34. 乗っ取られちゃいました
先触れの早馬が到着したので、お父さまとお母さまと私はレオさまを出迎えるために、屋敷の馬車どまりで待っていた。数人の使用人たちも、緊張の面持ちで控えている。
するとしばらくして馬車が一台到着したけれど、その馬車は私たちの前を通り過ぎてから止まった。
ん?
そのすぐあとに、もう一台やってきて、そしてやっぱり私たちの前を通り過ぎた。
んん?
さらにもう一台やってきて、その馬車がようやく私たちの前に停まった。
御者が御者台から降りると、馬車の前に小さな踏み台を置き、うやうやしく扉を開ける。
そうこうしているうちに、また一台、また一台と馬車がやってくる。荷馬車もたくさんついてきて、馬車どまりに収まらず、門の外まで続いている。
私たちが呆然とその光景を見ているうちに、レオさまが馬車を降りてきた。相変わらず、キラッキラしている。
呆然としている場合ではなかったので、私たちは揃って頭を下げる。
「ようこそお越しくださいました」
「出迎え感謝する。頭を上げよ」
「ははっ」
それを合図に、私たちは身体を起こす。
すると次の馬車から見覚えのある人が降りてきて、レオさまの少し後ろで控えた。クロエさんだ。
「では世話になる」
「はい」
その言葉を聞いたあと、クロエさんが一歩前に出てきて、私たちに言った。
「本来ならば、レオカディオ殿下がこちらに来られる前に万全に整えておくべきですが、なるべく早くという陛下の仰せですので、荷物も一緒に運んで参りました」
「はい」
「今は必要最低限のものしか持ってきておりませんが、離宮が完成すればまた追々、揃えてまいります」
驚愕の発言。
これで? 必要最低限?
いったいどんな生活をしているんだ、レオさまは。
「人手は用意しております。ご心配なさらぬよう」
それでこんなに乗用の馬車もあるのか。
馬車からは、ぞろぞろと従者が降りてくる。
あっ、これ、部屋が足りない。
こちらの使用人が、恐れおののいているのがわかった。
お父さまと軽い打ち合わせをしたりしたあと、レオさまはこちらに歩いてきて、かしこまっている私の前に立った。
「……久しいな」
「はい」
私たちのすぐそばを、バタバタと使用人たちが動いている。自分が立ち止まっているのが申し訳ないくらいだ。
「えっと、なんですか、これ」
「なにがだ」
レオさまは私の質問に眉根を寄せる。
「牛カモシカっていう動物が、群れで大移動する国があるらしいですよ」
「今なぜその話をした」
「思い出したので」
黒い大きな牛のような動物が、食料となる草を求めて群れを成して草原を移動するらしい。小さいころに読んだ絵本にあった。
思い出さずにはいられないでしょう、これ。
レオさまは、小さくため息をついてから、ふっと笑った。
「君は、相変わらずだな」
「『君』」
すかさず指摘する。元に戻ってますよ。
するとレオさまは一つ咳払いをしてから、そして律義に言い直した。
「プリシラは、相変わらずだな」
「それが私のいいところです」
「そうだった」
そう言ってくつくつと笑う。楽しそうなので、私もなんだかほっとした。これからの慣れない生活に不安になっていたら可哀想だもんね。
クロエさんがこちらにやってきて、私に向かって頭を下げた。
「私もお供することになりました。よろしくお願いいたします」
やっぱり扉を自分で開けられるのか心配になったのかな。
「はい、よろしくお願いします、クロエさん」
そう応えると、クロエさんはまた深く頭を下げる。
レオさまを迎え入れる準備のためにクロエさんが屋敷に入って行くと、近くにいた使用人たちが顔を見合わせていた。
「クロエさまだわ」
「あの、伝説の……」
使用人たちがぼそぼそと言っているのが聞こえた。
伝説。
いったいどんな伝説なんだろう。
◇
というわけで、使用人たちにクロエさんのことを訊いてみると、どうやら叩き上げの人らしかった。
「爵位を持たない家の出身らしいんですが、その働きを認められてどんどん出世して」
「そして今では王城の侍女頭」
「すごい人なんですよ!」
うっとりするように使用人たちは言っていたのだけれど、それもしばらくすると風向きが変わっていった。
クロエさんは自分にも厳しいけれど、他人にも厳しかったらしい。
そうですね、王城にお勤めの人たちって、すごかったですもんね。そりゃあ厳しく躾けられたんでしょう。
しかしここはゆるーい弱小子爵家。クロエさんのお眼鏡に適うほどにがんばろうという人はあまりいなかった。
屋敷内がギスギスしてきたことが、私にもわかった。
特に厨房はひどいらしい。
「ここにはここのやり方があるんです!」
「なのにあの人たちったら!」
「とはいえ、王家の使いの方々ですから、私たちからはなにも言えないし」
「旦那さまから物申してもらえませんか」
だからといって、弱小貴族のお父さまから王子さまに向かって物申すことなどできやしない。
いやレオさまに直接言わなくてもいいだろうけれど、たぶんその前にクロエさんが立ちはだかる。うちの家令も彼女に完全にやり込められたという話だし。
見たところあの人、レオさま第一主義だしなあ。レオさまには一番広くて豪華な客室を用意していたのだけれど、気に入らなかったのか、家具の配置とかまで変えてたし。隣の部屋までぶち抜きたいとか言っていたらしいし。
クロエさんはレオさまが快適に過ごすことしか考えてなさそうだから、こっちの都合を考えてくれるかどうか。
言ってみなければわからないけれど、言ってみるには勇気がいる。なんか怖いし、クロエさんって。
「では……別宅に行くか」
そうなりますよね。
この屋敷に比べると多少は狭いけれど、お父さまとお母さま、それに使用人たちで暮らすことはできる。
お姉さまがいなくなってから暇を願い出た使用人も何人かいて、ちょっと人数が減っているし。
というわけで、お父さまはレオさまに言った。
「こちらの屋敷ですが、どうぞ、レオカディオ殿下のお好きにお使いください。私どもは別宅に参ります」
「え?」
「いい機会ですし、領地をくまなく見て回りたいのです。そのためには、別宅のほうが都合がいいのです」
お父さま、急に仕事熱心になりましたね。
「蒼玉が発見されてから、領地内も浮足立っているように思います。いつかは回らねばとは思っていたのです」
「そうか。そういうことなら」
レオさまはお父さまの申し出に特に疑問は思わなかったようで、あっさりとうなずいた。
お父さまはお母さまと使用人たちにこっそりと言った。
「離宮が完成するまでの話だから」
それもそうか、とほとんどが納得したらしい。
しかし、お父さまとお母さまが、追い出される形になってしまった。
コルテス子爵家、あっという間に乗っ取られちゃいましたよ。
婚約者たる私は、ここに残りますけどね。




