30. 今のままで
レオさまは一瞬駆け出そうとしたけれど、隣に私がいるのを気にしたのか、一度動きを止めてから、また歩き出す。
あちらもこっちに歩いてきているから、どんどん近くなってきて、気が付いたら私の首は上を向いていた。
王太子殿下は大きな人だった。見上げると首が痛くなるほど。
そういえば昨夜、レオさまが「大きな人」って言いかけていた気がする。
レオさま、大変的確な表現でしたよ。
「やあ、レオ。誕生日おめでとう」
「ディノ兄上、ありがとうございます」
王太子殿下のお祝いの言葉に、レオさまは満面の笑みで応えている。
大好きなんだろうなあ、というのが窺い知れる。
確か、御年三十歳であらせられるはずだ。レオさまとは十三も年が離れているからか、王太子殿下のまなざしには、兄というより父親のような温かさがあった。
「夜会のほうには出席しなかったから、言っておこうと思ってな」
「わざわざ会いに来てくださったのですか、嬉しいです」
やっぱりレオさまが犬だったら、ぶんぶん尻尾を振って、さらに前足を上げて縋りついている気がするなあ。
私はその光景を見守る。初めて見る王太子殿下のお姿に興味もあるし。
王太子殿下は、本当にレオさまと兄弟なのかと思うくらい、なんというか、系統が違った。
身長も高いけれど、肩幅も広いし胸板も厚い。レオさまが「背が高い」ではなく「大きな」と表現したのは、なんとなくわかる。
豪快な雰囲気を持つ人だ。思うに、斧とか持たせたら似合いそう。あと肉の塊にかぶりつきそう。
「それに、レオの婚約者を見ておきたくてな」
こちらに視線を移すと、王太子殿下はにっこりと微笑んだ。
彫りが深くて整った顔立ちをしていらして、レオさまと同じ翠玉色の瞳だ。
「はい、兄上。こちらが、私の婚約者となったプリシラ・コルテス嬢です」
斜めに身体を傾けながら、レオさまは私を手のひらで指し示す。
私は淑女の礼をとりながら、挨拶した。
「お目もじ叶いまして嬉しく思います、ベルナルディノ王太子殿下」
「ああ、これは可愛らしいご令嬢だ」
ベルナルディノ殿下は、けれどその印象とはうらはらに、そっとこちらに手を差し出してくると、丁寧に私の手を取った。
なんとなく、がっしりと握手を交わしそうな気がしていたので、その繊細な扱いに少し驚く。
「その美しく輝く金の髪が、レオの心を照らしてくれるだろう。あなたのような方がレオの婚約者で嬉しく思うが」
甘い言葉とは無縁かと思うような外見なだけに、口から滑り落ちるその言葉は、心に来る気がする。
「レオが少々妬ましく思えるほどに魅力的な女性で、心臓が早鐘を打ってしまって仕方ない」
そう言って、私の指先に唇を寄せる。
なるほど。
これが王子という職業か。
そして魅了の力か。
これは世間知らずのご令嬢が、骨抜きにされても仕方ないのではないか。
私の手をそっと放して身体を起こすと、王太子殿下は私たちの顔を交互に見たあと、微笑んだ。
「婚約おめでとう、レオ。そしてプリシラ嬢」
「ありがとうございます」
私たちの返礼を聞くと、王太子殿下は片手を上げて、身を翻す。
「ではまた、そのうち」
「ディノ兄上。もう?」
「ああ、顔を見に来ただけだからな」
そうしてさっさと歩きだしてしまう。
後には、がっかりしたような顔をしたレオさまが残された。
そして黙ったまま王太子殿下を見送ったあと、くるりとこちらに振り向く。
「兄上は、かっこいいだろう」
どこか得意げに、けれど少し不安げに、レオさまが言う。
「あ、はい」
私の返事に、レオさまは唇を尖らせた。
「なんだ、その反応は」
「え? かっこいいと思いますよ。すごく強そう」
そう言うと、まるで自分が言われたかのように、レオさまは胸を張った。
「強いぞ」
「やっぱり」
私たちはまた庭園に向かって歩き出す。
歩きながらも、レオさまはまだ王太子殿下の話を続けた。
「義姉上が刺されそうになったときも、令嬢が相手だったとはいえ、守ってくださって頼もしかったと、義姉上は今でも自慢なさる」
「王太子殿下が自ら守ってくださったんですか」
「ああ、衛兵たちよりも誰よりも早かったと仰っていた」
「それは、素敵ですね」
「だろう? 私も兄上のようになりたいと思って鍛えている」
その言葉に私は思わず、レオさまを見上げてしまった。
ええ? 系統が違いすぎますよ。レオさま、あんなにたくましくなりたいんですか。
でも男の人は、ああいう男くさい感じの人に憧れるのかなあ。特にレオさまは、どっちかというと中性的だし。王女だったら絶対美女だったし。憧れても仕方ないのかな。
でもなあ。
考え込んでしまった私を不審に思ったのか、レオさまは少しこちらを覗き込むようにして訊いてくる。
「どうかしたか」
「私はですね、レオさま」
「ああ」
「レオさまは、今のままでいいと思います」
レオさまが筋骨隆々になった姿って想像つかないし。今のままの王子さま然とした姿のほうが素敵と思うし。
するとレオさまは、バッと顔を赤らめた。あっ、照れてる。ちょっと可愛い。
「そ、そうか?」
「そうですよ」
「いやでも、王子として強くあらねばならないし」
「そうありたいなら、止めませんけど」
「そうか」
「はい」
そんなとりとめのないことを話しながら、私たちは庭園に向かって歩いていったのだった。




