46. 隠れる場所
クロエさんはもう、口を挟むことはしなかった。
レオさまのキラキラ具合に絆されたかどうかはわからない。もしかしたら、まあ話は最後まで聞こう、という程度のものかもしれない。
レオさまは気分が乗ってきたのか、終始、芝居がかって熱弁していた。
「自分の声が直接届くというのは、得がたい経験だった」
でも言っていることは、決して嘘ではないのだろう。
このコルテス領で、子どもたちや荒くれ者たちと接して、なにか思うところはあったのだと思う。
「私には私の役目はあるが、私も領民たちに寄り添って、この土地を治めたい」
クロエさんはレオさまの言葉に、一つ、うなずいた。
どうやらそのこと自体には反対する理由はないらしい。
「そのためには、誰かを切り捨てるという選択は、極力したくない」
レオさまは、それに、と付け加えた。
「この先、臣籍降下したら私も、切り捨てられる側になるわけだ」
その言葉に私の心臓は、バクンと音を立てる。
いくら王子さまでも王族でなくなったら、なにかあったときには守ってもらえなくなるんだ。
そのことに危機感を覚えているのかな。
いや。こうして作戦会議を開こうとしているんだ。レオさまは、自分の足で立とうとしている。
「もしそうなったとき、家臣としては最後まで諦めないでいてほしいと願うだろうし、守ってくれたなら最後まで尽くそうと思うんじゃないか。我が身に置き換えられるようになって、私はそのことを知れたと思う」
そう言って、クロエさんをじっと見つめる。
「信頼し信頼される関係性。私は領主として、かくありたいと思うんだ」
クロエさんも、レオさまをただ見つめ返していた。
しん、と応接室が静まり返る。この沈黙が怖いけれど、私は絶対に口を出してはいけない、というのがわかった。
今は、クロエさんに考えさせる時間だ。
すると、しばらくしてからクロエさんは、ふっ、と息を吐き出した。
「レオカディオ殿下がそう仰るのであれば、私からはなにも申すことはございません」
そう言って、深く一礼する。
私たちは、こっそりとホッと息を吐き出した。
クロエさんは身体を起こすと、背筋を伸ばした。覚悟は決めた、とその目が言っている。
レオさまはその表情を見て困ったように眉尻を下げて、でも微笑んだ。
「けれど、なにもかも捨てようとしているわけではないんだ」
できることなら、内密にすべてを終わらせてしまいたい、と。
「承知しております」
「よかった」
「でも、匿うといっても、どこに? 私はこの屋敷はお勧めしません」
クロエさんのその言葉で、この場が応接室から会議室に切り替わった。
「そうだな、ここはアマーリア嬢の実家だ。国境を越えさえすれば、すぐに見つかる」
「というより、逃亡先としてまず調査に来るでしょう」
「期間はそう長くはないから、その間だけ匿えればいいんだが」
「期間の想定があるのですか」
クロエさんが首を傾げると、レオさまが答えた。
「ウィルがアマーリア嬢を半月だけ匿ってほしいと言っていたんだ」
その言葉を聞いて、クロエさんは斜め上を見てしばし考えてから、ああ、とうなずく。
「なるほど、そういうことですか」
「だから半月、匿う。それ以上は無理と思ったら、残念だが切り捨てることも考えなければならない」
「私は、その予測はいいところを突いていると思いますね」
「私もそう思う」
「それまで持ちこたえられればいいんですね」
「ああ」
「ならば不可能ではないかもしれません」
ちょっと待って、ちょっと待って。
私を置いて、どんどん話が進んでいる気がするんだけれど。
なんで半月?
それでクロエさんはなんでわかってるの?
