57. モヤモヤする
「と、とにかく」
レオさまはそう言って話を切り上げた。
これ以上推測でものを語っても仕方ないですしね。
「王太子本人が来ているんだ。これは二人を探し出すのに本気だと見ていい。今まで以上に洞窟を出る際には気を付けてくれ」
その言葉に、ウィルフレド殿下とお姉さまは神妙な顔をしてうなずいた。
「私たちは屋敷に帰って、なんらかの連絡が来ていないか確認しよう。その上で対策を練らないと」
「はい」
私たちも顔を見合わせてうなずき合う。
レオさまはそれを合図に腰を浮かせて、洞窟の入り口に向かっていった。
私もそれに続こうとして、止まる。
おっとそうそう、忘れちゃいけない。
「食糧とか水とか、持って来たんですけど」
そう言うと、ウィルフレド殿下が微笑んで応える。
「ありがとう。では私が降りるよ」
「お願いします。足りてますか?」
「十分だ」
「でもこうなったら、あまり頻繁に来ないほうがいいかもしれないので、次は多めに持ってきますね」
「そうだな。その前に片が付くといいんだが」
そんなことを話し合ったあと、私はお姉さまに振り返る。
「お姉さま、なにか欲しいものとかありますか?」
「え?」
「あれば持ってきます」
言われて少し考えたあと、お姉さまは首を横に振った。
「いいえ、ないわ。今、持ってきているもので十分よ」
そう言ってにっこりと笑う。
「そうですか?」
こんな洞窟で生活して、足りないものだらけだろうと思う。遠慮なく言ってくれていいんだけどなあ。ダメならダメで、断るし。
するとふと、お姉さまの顔の痣が目に付いた。もう薄くなりつつあって、黄色い色が痣を縁取り始めている。いつかは完全に消えるだろうと思われた。
けれど今まで青黒く腫れあがっていたから思わなかったけれど、逆に、これくらいなら隠せるのでは、という気持ちが湧いてくる。
「お化粧品、持ってきましょうか?」
「えっ」
お姉さまは、ぱっと顔を上げる。少し嬉しそうだった。やっぱりお姉さまも、なんとか隠したいと思っていたんだろう。
けれどすぐに首を横に振る。
「いいえ、大丈夫。外に出るわけではないし」
誰かに会うのではないから、と言いたいのだろうか。でも今一緒にいるのは、その人の前でだけは美しくありたいと願う恋人なのではないか。
「いいですよ、持ってきます」
「いえ、いいの。重いでしょうし」
「大したことないですよ」
「いいのよ」
やけに固辞する。さっき嬉しそうだったのにそう言い張るのは、やっぱり遠慮しているんだろう。
貴族社会では、そういう風に遠慮するのが大正解だ。
でも今は違う。こんな非常事態なのだし、ササッと言ってくれたほうがありがたいんだけれど。
すると、ウィルフレド殿下が横から口を出してきた。
「プリシラ嬢、ではできれば、アマーリアに乗馬服かなにか持ってきていただけないだろうか」
「乗馬服?」
「ウィルフレドさま」
お姉さまは驚いたように、ウィルフレド殿下の袖をつかんだ。けれど彼は構わずこちらに言ってくる。
「今のワンピースだと、梯子を上り下りするときに、裾が引っ掛かってしまうことがあるんだ」
なるほど、それはいけない。私はうなずく。
「わかりました。じゃあ持ってきますよ」
お姉さまは私の返事に、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ごめんなさいね、プリシラ。荷物になるでしょう」
こちらはウィルフレド殿下が言い出したことだからか、お姉さまは断りはしなかったけれど、何度も謝ってきた。
「乗馬服くらい、大丈夫ですよ」
「そう? ごめんなさい」
たぶん、この洞窟に私たちが匿っているから、これ以上の迷惑は、とか考えているんだろう。
その気持ちはわかる。わかるのだけれど。
ちょっと、モヤモヤする。
◇
そのあと屋敷に戻ると、私たちはその足で会議室に向かった。クロエさんも当然、ついてくる。
「いかがなさいました」
私たちの様子を見て、何事かが起きた、というのはわかったらしく、真剣な表情でそう問うてきた。
会議室の扉が閉じたのを確認すると、レオさまは矢継ぎ早に言う。
「クロエ、キルシーの王太子が来ている」
「え?」
クロエさんは首を傾げた。
「キルシーの王太子というと、マルシアル殿下のことでよろしいでしょうか」
信じられないのか、念押しするように確認してきた。
「そうだ。宿に泊まっている三人目が王太子だ」
焦るように言うレオさまの言葉に、クロエさんは頬に手を当てて考え込んだ。
「まさかご本人が……よほど頭に血が上っていると見えます」
あっ、クロエさんもそう思いますか。じゃあ私の考えは間違ってないですね。
「なにか連絡は?」
レオさまの質問に、クロエさんは首を横に振る。
「今のところ、なにも」
「じゃあ王城を通してもいなければ、国境検問所も使っていないんだな」
「そうでしょうね。王太子殿下が入国されたのであれば、いくら急なことでも本人より先にこちらに連絡が来るはずです」
「まさかこんな行動に出るとは予想外だ」
綺麗な顔を歪めてそう言うレオさまに、クロエさんはうなずいた。
「はい、幸いです」
「え?」
クロエさんの突然の言葉に、私たちは顔を上げて、まじまじと彼女の顔を見つめてしまう。
しかしクロエさんはまったく動じることなく、続けた。
「不法入国ですね。そういうことなら王城に報告せねばなりません。支援を頼みましょう。すぐに伝騎を」
「え……いや」
「こうなると、キルシー国内の動きがどうあれ関係ありません。王太子という立場の人間の不法入国は国際問題です。理由など必要ありません」
「ちょ……ちょっと待っ……」
レオさまの戸惑いは他所に、クロエさんは凛として言った。
「潰しましょう」




