58. 疲弊
おお、頼もしい。クロエさんが言うと、本当に潰れる気がする。
「わざわざ法を犯してくれるなんて。これで大義名分ができました」
クロエさんは胸を張ってそう続けた。
「ええと……大丈夫か?」
レオさまの不安げな声に、クロエさんは首を傾げる。
「なにか問題が?」
「少々、早計な気もするが」
「レオカディオ殿下がそう仰るのでしたら、整理しましょう」
そういうわけで、私たちはテーブルを囲んでソファに座った。
「ウィルフレド殿下とアマーリアさまですが、子どもの遊び場のようなところにおられるのですよね? プリシラさまが秘密基地にしていらしたという」
「はい」
「でしたら、秘密基地をご存知だったアマーリアさまが、誰にも知られずにそこに隠れていたということでいいでしょう。そんなときのために屋敷を離れていただいたのですから」
「確かに」
「私どもは、とにかく二人については知らない、匿ってもいない。ただこちらに密入国してきた王太子を見つけた、これでいいのです」
「なるほど」
「なにも馬鹿正直に王城に報告しなくてもいいでしょう」
うーん、クロエさんが頼もしすぎて、黙っていたら秘密裏に王太子を山に埋めそうな気がしてきた。
「あとは王城が勝手にやってくれます」
よかった、クロエさんが手を下すわけじゃなかった。
「仮に王城に捕まったマルシアル殿下が、私どもが犯罪者を匿っていたと喚いたところで、不法入国した人間の言うことなど信用に値するものではないと判断されるでしょう」
「しかしキルシー側もなんらかの手を打つのではないか?」
「私がキルシーの人間なら、王太子が勝手に出国したと切り捨てますね」
ズバッと言い切るなあ。本当に侍女なのかな、この人。
「その上で、交渉します」
「そうだな。今は戦にはしたくないだろうし」
「はい。今まではキルシー国内の動きを待つだけでしたが、セイラス側の支援を期待できるようになったことは、喜ぶべきことです」
「そうか、そうだな」
そう言って、レオさまはホッと息を吐いた。
「クロエがいてくれてよかった。私は慌てるだけだったから」
「レオカディオ殿下は思慮深い方ですから」
「ものは言いようだな」
苦笑しながらレオさまが言う。
そして私のほうに振り向いた。
「ひとまず、王城の指示と救援を待つ。私たちが自ら手を下す必要はない。なにせ相手はキルシーの王太子だからな。むしろ勝手はできない」
山に埋めなくていいんだ。
「それまで二人には今まで通りに隠れてもらう」
「はい」
「上手くいけば、四、五日で片が付く。先が見えないところからは脱却だ」
レオさまは安心したように微笑んだ。
上手くいけば、か。
上手くいくといいなあ。
◇
「クロエさん」
会議が終わったところで、私はクロエさんに声を掛ける。レオさまは忙しいのか足早に出て行ってしまって、私たち二人きりだ。
「なんでございましょう」
「あの、姉に乗馬服を持って行きたいんですが」
「乗馬服、ですか」
「はい。私のだと小さいと思うんです。私、姉より背が低いし」
お姉さまのものがこの屋敷に残っているか、謎なんです。クロエさんなら知っているでしょう。
「かしこまりました。ご用意いたします」
どうやら任せておけばいいらしい。さすがです。
「じゃあお願いします」
ほっと胸を撫で下ろしていると、クロエさんはじっと私を見つめたあと、口を開いた。
「差し出がましいかとは存じますが、申し上げます」
「は、はい」
なんだろう。ものすごく真剣な表情だ。なにか怒られちゃうのかな。心当たりはいくらでもあるし。
するとクロエさんは、思ってもいなかったことをしゃべり始めた。
「そろそろ疲弊してくるころです。ウィルフレド殿下とアマーリアさまは、隠れてじっとしているわけですからそれが顕著かと思います。おそらく見つからないようにと、夜は灯りも使っていないでしょう。かなり精神を削られていると推察いたします」
灯りを使っていない。そうかも。蝋燭も持って行ったけれど、どうだったかな。減っていなかったかも。
そうか。追手がいつ来るのかわからない状況で、暗い中でたった二人で過ごすのは、思った以上に厳しいものなのかもしれない。しかもあんな、洞窟の中で。
「だから多少のことは気になさらないほうがよろしいですよ」
続いたクロエさんの言葉に顔を上げる。
「もしかしたら、ウィルフレド殿下かアマーリアさま、あるいはどちらもが爆発なさるかもしれませんが」
「爆発」
「そういうときは黙って聞いていれば、あちらも落ち着きます」
「そういうものですか」
「そういうものです」
クロエさんは深くうなずく。クロエさんがうなずくと、そんな気がするなあ。
「そのあと謝罪させればいいのです。申し訳ないと思わせたほうが勝ちです。弱みが握れますよ」
いや、弱みは特に握らなくてもいいですけど。
でも少し、気が楽になったかな。
「クロエさんは、本当に頼もしいです」
「それは光栄です」
「私、考えなしだし、そこまで気が付きませんでした」
「私どもは、察するのが仕事ですから」
なるほど。
そして私に気にするなと言ってくれたのは、もしかして、私のモヤモヤを察してくれたんだろうか。
顔に出てたかなあ、と自分の頬を一撫ですると、クロエさんはさらに言った。
「プリシラさまも、疲弊してきていると見えます」
「えと……」
「プリシラさまには私が最高級の茶葉を使って紅茶を淹れて差し上げますので、それで妥協なさってください」
そう言って、薄く微笑んだ。
本当に頼もしいなあ。さすが、伝説の人。
「妥協どころか、大満足です」
「それは良うございました。ではお待ちを」
そう言って一礼すると、クロエさんは立ち去って行った。




