20. ひどい!
とはいえ、しばらくすると硬直状態も解けた。
まずいまずい。
早くこの場を立ち去らないと、良からぬことが起きる気がする。
そうして踵を返そうとすると。
「ん?」
くん、と引っ張られるような感覚がして振り返る。
レオさまの手が、しっかりと私のドレスの袖口のレース部分を握っていた。
いつの間に。
しかも、なんでよりにもよって、そこを。
そっと指の近くを握って引っ張ってみるけれど、離れそうにない。これ以上やったら、きっとレースが破れる。
気持ちよさそうに眠っているレオさまには申し訳ないけど、これは起きてもらわないと。
「レオさま」
「うん……」
「レオさま、起きてください」
「うん……」
返事はするのにまったく起きる気配がない。
「ちょっと失礼します」
レオさまの指を取って、一本一本引きはがそうと試みる。
くっ、固く握ってる。しかも袖口を握られているせいで、片手しか使えなくて力が入らない。この王子さま、なにをしてくれてるんですか。
今度こそ、誰かを呼ぼう。もうちゃんとベッドに寝ているんだから、醜態とは言えないだろう。
「あのー」
こわごわと、声を出してみる。けれどなんの反応もない。
さっき、レオさまが侍女たちを呼んだときには、そんなに大きな声じゃなくてもすぐに誰かがやってきたのに。
「あのう、すみませーん」
けれど、辺りはしんとしている。
「誰かー!」
思い切って声を上げてみるけれど、誰も来ない。物音もしない。
すーっと血の気が引いていく感覚がする。
まさか。これまさか、気を利かせている……? レオさまの声じゃないと、誰も動かない……?
嘘でしょう。もし今、酔ったレオさまが豹変して私が襲われたとしたら、誰も助けてくれないの?
この王家の手先どもめ!
いや王城に勤めているからには手先なんだけど。
でももし、さっきレオさまが寝ていたのではなくて倒れていたんだとしたら、私の声でもレオさまを助けるために動かないといけないのでは。……いやその場合は、私は扉を開けて外に助けを求めにいくだろう。それなら問題はないのか。
今度、王城にお勤めの人たちの心得も訊いてみよう。
まあそれはそれとして。今のことだ。
というか、今の私の大声で、なんでまだ起きないんだろう。
うーん。困った。
「レオさまー、起きてくださいよ……」
今度はもうまったく返事をしなくなった。
完全に、寝ちゃいました。
私は仕方なく、ベッドの端に腰掛ける。
まあ、レオさまが豹変するなんて要らぬ心配かもしれないな、とその寝顔を見ながら思う。
「つるっつるだなあ」
陶器のような肌、とはこれだな、と思うくらいだ。お姉さまに勝るとも劣らない。もし女に生まれていたら、それはそれは美女であったことでしょう。
欠伸がひとつ出て、私は口元に手をやる。
眠くなってきた。私だって早く寝ないといけないのに。
まあもう、いいか。婚約者だし。
私、まったく悪くない。
◇
「うわあ!」
耳元で大きな声がして、私はゆっくりと目を開ける。
目を見開いてこちらを凝視しているレオさまがそこにいた。
寝室の大きな窓からは、爽やかな朝の光が差し込んでいる。
「あ、おはようございます」
「えっ、なんっ、なんでっ」
動揺しすぎたのか、こちらを見たまま後ろ手に手をついて、ざかざかとベッドの上を後退している。
「あ」
落ちますよ、と言おうとしたけれど間に合わず、
「うわあ!」
またも大きな声を上げて、レオさまは背中から落ちていった。
私の目には、逆向きに伸びた足が二本、ベッドの向こうから生えているように見えた。
どうしていいかわからずにそのままで固まっていたけれど、少しして、その足がぱたんと折られて、ベッドの上に倒れてくる。
「大丈夫ですか」
私はベッドの上を這いつくばってそちらに向かい、両手でそれぞれの足首を持った。
「持つな持つな」
「引き上げようと思って」
「しなくていい」
「はい」
手を離すと、ずるずると足がベッドの向こうに落ちていき、ひょっこりとレオさまが顔を覗かせた。
そして手をついてベッドに上がると、そのままそこで座り込んだ。
俯いて顔を上げないまま、ぼそぼそとしゃべりはじめる。
「……ちょっと……変なことを訊くが」
「はい」
「……して、ない……よな……?」
私はその言葉に、あんぐりと口を開けた。
「覚えてないんですか!」
割としっかりしているように見えたのに!
これは、ひどい!




