18. おめでとうございます
給仕台の上の果実酒は、少しずつ減っていっている。
それに伴って、私たち二人の会話も弾んでいった。
「でも、本当に良かったのか?」
「なにがですか」
「その……こんなに急に婚約者にさせられて」
「でもそれ以外に選択肢はなかったでしょう」
「それはそうだが」
レオさまは少しこちらに身を乗り出して言う。
「君だって、好いた男の一人や二人、いるだろう」
きっと普通なら、こんな質問もしないだろう。
レオさまも少し酔ってきているのかな。
肌が白いだけに、ほんのりと頬が染まっているのが見て取れて、妙に色っぽい。たぶん私より色っぽい。
「いませんよ」
「今は、ということか? 初恋もまだだということか?」
「初恋は……ありますよ」
思い出したくもない初恋が。
けれどそれを知らないレオさまは、気軽な様子で問うてきた。
「へえ。どんな男だ?」
興味津々、といった体で、その翠玉色の瞳をキラッキラさせながら、果実酒を口に付けている。
どうやら本当に聞きたいようですね。ではどうぞ。
「妹に近づいて、姉の部屋の場所を探ろうとしたクソ野郎です」
レオさまは飲んでいたお酒を噴き出した。
ゲホゲホとむせているので、気管に少し入ったのかもしれない。
しばらくその様子を眺める。少しして彼は、なんとか咳を止めて息を整えた。
それから、こちらを見て口を開く。
「……仮にも子爵令嬢がクソと口にするのはいかがなものかと思うが」
「クソはクソですよ。上品に変換する気持ちにもなれません」
「なるほど」
さすがにまずいことを訊いた、と思ったのか視線を落としてから、クイと果実酒をまた一口飲んでいる。
なんだか申し訳ないような気分になったので、補足してみた。
「まあ、初恋と言っても、素敵だなあ、と思った程度です」
「そ、そうか。それなら良かった……か?」
「良かったです」
そう言って話を締める。
クソ野郎は屋敷に出入りしていた商家の息子で、私のことをやたら褒めつつ近付いてきた。耐性のない私はさぞかし隙だらけだったことでしょう。私も素敵と思ったから最初は親しく話をしていたけれど、そのうち風向きが怪しくなってきたので、お父さまに告げ口してやりました。
大激怒したお父さまが商家ごと出入り禁止にしたので、もう会うこともないでしょう。
なので私は無傷です。心はちょっとばかり傷ついたかもしれませんけど。
ケッ。
「レオさまは?」
「うん?」
「レオさまは、お好きな方はいらっしゃらないんですか」
訊かれたのだから訊き返してもいいでしょう。もちろん興味津々で。
私のその問いに、彼は軽く肩をすくめた。
「いるわけないだろう。自由恋愛ができる身分と思うか?」
「思いませんけど、王子なのに自由恋愛をしてしまった人が、さっきいたじゃないですか」
「ああ、まあ……確かに」
キルシー王国は、我がセイラス王国よりも、自由恋愛を好むような印象はある。
けれどよく考えたら、お姉さまの心をかっさらった彼だって、王子なのだ。
いくら王位継承権を放棄しているといったって、普通なら、政略結婚というものをする身分なのではなかろうか。
「自由恋愛はできなくとも、してしまうことはあるんじゃないですか」
「……今は、いない」
言いにくそうではあったけれど、レオさまはそう口を開いた。
「じゃあ初恋は済ませているんですね。どんな方ですか?」
「……教師だ」
小さな小さな声で、レオさまはぼそりと言った。
「はい?」
耳を近付けながらそう訊き直すと、ごほん、と咳払いしてから少々音量を上げてきた。
「子どものころ、私についていた教師だ。文学を教えてくれていた」
ほほう。面白くなってきたではないですか。
「大人の魅力ですね」
「そんな感じじゃないな。はるかに年上なのに、可愛らしい人だった。明るくて、元気で」
そう言って、窓の外に向かって少し遠い目をする。思い出しているんですね、その美しい初恋を。
「そういえば、ウィルが来ているときには、一緒に授業を受けたな……」
どうやら美しくなかった。
「まあまあ、飲みましょうよ」
「あ、ああ」
お酒は楽しく。これ鉄則。
楽しい話題はなにかなあ。
どうもさっきから、楽しい話題からなぜか寂しい話題に移ってしまっている。
まあ元々、楽しいはずの夜会から、怒涛の展開を経て私たちは今、二人でこうしているんですけど。
「あ、そうだ」
「なんだ」
元に戻ればいいんだ。
楽しいところに。
私は果実酒の入ったグラスを軽く掲げる。
「お誕生日、おめでとうございます」
私の言葉に、レオさまは何度か目を瞬かせ。
そしてゆっくりと微笑んだ。
「ありがとう」
レオさまの微笑みは、やっぱりキラキラ輝いていた。