33. 帰領
「そろそろ出立のお時間です」
侍従にそう声を掛けられ、はっとして後ずさる。
「あっ、それでは」
「ああ、なるべく早くそちらに行けるよう調整する」
「はい」
さきほどまでの甘酸っぱい雰囲気はどこへやら、元の事務的な会話に戻ってしまった。
「コルテス卿、厄介をかけるが」
レオさまはお父さまにも声を掛ける。
「とんでもございません。領民一同、お待ちしておりますれば」
お父さまはかしこまって頭を下げた。
私たちは馬車に乗り込もうとそちらに向かう。それに合わせて、ぞろぞろと衛兵たちも馬に乗って列を整え始めた。
なにせ、我がセイラスの第三王子の婚約者と、キルシー第二王子の婚約者が乗る馬車だ。そのせいだろう、入城するときよりも衛兵の数が増えている。
ということは、レオさまがコルテス領で暮らすようになったら、これくらいの衛兵は一緒に来るのかな。
婚約者どころじゃない。王子さま本人だもの。きっと厳重な警備体制が敷かれる。
もしかしたら侍女たちもついてくるのかな。扉を開ける人とか、必要なのかもしれないし。
うちの屋敷の部屋、足りるかなあ。
領地の端っこに別宅があるから、そこも使わなくちゃいけないかもしれないな。
そんなことを考えているうち、お父さまとお母さまが順番に馬車に乗り込んだ。その後ろに立っていると。
「プリシラ」
呼び掛けられて、振り向く。
あっ、名前、普通に呼んでくれた。
レオさまは、笑顔のような、困ったような、そんな複雑な表情で言う。
「ではまた。気を付けて帰れ」
「こんなに守ってもらっているから、大丈夫ですよ」
「そうか」
「そうですよ」
そう言って小さく笑い合うと、私は馬車に乗り込む。
そして最後にお姉さまが乗り込もうとしたけれど、踏み台に足を掛けたところで名残惜しそうに振り向く。
すると、レオさまの隣にいたウィルフレド殿下が、こちらに駆けてきた。
ああ、そんな気はしてました。
お姉さまもそちらに駆けていく。
まあ、そうでしょうね。
「アマーリア……!」
「ウィルフレドさま……!」
そう二人は駆け寄ると、ガシッと抱き合った。
「ひと時だって離れたくない」
「わたくしも」
この衆人環視の中でも、やっぱり二人だけの世界が広がっているようだった。
周りの時間は少しの間止まっていたけれど、ちょっとして動き出す。
衛兵たちの中には、馬から降りて話をする人もいる。
手綱を握っていた御者もそれを離して伸びをしたりしている。
レオさまはこめかみに指を当てて目を閉じていた。
私は馬車の窓枠に頬杖をついて、いつ終わるのかなあ、とお姉さまとウィルフレド殿下を眺めた。
盲目の恋は、はた迷惑なものなんだなあ、としみじみと思う。
私は気を付けよう。
◇
領地に帰ると、いつもの日常が戻ってきた。
なにか変わるのかなと思っていたけれど、案外普通の日々が過ぎていく。
誰かが扉を開けるのを待つようになっていたらどうしよう、と思ったけれど、十七年間の子爵家の娘としての生活は身に沁みついているようで、そんなこともなかった。
私はそんな風にのんびりと過ごしていたけれど、お父さまや使用人たちは、王子殿下を迎えるということで、毎日バタバタしている。
そんなある日。
ウィルフレド殿下が、自らお姉さまを迎えに来た。
あれから一旦キルシーに戻っていろいろ調整してから、その足でコルテス領に来たらしい。
王子さまなのに、ずいぶん身軽だなあ。いくら継承権を放棄しているとはいえ、身が軽すぎませんか。ふわっふわじゃないですか。
「アマーリア、会いたかった」
「わたくしも……」
二人は再会のときも、濃かった。もう十年くらい会っていないんじゃないかってくらいだった。まだ一月くらいしか経ってないはずなんですけど。
「陛下のお許しを得ました。ついてはコルテス卿からもアマーリア嬢を娶ることを許可願いたい。キルシーに空いている離宮があり、そちらで暮らすことになります。継承権は放棄していますが、公爵位は持っていますし豊潤な領地もある。何不自由なく生活させます」
そう熱弁するウィルフレド殿下の言葉を聞いて、お父さまはうなずいた。
「どうかよろしくお願い致します」
ここまできて反対するわけはないけれど、お姉さまもウィルフレド殿下もほっと安堵の息を吐いた。
「落ち着いたころに、キルシーにご招待します。これでも王子なので、盛大に結婚式を行う予定ですし」
「それは楽しみです」
お父さまは上機嫌だ。キルシー王の許可が出たのだ。お姉さまがウィルフレド殿下の婚約者であることは、もう揺らがない。
お姉さまは私と二人きりになったときに、こっそりと言った。
「ごめんなさい。本当に、ありがとう」
お姉さまは泣きそうな表情をしてそう言う。
私はお姉さまがそうして謝るたび、お礼を言うたび、なんだか説明できない感情が湧いて出てきて、なんて言ったらいいのかわからなくなる。
「おめでとう、お姉さま。幸せになって」
だからそう繰り返すしかないのだ。
そうしてお姉さまは、ウィルフレド殿下が乗ってきた馬車に乗って、こちらに手を振りながら、コルテス領から出て行ってしまった。
◇
そしてその日に私は、こちらに移り住む算段が付いたというレオさまからの文を受け取ったのだった。




