50. 対等で
その日は結局、屋敷に帰って特になにもできないまま、二人とも泥のように眠ってしまった。
しかし英気は養いました。
お姉さまたちは眠れたかなあ。さすがに私もあそこで夜に眠ったことはないし。
そんなことを思いながら、レオさまと私はまた朝から荷馬車に揺られていた。
「あっ、王子さまー!」
「お嬢さまー!」
荷馬車を見た子どもたちがこちらに手を振ってくる。
レオさまはそれを見て手を振り返していたけれど、なんというか、上品な手の振り返し方だった。私は大きく腕を振るけれど、レオさまは手首から先だけ動かしている感じだ。
なのに明らかに、レオさまのほうに皆の視線が集まっている。朝の陽の光を受けて輝く金の髪が、荷馬車を走らせて吹く風になびいていて、ことさらに目立つ。子どもたちを連れている奥さま方からは、きゃー! という歓声が沸いた。
私は少し唇を尖らせた。私のほうががんばって手を振ったのに。
「慣れてますね」
「そうか?」
なにか可笑しいか? とでも言いたげな表情だった。
そういうところが慣れているっていうんです。
「歓声とか沸いてるし」
「王家の人間が物珍しいんだろう」
「私、レオさまの従者みたい」
口からぽろっと出てきた言葉に、一瞬、静寂が訪れた。
あっ、しまった。言葉から卑屈な空気がにじみ出ていた。こんな言い方、するつもりはなかったのに。なんでこんなこと、言っちゃったんだろう。
「いえ、あの……」
「そうだな」
さらっと言われたその肯定の言葉に、胸がぎゅっと苦しくなる。私、レオさまの従者じゃない。婚約者のはずなのに。
「だから、手綱を渡せ」
レオさまはそう言って、開いた手をこちらに差し出してくる。
「えっ」
「昨日からずっと、『王子さまだから』とか言って、なんでも自分でやるだろう。私だってできるんだぞ」
そう不服げに言って、無理矢理私の手から手綱を奪おうとする。
そうか。私、けっこう酷いこと言ってた。
レオさまは私と対等であろうとしてくれているのに。
私は自分で勝手に卑屈になっているんだ。私も、対等であろうとしてもいいんだ。
私たち、このまま無事に事が終われば、夫婦になるんだから。
「嫌ですよ、私のほうが上手いですもん」
「そんなことはない。絶対、私のほうが上手い」
「本当ですか?」
「私はどんな授業からでも逃げたりしないからな」
うっ。それを言われるとつらい。
御者台の上でそうして二人で揉めていると、沿道に並んでいる奥さま方からクスクスと笑う声がする。
「あらまあ」
「仲がいいのねえ」
微笑ましい、と言わんばかりの視線を受けて、頬が熱くなる。レオさまの顔も、少し紅潮していた。
ああ、衆人環視の中でやることではなかったかもしれない。
「じゃ、じゃあ……お任せします……」
「あ、ああ」
私が手綱を渡そうとすると、手が触れて、また顔に血が集まってくる。
するとまた、クスクスという笑い声が聞こえてきた。
◇
蒼玉の採掘場に到着すると、私は目当ての人物を見つけて、声を掛ける。
「ホセさーん」
すると彼はこちらに振り向き、首を傾げた。
「なんだよ、お嬢。王子さままで。俺らはちゃんとやってるぞ。酒も飲んでねえし」
監視に来たわけじゃないですよ。
しかしそこにいた人たちは、わらわらと動き始める。特に王城から派遣されて来た人たちは、慌てたように駆け寄ってきた。
「い、いかがなさいました、レオカディオ殿下。なにか不都合でも?」
「いや、近くに来たから立ち寄っただけだ。普段通りに過ごしてくれ。私は適当に回る」
「では案内を」
「いや、必要ない。むしろ普段がどのようなものなのかを見たい」
「かしこまりました」
そう言っておずおずと下がっていくけれど、たぶん普段通りにはいかないんだろうなあ。
私たちの用事は、本当に蒼玉採掘には関係ないんだけれど。
「実は、ホセさんにお願いがあって」
「なんだよ」
「この梯子、長すぎるので、折り畳みにしたいんです」
私は荷馬車の荷台を指差してそう言った。昨日使った梯子と同じ大きさのものだ。
ホセさんは荷台からはみ出した梯子を見て、さして驚いた様子もなく、こちらに振り返って言った。
「ふうん。今回はどこに秘密基地を作るつもりなんだ?」
ホセさんの反応に、レオさまは慌てたように言う。
「ちょっと待て、今回はって、今までもそんなに頻繁に作っていたのか」
「失敗作しかありません」
「前は木の上に作ろうとしてたよな」
ホセさんは私を指差してガハハと笑う。
それを聞いて、レオさまは大きくため息をついた。
「木の上は、貴族令嬢が秘密基地にするような場所ではないだろう」
「しようとしてます。ここに、一人」
自分を指差しながらそう言うと、レオさまは半目になって返してきた。
「そんな例外中の例外を言われても」
「例外中の例外は、言い過ぎじゃないですか?」
「じゃあ例外、だけでいい」
レオさまは軽く肩をすくめた。
そんなことを言い合っている間に、ホセさんはさっさと荷台から梯子を下ろして、まじまじと見ていた。
「折り畳みにすんのか。半分に切るとかじゃなくて?」
「普段は長いまま使いたいんです。必要のないときは畳めるように」
「ふうん」
するとホセさんは首だけ後ろに向けて、興味深げにこちらを見ていた作業員たちに向かって口を開いた。
「おい、誰か」
「へいへい」
「そこの空き家のドア、壊れてたろ。蝶番だけ取ってこい」
「ほーい」
向こうのほうに見えている廃屋を指差してホセさんは言った。一人の作業員が特に不満げな様子もなく、素直にそちらに走り出す。
レオさまはそれらを呆然として見送っていた。
ね? 言ったでしょう、勝手に使うって。
「……やっぱり、整備しないと」
額に手を当て、レオさまはがっくりとうなだれた。




