55. 王太子がやってきた
「さ、こちらです」
慌てたように言う主人にうながされ、受付台の後ろにある扉から、私たちは別の部屋に飛び込む。
パタンと扉が閉まってから部屋の中を見渡してみると、小さな部屋で物置のようになっていて、雑多に木箱が積まれていた。
扉がある壁に沿ってテーブルと椅子が置いてあり、読みかけの本が伏せて置いてある。きっと主人はいつもはここでのんびりと過ごし、誰か来たら隙間から見て、そして表に出て行くのだろう。
なので隙間はすぐに見つかった。
上手い具合に、立った私の目の位置にある。レオさまには少し低くて、椅子を引いて膝を掛けて腰を折って、隙間を覗き込んでいた。
「お帰りなさいませ」
主人の声がする。
見つかるのも怖いな、と私は少し身を引いた。
チャラ、とすぐそこで音がしたので、主人が部屋の鍵を取ったのだろう。
「夕食はいかがなさいますか」
「部屋に持ってきてくれ」
「かしこまりました」
「まったく、ロクな店がないところだな。宿の食事のほうが幾分かマシだ」
そんなことをブツクサと言っている。
失礼な人だなあ。美味しいところだってあるのに。すべての店を食べて回ってから、物を言え。
唇を尖らせて、そう心の中で悪態をつく。
やっぱり、どんな人かよく見てやろう、と私は隙間を覗き込んだ。
すると、三人の男たちがそこにいた。二人はいかにも柄が悪そうな、身体つきのがっしりした人たちで。
もう一人、確かにやけに身なりのいい男性がいた。
うん?
私は首をひねる。
そしてもう一度、隙間を覗き込んだ。
すぐそこにいる、「これだから田舎は」と舌打ちをしながら言う男性は、黒髪で、褐色の肌で。
ウィルフレド殿下によく似た風貌を持つ人だった。
うーん、キルシーの人って皆、ああいう感じなのかな。
それにしても本当によく似ている。けれど、ウィルフレド殿下の美丈夫っぷりを知っていると、なんとなく残念な感じがする人だった。
惜しい、惜しいんですよ、と言いたくなるような。美醜は部品じゃない、配置が大事なんだと思わされるような。
いや別に不細工ってわけではないんだけれど、ウィルフレド殿下が出来すぎているからなあ。
しかしここまで似ているとなると。
とレオさまのほうを見てみると、漏れ出る声を懸命に抑えようとしているのか、口元を手で隠し、目を見開いていた。
うっ、この反応は、もしかして。
少しして、三人が階段を上っていく音が聞こえて、そして聞こえなくなった。
そこでレオさまは、口元に当てていた手を外し、はーっと大きく息を吐いた。
「あの……」
まさかとは思いますが。
レオさまはこちらに振り向くと、戸惑いつつも小声で言った。
「王太子だ。第一王子、マルシアル」
「嘘でしょう?」
「間違いない、本人だ」
眉根を寄せてそう言うと、そこにあった椅子にドカリと腰掛けた。
そして両手で顔を覆い、うなだれている。
うーん、けっこうな衝撃だった模様です。
「あのう、王太子ともあろう人間が、ほいほい他国に足を踏み入れていいんですか」
「いいわけないだろう」
「ですよね」
「完全に予想外だ。逆にどうしたらいいのかわからなくなってきた」
レオさまは本当に動揺しているのか、頭をガシガシと掻いた。
「どうなっている? 王太子はキルシー国内の動きを知らないのか? それともまったく動いていない? そもそもどうして自らが来たんだ?」
ブツブツとそんなことを口の中で言っている。意味はわかりませんが、とにかくわけがわからない、というのはわかりました。
「よっぽど腹に据えかねたんでしょうね」
私がそう言うと、レオさまは驚いたようにこちらに向かって顔を上げた。
「え?」
「だって程度はどうあれ怪我をしているはずですよね。ウィルフレド殿下が斬り付けたんだから。それでも自分が来たっていうことは、返り討ちにしてやろうって思ったんじゃないですか」
「そんなことで、国をほっぽりだして国境を越えるのか?」
「そんなことかどうかは本人に訊いてみないと」
お姉さまに至っては、蹴り上げたらしいし。
完全に頭に血が上っている状態なのかもしれない。
レオさまは膝の上に肘を乗せて頬杖をつき、うーん、と考え込んでから口を開く。
「訊けるわけがない。……じゃあ、もう一人の当事者に訊くか」
そう言ってレオさまは気を取り直したように立ち上がった。




