11. 小さな夜会
「ちょっといいか」
いろんな人に祝辞を述べられ、ありがとうございます、とにこやかに返していたが、その波がふと途切れたときに、私は第三王子殿下に呼ばれた。
彼はこちらに歩み寄りながら、なにやら言葉を探している様子だった。
「ええーと、プ……プリシラ嬢」
どうやら愛する婚約者の名前も曖昧だったらしい。
私もそちらにしずしずと歩いて行き、そして立ち止まって向かい合う。
「なんでございましょうか、レオカディオ王子殿下」
「レオでいい。言いにくいだろう」
「じゃあ、レオさま」
あっしまった、一気に距離を縮めすぎたかな、と心配していると、王子殿下は口の端を上げた。ちょっと楽しそうだったので、心の中でほっと胸を撫で下ろす。これでいいらしい。
「人いきれがして疲れただろう。私の自室に行こう」
「自室?」
「少し二人で話したいことがあるし」
「はい」
拒否する理由はないので素直にうなずいた。
なにせ私たちは、婚約したのだ。二人で話すことだってあるでしょう。
しかし婚約したとはいえ、婚姻前の淑女たるもの殿方と部屋に二人きりになるものじゃない、というのが普通の見解かもしれない。でもいいでしょう。だって王子さまの要望だもの。
それにどう考えても、そんな艶っぽい話じゃないと思う。
ちらりと見てみると、お父さまとお母さまも、侍従の方になにやら呼ばれている。
お姉さまはキルシー王子の隣で彼に肩を抱かれていて離れられないのか、それを不安げに見守っていた。
たぶんこれから辻褄合わせが始まるんだろうなあ、と小さく息を吐いた。
◇
「ひとまず、辻褄を合わせないとな」
ため息をつきながら、目の前の王子さまは言った。
やっぱりね。案の定です。
あれから王子殿下の自室に案内され、来客用のテーブルセットに向かい合って腰掛けて、お互い作り物めいた笑顔を浮かべている間に、侍女たちがお茶やお菓子をテーブルの上に置いていった。
「人払いを」
「よろしいのですか?」
部屋まで私たちを先導してくれた衛兵が首を傾げる。
やっぱり王子さまだなあ、と思う。王城の中だというのに、ここに来るまでも何人かの衛兵に囲まれて歩いて来た。
厳重な警戒態勢に身が縮こまる思いだ。私もできればあんまり人に囲まれたくないなあ、緊張するし。
私のその気持ちを慮ったわけではないのだろうけれど、レオさまは言った。
「ああ、もう大丈夫だ」
「かしこまりました」
そうして部屋の中にいた衛兵たちや侍従たちや侍女たちが誰もいなくなってから、私たちは二人してズルズルとふかふかのソファに身を埋め、盛大に安堵のため息をついた。
「終わった……」
「終わりましたね……」
殿方の部屋に二人きりといえども、コルテス家の屋敷の大広間くらいの広さはあるような広い部屋なので、あまり閉塞感はない。
だからか妙に気が抜けてしまって、天井をしばらくぼうっと見つめる。うわあ、個人の部屋のはずなのに、天井にも宗教画が描いてある。豪華だなあ。
レオさまは少しして気を取り直したのか、座り直すと身を乗り出すようにして、こちらを向いた。なので私もそれに倣って姿勢を正した。
それから彼は、辻褄合わせの説明を始めたのだった。
「王家とコルテス子爵家が繋がりを持とうとしていたのは周知の事実だ。そのために婚姻関係を結ぼうとしていたことも、いくらかは漏れている。公にはしてはいなかったが」
「そうですね」
「そういうことだから、私の婚約者が、君の姉君ではなく君でも問題はない」
「そうなんでしょうね」
だからあのとき、私の背中が押されたのだ。
この際、妹でいい、となったのだ。
コルテス領を穏便に王家の管理下に置くための政略結婚は、姉妹のどちらでも構わないのだ。
「けれどなぜ姉でなく妹なのか、というのは疑問に思われても仕方ない」
「まあ、姉のほうが美人ですからね」
私の言葉に、レオさまは首を傾げた。
「そういう問題ではないだろう。長女か二女かの違いだ」
「そういうものですか」
「そういうものだよ」
言いながら、テーブルの上の紅茶に手を伸ばす。
なので私もいただくことにした。
夜会での私は、終盤はずっとご挨拶ばかりしていたので、喉が渇いていた。おまけに美味しい食事を楽しむはずだったのに、全然食べてない。口惜しい。
ちらりとテーブルの上に置いてある、三段のケーキスタンドに目をやる。
さすが王城で用意されたものだ。すっごく美味しそうなケーキやクッキーやカナッペが置かれている。
色鮮やかなフルーツがたくさん乗ったケーキも素敵だし、さっきからクッキーの馨しい匂いが漂っているし、カナッペはハムやチーズが乗っていたりして軽食に良さそう。
でも手を出すのははしたないと思われるかもしれない。
これ、誰も食べなかったらどうなるんだろう。棄てるのかな。もったいないな。
「……遠慮しなくていい」
「えっ」
ふいに声を掛けられて、顔を上げる。
すると目の前に、口元に軽く握った拳をやって、目を細めているレオさまがいた。
「どうぞ。好きなだけ食べるといい」
声が若干、震えている。これ絶対、笑いを噛み殺してる。
そんなに物欲しそうだったかな。まあいいか。食べてもいいって言われたんだし、遠慮するのも変だろう。
「ではいただきます。レオさまはいかがですか」
「じゃあ、もらおうか」
「はい」
置いてあった小皿に少しずついろいろなものを載せて、フォークを用意して。
そうして私たちの小さな夜会は始まったのだった。




