、男たちをじっと見つめたまま、声を出さずに唇を動かした。
『殺す』
うわ、本気っぽい顔してる。綺麗な顔だけに、やたら迫力があって怖い。
ほらあ! ナヨナヨしてるとか言うから!
レオさまは寝転がっていた体勢から、片膝を立てて起き上がった。
レオさま?
次の瞬間には、レオさまはその場から飛び降りた。
呆然と私はその後姿を見送る。
「レオ!」
慌てたようなウィルフレド殿下の声がする。
飛び降りたレオさまは、そのまま男たちの上に足を伸ばした。
それまでまったく気配に気付いていなかったのであろう男たちは、後ろに振り向くと同時にレオさまの靴裏が見えただろう。
躊躇なく、両足で二人の男の顔面をそれぞれ踏み潰したあと、それを反動にして飛び上がったレオさまは難なく地面に着地し、鞘から剣を抜きながら、振り向いた。
うむ、身体能力が意外と高いな。
しかし、抜き身の剣を持ったまま、レオさまは動きを止めた。
男たちが反撃してくるかと思っていたのだろう。けれど彼らは、地面に伸びたまま動かない。
「生きてます?」
私の上からの呼びかけに、レオさまはこちらを見上げてきた。
「生きているぞ。失礼な」
「いや、その人たち」
私は伸びた二人を指差す。
今の、死んでもおかしくないですよ。この高さから落ちた男一人分の体重を、まともに顔面に受けたんですからね。
すると、レオさまはそちらに歩み寄った。
「息はあるな」
「よかった」
「別に死んでいてもいいんだが」
腹が立っていたのか、レオさまは二人の身体を蹴り飛ばした。うう、という呻き声が耳に届く。
レオさま、そんなにナヨナヨしたって言われたのが腹に据えかねたんですね。
本当に、気にしているんだなあ。




