44. ギリギリまで
姉妹二人で一緒に寝て、朝、目が覚めると横にいるお姉さまは健やかな寝息を立てていた。そのことにほっと安堵の息を吐く。
夜中、お姉さまはうなされては何度も目を覚ましていた。
そのたび、手を握ると安心したように微笑んで、また眠りに落ちていった。
朝食も、ベッドの上で一緒に食べた。お姉さまは口の中を切っていてなかなか進まなかったけれど、食欲がないわけではなさそうなので、安心する。
「プリシラがいてくれて、本当に良かった」
お姉さまは微笑んでそう言うけれど。
でもきっと、傍にはウィルフレド殿下がいたほうがいい。
◇
姉妹で寝ていたので遠慮していたらしいウィルフレド殿下を、お姉さまの部屋に案内する。
彼が入室すると、お姉さまはハッとしたように、自分の顔の横の髪を撫でて、頬の腫れを隠すようにした。
無残に青黒く腫れあがった顔を見られたくなかったのだろう。
ウィルフレド殿下はベッドの横の椅子に腰掛けて、投げ出されたお姉さまの手を取る。そして優しく柔らかな声音で話し掛けた。
「アマーリア、よく眠れたかい?」
「え、ええ、プリシラがついていてくれたので」
お姉さまは伏し目がちにそう応える。
「食欲は?」
「先ほど、朝食をいただきました」
「そう、良かった」
ウィルフレド殿下は、お姉さまの手を両手で挟むように握り直すと、言った。
「すまない。私が不甲斐ないばかりに、アマーリアに怖い思いをさせてしまって」
「そんなこと!」
バッと彼のほうに振り返るが、顔を見られると思ったのか、また慌てて顔を伏せてしまう。
「ウィルフレドさまのせいでは……ありません。わたくし……わたくしが、迂闊でした」
その言葉で、また思い出してしまったのか、お姉さまの身体が震え始める。
ウィルフレド殿下は立ち上がるとベッドの端に座り、そして顔を上げないお姉さまの肩に腕を回して、そしてそっと抱き寄せた。
「アマーリア、いつかきっと忘れられる。傷だってそのうち消える。一つだって残さないように手を尽くす。だからもう、自分のことを責めなくてもいいんだ」
するとお姉さまは、ぽつりとつぶやいた。
「本当に、傷は消えるんでしょうか……」
「え?」
「ウィルフレドさまに褒めていただいたのに、顔に傷が残ったら……わたくし……」
「アマーリア」
お姉さまは空いた手で目の前のシーツを握り締め、俯いたまま、言う。お姉さまの震える手の上に、ぽつりぽつりと涙が落ちた。
「わたくし、ウィルフレドさまに差し上げるものがなにもない。わたくしには、この顔しかなかったのに」
「アマーリアは、今だって十分美しい。今も私の心をつかんで離さないのだから」
その言葉に、お姉さまは涙に濡れた顔を上げる。
ウィルフレド殿下はその顔に手を当てて、労わるように優しく撫でた。
「傷を見るたび思い出すとつらいだろうと思っていたが、もし私の愛を疑うというのなら、そのままでいてほしいとすら思う。それでも私は生涯アマーリアを愛し続けて、どんなになっても誰よりも美しいと証明してみせるよ」
今は、どんなに甘い言葉も暑苦しいとは思わなかった。もっと甘やかしてほしいと思った。
ウィルフレド殿下はお姉さまの前に両腕を広げる。お姉さまはその中に飛び込んだ。
お姉さまは、ウィルフレド殿下の胸の中でわあわあと泣いた。背中に腕を回してしがみついて声を上げて幼子のように泣いた。
私は今まで、こんな風にお姉さまが泣いているのを見たことがない。
いつも穏やかに微笑んで、「大丈夫よ」と言うお姉さましか知らない。
もしかしたらお姉さまは、ウィルフレド殿下を見たときに、身体を預けて泣いてもいい人だと感じたのではないかな、とそんな気がした。
◇
私はそっと、抜き足差し足でお姉さまの部屋を出る。
これ以上は、お邪魔でしょう。
廊下に出て扉をそっと閉めると、お姉さまの泣き声が小さくなった。今は思う存分、泣いて欲しいと思う。
顔を上げて歩き出すと、ちょうどレオさまが階段を降りているところだった。もしかしたら、すぐそこのウィルフレド殿下の客室に会いにきたのかな。それでこちらの泣き声を聞いて、引き返したのかな。
「レオさま」
そちらにたたっと駆け寄って呼び掛けると、レオさまは足を止めてこちらを見上げてきた。
「なんだ」
「ごめんなさい」
「なにが」
「ごめんなさい。昨日のは、嘘です」
嫌いだと言ったこと。
「そうか」
レオさまは表情を変えずに、それだけ言った。
「八つ当たりです。嫌いなんて、嘘です」
「わかった」
そう言ってこちらから顔を逸らすと、また階段下のほうに向いて歩き出す。
「あの」
さらに呼び掛けるとレオさまは足を止めたけれど、こちらには振り向かなかった。
「そっちに行ってもいいですか」
「来たければ来ればいい」
ぽつりと言うと、また足を動かし始める。なので私は早足でそちらに向かった。
「走るな」
レオさまはこちらに振り向かないまま、立ち止まってそう言う。だから私も立ち止まった。
「階段は危ない」
「はい」
心配してくれた。それが少し嬉しくて、私は手すりをしっかり握って、レオさまに追いつく。それまでレオさまはその場に立ち止まっていてくれた。
でも全然、こっちを向いてくれない。怒っているのかな。でも傍に来てもいいって言ったし、怒ってはないのかな。
八つ当たりで嫌いと言って泣いた私を、抱きしめて慰めてくれたし。怒ってはいないと思いたい。
というか今考えると、抱き締められたの、恥ずかしいな。もしかしてレオさまも、今になって恥ずかしくなったのかな。怒っているんじゃなくて、そうだといいけれど。
私が追い付くと、レオさまは再び歩き出す。
「プリシラ」
「はい」
硬い声音だった。浮かれた気持ちに冷や水を浴びせられた気分になる。
「私情に走ってはならないから、切り捨てるという選択肢を棄てることはできない」
「……はい」
仕方ない。レオさまの立場を考えれば、それは当然のことだ。
ここまでしてくれただけでも、感謝しなければならないんだ。
けれどレオさまは続けた。
「でも私は、ギリギリまでは足掻いてみたい。そのために」
そして私のほうに振り向いた。レオさまの金の髪が揺れて、輝く。
「作戦会議だ」