でも、訊ける雰囲気じゃない。二人が真剣に話し合っている間に、割り込んでいい質問じゃないっぽい。
そしてもし訊いたら、レオさまがまた得意げにふんぞり返る気がする。
あっ、考えただけでイラッとした。
よし、やめておこう。聞いているうちにわかるかもしれないし。わかっているふりしておこう。
「プリシラ」
「はいっ」
急に話を振られて、私は背筋を伸ばす。自分が戦力になれるかどうか怪しいけれど、言われたことは精一杯やろう。
「ウィルとアマーリア嬢を外に出すのに、隠し通路を使いたいんだが。もしくはその中に隠れられるといいんだが」
「……はい?」
今、なんと?
私が首を傾げたのを見て、レオさまも同じ方向に首を傾げた。
そして再度、言った。私が聞いてなかったとでも思ったのだろう。
「隠し通路を使いたい」
「ありませんよ、そんなもの」
私の言葉にレオさまは目を見開いた。えっ、本当にあると思っていたんですか。
「ないのか」
「ないですよ。王城じゃあるまいし」
もしあったら、この私が見つけていないなんて、ありえないと思います。
「ええ? ないと困るだろう」
「困りません」
「今、困っている」
「それは困りました」
クロエさんは、私たちの会話を聞いて、はあ、とため息をつくと、言った。
「一応、屋敷の設計図を探して参ります。あと、領内の地図も。それを見てまた考えましょう」
一礼してクロエさんは応接室、もとい、会議室を出て行く。
呆れたんじゃないといいけどなあ。
レオさまはパタンと扉が閉まるのを見届けると、ズルズルとソファに深く身を埋め、盛大に安堵のため息をついた。
「よかった……」
「クロエさんが味方になったことですか」
「そう」
言いながらレオさまはまた座り直して、私の顔を見つめる。
「クロエが父上に報告したら、その時点でおしまいだ」
そっか。それでまずはクロエさんを味方に引き入れることにしたんだ。
レオさまにとって、これはとても大それた考えなんじゃないだろうか。クロエさんを味方にして、王家に秘密を持つ。
私が泣いて責め立てたから、それを気に病んだ、とかだったらどうしよう。
「あの……レオさま」
「なんだ」
「あの、私が言っ」
「さっき理由は言っただろう。これは打算に基づいた考えだし、誰に言われたからというものではない」
私の言葉をひったくり、レオさまは強い口調でそう言った。
そうか。そう言ってくれるのか。さっきクロエさんに滔々と語っていた言葉は、私にも聞かせるつもりの言葉だったのかもしれない。
「はい。ありがとうございます」
「だから、礼はいらない」
レオさまは少し唇を尖らせた。頬がわずかに紅潮している。私の希望を聞いたと知られたら恥ずかしいのかな。
でも、言わずにはいられない。
「ありがとうございます、レオさま」
「……そうか」
そう言って、レオさまは私に柔らかな笑顔をくれた。
けれどすぐに、真剣な表情に戻る。
「それに、たった半月だ」
「は、はい」
未だになぜ半月なのか、私にはわかりませんけどね。
「離宮が完成していれば、王家の持ち物にはさすがに手は出せないだろうから、これほど安心な場所はなかったんだが。隠し通路も作るだろうし」
作るんだ。すごい。
「どこか、隠れ場所があればいいんだが」
そう言って口元に手をやって、考え込んでいる。
「とにかくまずは、この屋敷とは違う場所に移すことを考えよう」
「はい」
「別宅は駄目となると、空き家とか」
「ありますけど……蒼玉採掘の作業員たちが勝手に使ったりするんですよね」
「なにをやっているんだ……」
はあ、とため息をついて額に手を当てうなだれる。
すみません。
「いずれ整備もしないとな。火事にでもなったら事だ」
ああ、お父さまのいい加減な仕事が、レオさまに迷惑を掛けている。
考えなきゃ。コルテス領のことなら、私はよく知っている。
隠れるところ、隠れるところ。半月でいい。二人だけが隠れられればいい。身を隠せる場所。
「あ」
思わず、声が出た。
「なんだ」
レオさまが顔を上げて私を見る。
私はその翠玉色の瞳を見返して、言った。
「隠れるだけなら、隠れる場所、あるかもしれません」




