54. 宿にて
クロエさんが会議室になにやら書面を持ってやってくる。
「殿下。その二人の旅人に、一人追加です。今までは二人で野営していたようですが、一人増えて新しくできた宿に三人で宿泊するようです」
増えた。
どんどん増えるのかな。あんまり増えるとややこしくなりそうだから嫌だなあ。
「知らない名前だな」
渡された宿帳の写しらしきものを見てからそれをテーブルの上に投げ出すと、レオさまは言う。
「でもまあ国境検問所を使わないのなら、本名も使わないだろう」
「そもそも、キルシーからの密偵とも限りませんよ」
私のその楽観的な意見には、レオさまは首を横に振った。
「いや、時期があまりにも良すぎる」
「そうですね。しかも増えた一人はやけに身なりがいいという話です」
クロエさんがそう新しい情報を付け足す。
それを聞いてレオさまは顎に手を当てて考え込んでから、口を開いた。
「となると、王太子の側近かもしれないな。私が見に行くのがいいだろう」
言うが早いか、レオさまは立ち上がる。
「えっ、レオさま自ら?」
「コルテス領にいる人間の中で私が一番、王太子の側近たちの顔を知っている。キルシーに外遊に出た際に、何人かには会っているからな」
「でも鉢合わせたら」
「逃げるのはあちらだろう? 私がコルテス領にいるのは王城が正式に決めたことだ。片やあちらは不法入国だ」
「そう言われるとそうなんですけど」
でも、不法入国をするくらいの人たちなのだから、常識は通用しないかもしれない。
レオさまが危ない目に遭うかもしれない。
それはレオさまも覚悟しているのか、腰に佩いた長剣を、無意識なのかポンと叩いた。
◇
結局私たちは、それぞれ馬に乗って宿に向かうことにした。
宿はレオさまに任せるとして、私はなんにしろお姉さまたちに食糧を支給しに行くつもりだったので、ついでの案内だ。
「ここですよ」
コルテス領の中心地からは少し外れたところに、うちの屋敷ほどではないものの、まあまあ大きな家があって、そこを宿に改造したところだ。
私もそこの主人とは顔見知りではある。お父さまと同い年で仲がいいので、私も小さいころから良くしてもらっている人だ。
宿に入る前に厩舎を覗いてみた。レオさまが言う。
「馬はないな」
「出ているんですかね」
厩舎は空だった。昼間なので、採掘場で働いている人たちの馬も乗って行ってしまっているのだろう。
私が馬から下りようとすると、それをレオさまに止められた。
「途中で帰ってきても困る。どこか違うところに繋ごう」
やっぱり鉢合わせはよろしくないですよね。反対する理由もないので、その近くの違う家の人に言って、馬を預かってもらう。
それから宿に歩いて向かい、扉を開けた。
「こんにちはー」
「おや、お嬢さま。そちらは、王子殿下ですか」
先に調査が入ったからか、主人は特に驚いた様子はなかった。
「ああ、第三王子のレオカディオだ。よろしく頼む」
「これはこれは。王子殿下が足を踏み入れるような立派な宿ではないのですが、どうぞ」
主人はにっこり笑って、レオさまを迎え入れる。
レオさまは受付台に肘を掛け、主人に向かって問うた。
「見慣れぬ客人が来たとのことなのだが」
「ええ、昨日から三名。お一人は一番いい部屋に泊まりまして、他の二人は相部屋です」
本来なら、客の情報をペラペラしゃべったりはしないとは思うのだけど、相手が王子さまだからか主人はあっさりとそう答えた。
その一番いい部屋に泊まったというのが、後からやってきたという、やけに身なりのいい人なのだろう。
「三名とも、朝から出掛けております」
「なにをしに来たとか、聞いているか」
「いえ、そこまでは。相場よりも多い前金をいただきましたので、なにも聞くな、なにも言うなということかと」
ペラペラしゃべってますけどね。
前金よりも、目の前の王子さま。まあ当然です。
レオさまは辺りをぐるりと見回すと、主人に言う。
「入り口付近を隠れて見られる、覗き窓はあるか」
「ないでしょう、そんなもの」
まーた、王城の感覚で。
「ございます」
あるんだ。
主人は苦笑しながら、受付台の後ろの棚を指差すと言った。
「覗き窓と言えるかはわかりませんが、建て付けが悪いのか隙間が空きまして」
「ああ」
よく見ると棚の奥が少しずれていて、そこに隙間らしきものがあった。あちらから見ると、入り口のほうが明るいし、よく見えるのかもしれない。
「ちょうどいいので裏で客を観察しましてから、泊めるようにしております」
なるほど。
それで身なりのいい客人がやってきて、うっきうきで泊めたと。
そのとき、宿の外から馬の嘶きが聞こえた。
そちらに視線を向けると、レオさまがつぶやく。
「おあつらえ向きだ」




