29. 心の距離
しばらく二人は見つめ合っていたけれど、ウィルフレド殿下が顔を上げた。
「レオ」
「なんだ」
呼び掛けられたレオさまは、小さく首を傾げた。
「会食は終わったのか?」
「ああ」
うなずきながら言われたその返事を聞くと、ウィルフレド殿下はお父さまとお母さまに向き直る。
「コルテス卿、少しの間、アマーリア嬢をお借りしてもいいだろうか。こちらの薔薇園はそれはそれは美しくて、できれば彼女を案内して差し上げたい」
おっと、欲しいものは奪え、とかいうお国柄の割に紳士的だった。
お父さまは深くうなずいた。キルシー王子の申し出の上に、断る理由がない。
「それは娘も喜びましょう」
「ぜひお願いいたします」
お父さまもお母さまも、明るい声でそう答えた。
お父さま、うっきうきなのが隠せていませんよ。
二人の了承の言葉を聞くと、彼は再びレオさまに顔を向ける。
「レオ、では薔薇園に立ち入るが」
「どうぞご自由に」
一応の確認のためであろうウィルフレド殿下の問いに、レオさまは手のひらを上に向けて差し出しながら、うなずいた。
あっ、だんだん面倒になってきてる。
「では行こう、アマーリア」
「はい、ウィルフレドさま」
再び二人は見つめ合ったあと、レオさまに向かって一礼した。
「では御前、失礼いたします」
レオさまはその言葉にうなずいた。
それを確認すると、ウィルフレド殿下はお姉さまの肩を抱いて、寄り添うようにして歩いて行く。
その二人の背中を見送りながら思う。
どうせ、「この数多の咲き誇る薔薇よりもアマーリアのほうが美しい」とか語るんだろうなあ。目に見えます。
そんなことを考えていると。
「……私たちも、行くか?」
「え?」
そう声を掛けられて、顔を上げる。
レオさまが横目でこちらを見ていた。
「庭園に」
「薔薇園ですか?」
「同じところには行きたくない」
レオさまは思いっきり眉根を寄せて言う。
「うっとうしいだろう」
同感です。
目の前で劇場が繰り広げられるのは、もう飽きました。
というか、はっきり言いましたね。
まあ、美女の婚約者を目の前でかっさらった人ですしね。
「二日酔いは大丈夫ですか」
「大丈夫だ」
苦笑しながらそう返してくる。
「じゃあ、行きたいです」
「そうか」
私の肯定の返事にレオさまは微笑んだ。
気を使ってくれたのかな。お姉さまだけが王城の庭園を案内されることに。
二日酔いなのに、がんばって言ってくれたのかな。
じゃあ全力で乗らないと失礼というものでしょう。
「ぜひとも行ってみたいです。楽しみです」
「それはよかった」
そう言って、レオさまは振り返る。
「では、コルテス卿」
「はい。ぜひお願いいたします」
お父さまとお母さまは、また明るい声でそう答えた。
◇
私たちは王城の廊下を歩いていく。
お姉さまは肩を抱かれていたけれど、当然、私たちは並んでいるだけだ。
いや、もし肩を抱かれたりしたら歩きにくくて仕方ない気がするから、これでいいや。されたことはないから、わからないけれど。
ちなみに、クロエさんも数歩あとを、しずしずとついてきていた。
なおさら寄り添って歩くとか、できるはずもない。
でももし、レオさまが肩を抱いてきたら? 私は嬉しいのかな。それとも歩きにくくて嫌だなって思うのかな。
まあ、レオさまがそんなことをするわけがないから、意味のない問いだなあ。
けれど、私たちの間にあるこの距離が、心の距離でもあるのかなあ、だなんて埒もないことを考えてしまう。
そのときふと、レオさまが足を止めたので、私も立ち止まる。
なんだろう、とレオさまを見上げると、彼は前からやってくる人に目を止めていた。
「ディノ兄上!」
本当に嬉しそうに、レオさまは声を上げた。
レオさまが犬だったら、きっと尻尾をぶんぶん振っている。
呼び掛けられた人は、こちらに向かってゆったりと歩いて来ながら、軽く手を上げた。
ディノ兄上。
つまり。
ベルナルディノ王太子殿下だ。
婚約発表会で、婚約者を切り付けられた人ってことですね。




