59. 短剣
最高級の茶葉で淹れられたという紅茶の香りを楽しむ。
本当のところは違いはよくわからないけれど、最高級と言われるとそれだけで満足できます。
しかも伝説の人が淹れた紅茶だし。絶対今、この国で一番美味しい紅茶を私が飲んでます。
ふふふ。これが王家の権力というものですね。
クロエさんは手早く紅茶を淹れてくれ、乗馬服の準備と王城への報告のために出て行ったので、私は一人で紅茶を楽しんでいた。
「まだここにいたのか」
すると扉が開く音とともにレオさまが入室してくる。
「クロエさんに美味しい紅茶を淹れてもらったんですよ」
「そうか」
言いながら、テーブルを挟んで私の前のソファに座る。特に反応はない。ちょっと自慢のつもりだったんだけど、考えてみればレオさまにとっては日常だなあ。くっ、この王子め。
そしてレオさまは、手に持っていたものをテーブルの上に置いた。
「持っていろ」
そう言って置かれたものを見ると、短剣と、腰に帯剣できるようにする革製の刀帯だった。
「え?」
「護身用だ」
「護身……」
そう言われても。
私は空になったカップをソーサーの上に戻すと、恐る恐るそれらに触れてみた。
短剣を持ち上げてみると、案外軽い。そうっと鞘から取り出すと鋭い刃が見えて、慌てて元に戻す。
「王城から支援が来る前に、なにかあってはいけない。もし私が近くにいれば守れるが、そうでないときは危険に晒される可能性もある」
「危険……」
こんな武器が必要になるほどの。
「王太子は常識が通用しない精神状態かもしれないし、連れている二人もならず者のようだし」
「なにかあったら……使えってことですか」
「そうだ」
「誰かを刺すって……ことですよね」
「心配するな。揉み消してやる」
真の王家の権力ー!
「だからそのときは躊躇するな。何をさておいても、まず我が身を守れ」
レオさまはあくまでも真剣な眼差しでそう言った。翠玉色の瞳がひたと私を見据えていて、心に浮かぶ揺らぎを許さない。
「私……使えますかね」
人に対して。
「使いやすいように軽いものだ。体重が乗らないから致命傷を与えることは難しいが、護身を考えればこのほうがいいだろう」
淡々とそう口にする。
致命傷なんて怖いから、もちろんそのほうがいい。
レオさまは剣術はもちろん学んでいるんだろう。前にウィルフレド殿下と対戦して勝ったとも言っていた。本当に斬ったわけではないのだろうけれど。
でもたぶん、人に対しても使える。
まさかここにきて、こんな覚悟を問われるとは思わなかった。
「念のためだ。使う機会がなければ、それが一番いい」
悲壮な表情をしてしまったのだろうか。
レオさまは慰めるかのような口調で、そう付け足した。
◇
翌日、もう一つ短剣を用意して、クロエさんが準備してくれた乗馬服も持って、私たちは洞窟に向かった。
よじよじと崖を登り、レオさまが先に内部に入る。
「ウィル、アマーリア嬢、セイラス王城が動くぞ」
その言葉を聞きながら、私も中に入る。洞窟の奥の隅っこに、蝋燭が立てて置いてあったけど、ほとんど使った形跡はなかった。クロエさんの言う通りだ。
「え? 王城が動く?」
「ああ、名目上は不法入国してきた王太子の捕縛となるだろう。とにかくそれまでの我慢だ」
そうしてレオさまは、お姉さまに短剣を手渡した。
「これは……」
「念のために持っていてくれ。護身用だ」
「は、はい」
お姉さまもやはり私と同じように、鞘から少しだけ引き抜いて、そして慌てたように納めていた。
そして私のほうに視線を動かしてくる。ぱっと見はわからないように、ワンピースの上に上着を羽織っているけれど、腰に刀帯が巻かれているのは見えたようだ。
「プリシラまで……」
元々悪い顔色が、また蒼白になっていく。
お姉さまは短剣をぎゅっと胸に抱いて、身体を前に倒した。
「ごめんなさい、プリシラ。ごめんなさい、レオカディオ殿下。ごめんなさい、ごめんなさい……」
ブツブツと口の中でそうつぶやいている。
これはもしや。そうは見えないけれど。
爆発、の前兆なのでは。
どうやら様子がおかしいと、レオさまとウィルフレド殿下が顔を見合わせている。
そして慌てたように言い繕った。
「アマーリア嬢、これは念のためのもので」
「アマーリア、大丈夫だ。プリシラ嬢はレオが守るし、アマーリアは私が守るよ」
しかしそれらの声が聞こえているのかいないのか、お姉さまは続けて言った。
「……やっぱり、わたくしが皆の言う通りに生きなかったから……だから、良くないほうにいくのだわ」
「え?」
その言葉に、男性二人は首を傾げる。
二人には言っている意味がわからないのだろうか。けれど、私にはわかる。
今までのお姉さまの生き方は、そうだった。『言われた通りにするのが、一番、上手くいくものよ』とお姉さまは微笑んでいた。
本当にそうして生きてきて、なのに生まれて初めての反逆でこんなことになってしまった。
お姉さまは俯いたまま、さらに続ける。
「だって、ずっとお父さまの言う通りに生きてきたわ。それで不都合なことなんてなにもなかったもの……」
大事に大事に育てられると、こんなことにもなるのかな。
私は妙に冷静に、その光景を見つめる。
「だからだわ……。でも、でも……こんなことって……」
だってお姉さまは守られてきたじゃないの。今だってウィルフレド殿下とレオさまに守られているじゃないの。
だから、なんにも考えなくて良かったんじゃないの。
お姉さまは常に、誰かに人生を決めてもらってきた。
今だってそうなのを、気付いている?
今回のこの恋だって、お姉さまが選んだように見えて、実は周りが決めたことに気付いている?
あのレオさまの誕生会で、お姉さまとウィルフレド殿下が恋に落ちたのを知った周りが、慌てて私をレオさまにあてがって、事を収めたの。
お姉さまは『その手を取ることはできません』と言って、断ろうとしていた。それを周りが大事にしないようにと言わせなかったんだ。
せめて、お姉さまのわがままだったらよかった。恋のためにすべてを棄てた女だと非難されればよかった。
皆が、お姉さまを中心に動いている。
割を食ったのは、レオさまだ。
レオさまが、可哀想だ。
「そうですね」
ぽろりと口からそう漏れた。三人ともがこちらに振り向く。
止めようとは思わなかった。
「そうして生きてきたんなら、そのまま生きればよかったんです」
ああ、クロエさん、ごめんなさい。
最高級の茶葉では、私の爆発は止められそうにありません。




